夢の終わり
第1章
そして、シンデレラは王子様といつまでもいつまでも幸せに暮らしました。
――少なくとも、父王が病に倒れるまでは。
父王が倒れてはじめて、シンデレラはそこが、おとぎの国ではないことに気がついたのでした。結婚式の日に、将来の妃にふさわしいように、と「エレノア」という新しい名を与えてくれた義父は、大国にはさまれた交通の要所に位置する、政治的に難しい立場の小国を、その外交手腕で維持独立を守ってきた老練な領主でした。この国の収入といえば、ローマ時代からの街道を通る商人からの通行税という現金収入と、あまり肥沃でない耕作地からの年貢だけ。戦いなどする余裕のない小国ゆえ、老獪な王が大国との外交交渉でなんとか独立を保っていたというのが現実だったのです。
その父王が今までの苦労のせいか病に倒れ、嫁いで間もないエレノアさえ、国の行く末を案じているときに、夫である王子フランソワは、当時宮廷に出入りしていた吟遊詩人から聞いたのか、十字軍熱に浮かされていたのです。そして父王の病状が一進一退という時に、時の法王から発せられた十字軍結成の報が伝わると、周辺諸国の領主たちは、成功の見込みも、大義名分すらあやふやな十字軍に懐疑的なのとは対照的に、名誉欲にかられて国政を放り出し、従軍の決意を表明したのでした。
「まだあなたのお子すら身ごもっていないのに、行ってしまうのですか?」
というエレノアの懇願も、
「今は国境の警備を固めなくては、大国に侵略されてしまうぞ。」
という父王の忠告も聞かずに。
陽気で明るく、いつも優しい王子様のフランソワが、自分を置いていってしまうとは思ってもみなかったエレノアは、不安で頼りない気持ちで一杯のまま、雪解けとともに彼の出発を見送ったのでした。
もともと、あまり手紙など書かないフランソワは、エルサレムへ向かったまま、何も音信もありません、そんなとき、父国王の補佐として、またエレノアの無聊を慰めて精力的に尽くしてくれたのがフランソワの弟エドモンでした。エドモンは、恒常的な軍備が不可避となったために、志願兵を募り、みずから隊長として、国境警備にもあたり、また寂しさに泣くエレノアをそっと励ましてくれたのでした。
エドモンとエレノアはすぐに心を通わせあうことができました。フランソワのような陽気なおしゃべりなどしないエドモンでしたが、手紙が来ないと嘆くエレノアに
「兄上はあなたのために、必ず無事に帰還します。」
といって慰め、常にエレノアの体調を気遣い、義理の弟として、いつでもエレノアに敬意を持った態度で接してくれたのです。宮廷内では、いまだにエレノアのことを、「どこの馬の骨とも知れぬ娘」だと陰口をたたく連中もいたのですが、このエドモンの兄嫁へ態度に、そのうち誰もエレノアを軽視するような態度を見せなくなっていきました。
フランソワが遠くエルサレムの地に向けて旅立って数ヶ月、そろそろ夏の日差しになろうかという頃、宮廷に出入りしているヴェネツィア商人の口から、フランソワの戦死の情報がもたらされました。まだ世継ぎも与えていないエレノアの、宮廷内での立場は微妙になってしまいます。もし弟であるエドモンが父王の後継者となり、彼が自分の妻を娶れば、エレノアの存在は無に等しくなってしまうのです。そうなれば、帰る家を持たないエレノアは、侍女になるか、エドモンの愛人になるかの選択しかありませんでした。
後継者の不在、お家騒動は大国に付け入る隙を与える、そう考えた父王は、病の床から、エドモンに命じました。エレノアを妻に迎えるように、と。
「できれば自分の存命中に、それが無理でも、わしの喪に服すことなく早急にエドモンとエレノアの婚礼の式を挙げるように。そして何よりも、世継ぎを。」
夏の盛りを迎えたころ、それは父王の遺言となってしまったのでした。宮廷の重臣たちの中には、時期尚早では、という反対の声をあったものの、遺言どおりエドモンと結婚したエレノア。父王の命令ではありながら、フランソワの不在の間ずっと自分を支えてくれていたエドモンとの結婚に、心の底でエレノアは幸せを感じはじめていたのです。このとき、エレノアの心の中には、フランソワの戦死の悲しみと、エドモンとの結婚の喜びと、どちらが自分の心を占めていたのか、彼女自身でもわからなくなっていました。そしてそれが、それからの三人の関係にずっと陰を落とすことになろうとは。
エドモンとの婚礼からわずか一月――。
死んだはずの王子、フランソワの帰還。
エレノアはまた、運命に翻弄されていくのです。




