【補遺】
私が『レオナルド・ブロンツィーノの覚え書』という記録をヴァティカンの古文書館で見つけたのは、修士論文の資料を探して毎日にようにヴァティカン図書館通っていた頃でした。
どんな秘密文書でも、100年たてば一般公開するというルールを持つヴァティカン図書館では、各国からやってきたたくさんの歴史研究者たちが古い一次資料と格闘していました。私が取り組んでいた修士論文のテーマは、16世紀後半のアジアと西洋を結ぶ商業活動、とくにキリスト教の宣教師たちによるアジア地域での布教活動の裏で行われていた日本の戦国武将との商取引の実態で、埋もれていたイエズス会宣教師たちの活動報告書を発掘していたのですが、テーマとは関係ない、時代も違う記録にもかかわらず、この『レオナルド・ブロンツィーノの覚え書』に興味をひかれて、ちょっと読み出したら面白くなってしまったのです。
そして読み進めるうちに、既視感を覚え、以前、読んだことのある一次資料にちょっと似た話があったなと思い出したのです。サンマルコ共和国、つまりヴェネツィアは、当時の一次資料の宝庫で、特にとある一外交官が書いた『サヌードの日誌』は、研究者の間で有名な一次資料とされているのですが、その日誌や当時の資料を調べていたときに、たまたま見つけたのが、ヴェネツィアのアルド社から出版された『万人のための薬草学』という書物でした。あのアルド社が、当時こういった本も出版していたのか、とちょっと驚いたので、良く覚えていました。
その『万人のための薬草学』のあとがきに、『ある一族の年代記』という記載があり、著者がなぜ薬草学の道に進み、どのようにさまざまな実体験をしてきたのかという話と、著者が深く関わったある一族の年代記が書かれてありました。
この年代記は、当時の資料としては珍しく、女性視点のものでした。
(この『万人のための薬草学』の著者は、ヴェネツィア政府公認で開校した、孤児修道院出身の子女のための薬草学の学校の初代校長で、女性でした)
『レオナルド・ブロンツィーノの覚え書』と『ある一族の年代記』に書かれたエピソードが同じものだったかは、分かりません。古い記録の中から、私がたまたま似たような話を見つけてしまっただけかもしれません。
もしかしたらこれから先、次の世紀にでもまた新たに、昔の誰かが書き著した記録が発掘されるかもしれません。




