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第九章

※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。

また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。


誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。

また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。

 八月一日。今日も今日とて電車で水瀬さんと一緒に練習するためにお馴染みの水瀬さんの最寄り駅に向かっていた。八月に入って、無限に思えた夏休みに終わりの存在が遠くのカレンダーに見えてきて、残りの宿題と逆算してみてまだ大丈夫と結論が出たのでとりあえず一息ついて電車に揺られる。

 もう目を瞑っていても、到着する少し前に目が勝手に開くほど身体に染み付いた感覚で今日も目を開き、音楽をキリのいいところで打ちとめる。駅の間隔が身体に染み付くほど続けてきて、そろそろルーティーン化、悪く言えばマンネリ化しつつあるこの練習も、徐々に頭打ちになってきている節はある。何か画期的な方法があればいいんだけど、そんなものがないから俺達毎日駅に足を運んでるわけであるから、それが最近の悩みでもあった。

 なんて考えながら改札を出て、駅舎を出てあたりを見回す。

 しかしそこに俺のお目当ての人はいなかった。スマホに連絡の一本でも入っていないか見てみたが、そんなものもなかった。

 もう十時は回ってるし、こんな時間だから水瀬さんに限って寝坊ってことも考えにくい。若干の不安に駆られていたその瞬間、視界の奥、横断歩道の向こう側に肩で息をしてる人が見えた。

 信号が青になったかと思うと、一定のリズムで走ってこちらに向かってきたその女性は俺の前で膝に手を付くと、まだ息の上がった声で「ご、ごめん!」と謝ってきた。

「え、水瀬さん⁉」

 俺の驚いた声が意外だったのか、水瀬さんは「えっ⁉」と驚きと疲れが混じった、大きく吸った息を吐き出すような声で言った。

 そこにいたのはやはりどう見ても水瀬あおいさんなのだが、その、髪型が昨日までとは変わっており、それまでストレートで肩口まで伸びていただけだったのが、今ではふわふわと綿のように膨らみがあって、毛先も少したゆたんでいた。

「え、えっと、水瀬さん。その髪……」

「うん。切ってもらった……どう?」

 水瀬さんは自分の髪を大事そうに触れながら、俺のことを上目遣いも交えながら尋ねてきた。

 その質問に、全身が強張るほどの衝撃をうけた。もちろんすごくかわいくて、非の打ち所がない。ただ、それをどう伝えればいいのか俺のつたない言葉じゃ思いつかなかった。だから脳の引き出しを全てひっくり返して必死に語彙を探した。

「えっと、その……」

 古い布団をひっくり返した時に出る埃のような薄っぺらい言葉で間を埋めて、とにかく探す間を稼ぐ。

 しかしそれも限界があるし、探している内に、変に言葉を繕わなくても、思ったことをちゃんとそのまま口にするしかないと考えも変わってきた。どうせない語彙に頼るんじゃなくて、ちゃんと面と向き合って言うことを言うしかない。

 俺が変に頭をこねくり回すのを諦めて、水瀬さんの方見ると、彼女も俺と目を合わせてきた。

「水瀬さん、その髪…………ほんと、めっちゃかわいい。まじでびびった」

 俺が水瀬さんのことをちゃんと見て言った言葉はそんなありふれた言葉だったけれど、どれも見繕わない、素直な言葉だった。

 それを聞いて、水瀬さんは額に汗すらカラッと弾いてしまうような、たまのように丸く、それでいて爽やかな笑みを浮かべて、「ハハッ、うれしい!」と笑った。

「これね、昨日明日見ちゃんのお母さんに切ってもらったの」

 明日見ちゃん、一瞬誰のことかと思ったが、すぐに長峰さんのことだと思い至った。いつの間に名前で呼ぶような間柄になったんだと思ったが、いつにしたって喜ばしいことだ。

 長峰さんから水瀬さんに何を贈るのかは結局教えてくれなかったけれど、なるほどそう来たか。嬉々として昨日の出来事を語る水瀬さん曰く、実家が美容室だそうだ。自分も美容師を志しており、そんな長峰さんにしか贈れない、最高のプレゼントだったと思う。そうと分かれば長峰さんが俺に提案したプレゼントにも合点がいく。

 そんな傍ら、俺は一人明日に迫った彼女の誕生日のプレゼントをまだ購入していなくてよかったと一人安心していた。

「それで、切ってもらった後、明日見ちゃんと色々研究したりしたんだけど」

「研究?」

「うん。明日見ちゃんのお母さんにしてもらった髪型を実際に家で一人で再現できるようにするのはどうすればいいかとか、自分たちに合うコスメとか」

「あー、なるほどね」

 たしかに美容室を出てすぐは専門のスタイリストさんが髪をセットしてくれているのが、翌日以降自分でその髪を再現しなければならない。それは素人には難しいし、そこを研究していたのだろう。

 ちなみに今日は、昨日の髪型を一人で再現しようとして慣れないアイロンで苦戦して、遅れてしまったのだと。

「実際に、お母さんにもう一回やってもらったり、コツ教えてもらったりしてね」

「なんか楽しそうじゃん」

 どんな美容室で、どんな母親なのかは分からないけれど、熱心に耳を傾ける水瀬さんの隣に長峰さんがいるのはすごく想像に容易かった。

「うん! ほんとに楽しかった」

 水瀬さんは昨日の出来事を一つ一つ、大事に飾るように、愛情に溢れた優しい表情をしていた。物静かではあるものの、それはしっかり噛みしめたうえで、それでもあふれてしまうほどのうれしさの賜物なんだろう。一体どれだけうれしかったことだろう。ここまで喜んでる人を俺は知らない。

「あ、ごめん話過ぎたね、そろそろホーム、行く?」

「ああ、うん。行こっか」

 本当は今こんな楽しそうな表情をしている水瀬さんの表情を曇らせたくなかったけど、俺がそんなこと言えるわけもなく、水瀬さんの後ろを歩いた。

 いつものように改札を抜けると、この前駅員室で話した女性の駅員さんと鉢合わせた。

「あ、今日も二人とも練習?」

「はい、またご迷惑おかけします」

 俺が返事すると柔らかく微笑み、その視線はすぐに水瀬さんの方を向いた。

「あれ? 髪型変えた?」

「は、はい」

「いいね! かわいくなってる」

「ほ、ほんとですか⁉」

「ほんとほんと、よく似合ってる」

「っ、ありがとうございます!」

 駅員さんはわざわざそれだけ言うと、すぐに仕事へ戻っていってしまった。

 残された俺と水瀬さんだが、水瀬さんの表情を見るとうれしさが身体の中だけでおさまらないのか、パチパチと身体の外へもはじけ出ていた。

「よかったな」

「うん……やっぱりうれしいね。こう褒められると」

 水瀬さんはその喜びをかみしめるように少し浮ついた声でそう言った。よほどうれしかったのだろう。

「なんか、ボクだけじゃなくて、明日見ちゃんと、明日見ちゃんのお母さんもほめられてるような気がしてなおうれしい」

 いくら友達と友達の家族とは言え、髪型を褒められてスタイリストたちのことを考えることってあまりないと思う。それだけ水瀬さんにとってその二人が大きな存在になっているのだろう。名前呼びにもなっているし、ほんとに楽しかったのだろうし、長峰さんが大切な人になったんだろう。



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