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紅珊瑚を求めて

第2章

 ジュリオは誰よりも早く大学の解剖学教室にきて、準備をはじめていました。当番の新入生に手伝わせて、今日解剖するご遺体を丁寧に中央の台に横たえたあと、道具を横に並べはじめました。やがて学生たちが教室に集まりだし、最後に教授が入室して授業が開始されます。教授の行う授業の助手として、ご遺体が一番よく見える場所が、いつもジュリオの指定席でした。というのも、ジュリオは絵が上手いのを教授に評価され、腑分けの様子を描き留める役を仰せつかっていたからです。

 

 解剖学の授業は、少しでもご遺体の傷みが進まない冬季の、しかも午前中に行われるのが通例で、ナポリといえど、やはり正午を過ぎると日差しが暗くなってきてしまうのが早いため、昼前に終了します。昼を少し過ぎた頃、後片付けを終えてジュリオはそのまま自室に戻りました。朝から神経を張り詰める作業で疲弊するとわかっていたので、午後の授業の予定は入れていなかったのです。


 「ジュリオ、あなた朝食もとらずに大学へ行ってしまって。お昼もまだでしょう? スープを温め直させるから、ちょっと待ってらっしゃい。」

 「ありがとうございます、マルガリータおば様。」


 マルガリータはジュリオの父の妹で、父とともに船会社を興したナポリ出身の小貴族ドゥッティ家のサルヴァトーレに嫁入りしていたのです。ジュリオはその縁談は父の策略だったんだろうと思っていましたが、若き日のマルガリータも背が高く整った顔立ちのサルヴァトーレに一目惚れしたのではないかとも踏んでいました。ジュリオの父と違い、明るく社交的な性格で、ドゥッティ家を取り仕切り、本来は客用である寝室を特別にジュリオに使わせてくれていたのです。


 ジュリオが遅い昼食をとりはじめると、マルガリータは相伴にあずかるわけでもなく一緒に席につきました。ジュリオは心の中で「またあの話かな?」と少し身構えると早速、

 「ところで、ジュリオ、あなた、まだ良い人はいないの?」

と切り出されました。

 「まだまだ勉学が忙しくて、おば様、それどころでは」

 「この間、我が家にパレルモからいらした枢機卿様、覚えているかしら。その枢機卿様にお年頃の姪御さまがいらしてね。今度実家に戻ったときに、ちょっとお会いしてみない?」

 「しばらく実家に戻る予定はないなぁ。」

 「あら、じゃあ彼女をこの家にご招待しようかしら?」

 「それが、実は教授に頼まれて近々ヴェネツィアに行かなきゃならないのですよ。残念だなぁ。」

 「あなたは本当にもう。そろそろ身を固めてもよい頃よ。あなたのお父様も心配されているのよ。」

 「商売のほうは弟がもう手伝っているし、いざとなれば家督は弟に譲りますよ。それとも曾祖父のように神父にでもなろうかな?」

 「ジュリオ、私も別にあなたを追い出したいわけじゃないのよ。好きなだけここに滞在していてもいいのよ。ただ」

 「分かっていますよ。マルガリータおば様。ここでこんなに居心地良く暮らすことができて、本当に感謝しております。そうだな、マルガリータおば様とだったら、ぜひ結婚したいな。」

 「もう、本当にジュリオったら。居心地悪くさせちゃおうかしら」

 「それは困りますよ! いじめないでくださいよ。泣いていいですか?」

 

 マルガリータの追求をうまく逃れて自室に戻ったジュリオは、昨晩途中で放り出してしまった読みかけのアルフォンソ神父から実家に贈られた手紙の束を手にとり、疲れた身体をドサリとベッドに投げ出しました。

 

 ところが、手紙を読み進めながら、ジュリオは思わず声を上げてしまいました。宝剣に関心のなかった父はもちろん、あれだけ宝剣を大事にしていた祖父からも、聞かせれていなかった情報が書かれていたからです。

 -何だって、このこの宝剣が担保にされていたのか。しかも曾祖父が神父になる前に、子どもを作っていたとは!-


 「でも宝剣は債権者に渡さず、ずっとヴァティカンの宝物庫で保管していたのか。まあ、移動するのも大変そうだし、この貸借契約書だけではわからなかったけど、かつて曾祖父が大怪我の治療をしてあげた人物が債権者のようだから、何か合意があったのかな。」

 そう独り言をつぶやきながら、手紙と一緒にまとめられていた貸借契約書を確認すると、おそらく曾祖父アルフォンソが描いた宝剣の絵が添付されていたのです。ベッドにひっくり返り、『曾祖父も自分のように、絵を描くのが好きだったのかな』などと思いながらジュリオがその絵を眺めていると、何か微かな違和感があったのです。


 「あれ? ここに珊瑚なんか象嵌されていたかな?」

 疲れていたものの、ベッドから起き出して、曾祖父アルフォンソが描いた絵と、昨日机に放り出したままの自分が描いた宝剣のスケッチを見比べてみると、珊瑚の場所にはカーネリアンと思われる石が5つ並んでいます。

 

 「やっぱりそうだ。ということは、曾祖父が付け替えさせたのだろうか?もともとついていた紅珊瑚はどこに行ってしまったんだろう?」


 そのときふと、ジュリオは思いついたのです。

 -そうだ、ヴェネツィアに行く途中で、ちょっとヴァティカンに立ち寄ってみよう。宝剣はヴァティカンから正式に返還されたものというから、もしかしたら何か記録が残っているかもしれない-


 実はジュリオがおばマルガリータに言った「近々ヴェネツィアに行く用事がある」というのは適当な言い訳ではなく、本当の話で、解剖学を担当している教授からの依頼で、今までジュリオが描き留めた絵をまとめた解剖学の本を出版する交渉をしに、有名な出版社のアルド社に行くことになっていたのでした。

 そしてヴァティカンとヴェネツィアで、それぞれ出会いが待っていたのです。


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