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第七章

※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。

また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。


誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。

また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。


『ごめんなさい。今日は、練習休みます』

 

 水瀬さんが駅で倒れた翌日、朝起きると、水瀬さんからそうLINEが入っていた。

 夏休みだというのに朝八時にはバッチリ起きる癖がついてしまった今日この頃、眠気のない澄んだ頭で水瀬さんへの返事を考える。

『わかった。気にしないで。今日はゆっくり休んで』

 そんな当り障りのない言葉を並べて、もう一度タオルケットを羽織りなおす。

 いつもだったら簡単にもう一度眠りに入れるのに、今日は目を瞑っても上手に寝れなかった。

「…………はぁ」

 そう頭では分かっていても身体は起き上がる。仕方ない。いつもは見れない無理やり笑わせてくるような朝の情報番組でも見よう。そう思ってベッドから下りた。

 何かすることはないかと色々考えながら朝ごはんを食べて、歯磨きをしたけれど何も思いつかない。

 けれどそこで、自分が何か少しでも予定がないと落ち着かなくなっていることに気が付いた。こんなくそ暑い中外出しようなんて今まで思わなかったのに、すごい変化だ。それだけ誰かと外に出て会うってのが楽しかったのかもしれない。

 しかし、俺の周りの環境が変わっただけで俺自身は何も変わっておらず、何か自分でこの空いた時間を埋められるようなことはなく、渋々学習机に腰掛け、読みかけの文庫本を手に取る。

 フィルム貼られ、背表紙には「931」のシールが貼られた、紙の栞が挟まれたその本は、俺が終業式の前に学校で借りた小説だった。まだ途中までしか読めてなかったけれど、これで終業式の前に借りた本は最後だった。

 数日ぶりに開いたが、さすがに話は覚えている。まるでランニングするように印刷された文字を追う。まだまだ朝と言える時刻で、妙に頭も冴えていたのもあってすらすらと面白いくらいにページがめくれた。

 一時間後。残りのページを全て開き終え、一冊読み終えてしまった。

 椅子のリクライニングを倒して、大きく息を吐いた。

 ぶっちゃけ、俺好みでの話ではなかった。俺が数日手を付けなかったのもそれが原因だ。それは分かっていたし、読み進めていくと如実に好みじゃないと感じるシーンは多々あった。だけどそんな本でも、最後まで読み切ってしまうと達成感みたいなのもあった。

 読了感を味わいながら、読んだ文庫本を学校で借りた別の本の山に置く。

 今度はこの本の山を返しに行かないといけない。なら、今日は暇なのでこれを返しに行こうと思い立った。

 本当は学校へ行くとは夏休みとはいえ制服を着なければならないが、正直面倒だ。だが、運動部のやつらが自前のジャージで練習に向かう姿を、俺は昨日と一昨日に電車のなかで見かけているから、最悪「運動部です」と嘘言えば行けるかもしれない。

 そう思ったが、そもそも体育で使う学校指定のジャージを着ていけば全く問題がないことに気が付き、そそくさと体操服を取り出し、いつもの要領で駅へ向かった。

 いつもの要領で自転車を駐輪場に置いて、改札をくぐり駅の電光掲示板を見ると、今の時間が丁度水瀬さんとの練習に向かう時間であることに気付いた。こうもなると俺と水瀬さん、どっちが電車に呪われてるかわからんな。



 夏休みだというのに学校なんかに来てしまい、自分で決めたはずなのに重いため息がでてしまった。学校の最寄り駅から少し歩いて十二日ぶりの学校を拝む。いつも喧騒に包まれている校舎だけど、今日はその種類が違った。いつもよりも激しく、そして活気に満ちていた。何なら楽器の音も聞こえてくる。十時半だなんて絶妙な時間についてしまったから、どの部活もアップを終えて熱気に包まれていた。

 いつもと違う賑やかさのある校舎を抜けて、俺は図書館へ向かう。

 見慣れたガラスの扉に手をかけて、カランカランとベルの音を耳にした。

「こんにちは」

 彼女はいないと分かっているのに、俺はそう口にしていた。

「はい、こんにちは」

 俺が館内用のスリッパに履き替えていると、返事をくれる人がいた。

 そう返事をくれた司書さんは、いつも何やら仕事をしていたのか、司書室から顔だけをだしていた。

「緒方くんじゃない。どうしたの?」

「あ、えっと、本読み終えたから返そうと」

「二学期始まってからでもいいのに」

「いや、新しいの欲しくて」

 俺が今日来た理由を言うと、司書さんはとてもうれしそうに口角をあげた。

「いやぁ、ここでしか本読まないって言ってた子が家でも本読むようになったってのはやっぱりうれしいね」

 そういや図書館便りのコラムの話が舞い込んできた時、家じゃ読まないなんて言ったっけ? 現に家でも読み始めたのはずっと家にいても暇だからだし、褒められた理由でもない。

「別に。漫画と小説、あとサブスクを往復してるだけなんで」

 カバンから小説を出すと、司書さんはすぐにピッピッとスキャナーにバーコードを通していく。

「理由なんて何でもいい。活字読むことは悪いことじゃないから」

「まあ、そうですね……」

 実際小説、漫画、アニメにドラマ、映画と色々触れてきて小説だけは一度得た情報を脳内変換する作業がいるし、その変換作業のなかで作者の思い描いた情景を読者に浮かばせるためにどうしても情報量は多くなるから、そこを面倒くさいと活字から距離を取る人の気持ちも分かるが、色々試してだからこそ自分が思う情景が脳内に浮かんで俺は楽しかった。

 とくに小説原作の作品だと、漫画は絵が、アニメやドラマでは演技が、思っていたものと違うとガッカリするものだが、小説に関してはよっぽどのことがない限りそう言うガッカリはなかった。回りくどいなと思う事はあれど、脳内に映像としてダイレクトに生まれるから疲れと共に読了感もあって悪くなかった。

 ちなみに、これと面白い面白くない、好み好みじゃないかはまったくもって別問題だ。

「…………司書さん」

「ん?」

「なにかオススメあります?」

 小説を読み始めてまだ日が浅い俺には何が人気で、何が面白いとされているのかまだよくわからない。そういう時は詳しい人に聞くに限る。好みこそあれど、失敗はあまりないし、何より小説でもアニメでも漫画でも、好きな人にそう聞くとその人がすごくうれしそうな顔をするのだ。

「ふふーん、えっとね――――」


 〇 〇 〇


 司書さんから何冊か見繕ってもらい、俺は図書館を後にした。なんか、思ったよりいっぱい教えてもらってしまったが、こんなに読めるだろうか? 

 そんな一抹の不安を抱きながら、俺は目の前にある校舎を見つめた。

 少し、好奇心をそそられて俺は校舎に入っていった。いつも入っていた校舎だが、夏休みということもあってまた別の色を見せていた。いつもの喧騒とはまた違う、人の喧騒ではなく、吹奏楽部の楽器の音や、職員室や生徒指導室から漏れる先生のどこか気楽そうな声が時より耳に入ってきた。全ての教室という訳ではないが、普通の教室で吹奏楽部が練習していた。こんな暑い日に、エアコンがないところで練習なんてしようものなら倒れてしまうからという配慮か、数人ずつ楽器にわけて教室で練習を行っていた。

 いつもと違う学校の色を見ていると、俺の教室である一年一組の教室の前までやってきていた。その教室の中を見てみると、吹奏楽部の練習には使われておらず、代わりに制服姿の人らが数人と、見覚えのある絵が見えた。

 とても大きな布の用紙に書かれたそのライオンのイラストは、終業式前に見た学級旗のイラストと同じだった。中では美術部のメンバーが学級旗の制作に取り掛かっていた。もう下書きは終えて、塗りの段階の入るところだろう。線画はあの日見たライオンの凛々しさがそのまま上手に表現されていた。

 大したもんだなと、上から目線なことを思っていると、ガラガラと教室の扉が開いた。

「えッ⁉ 緒方くん!」

「うわ、長峰さん?」

 そこにいたのは美術部ではないはずの長峰明日見だった。今の俺と同じ学校指定のジャージに身を包み、両手には使い古されて絵の具がこびりついた黄色いバケツを器用に四つも持っていた。

「え? なんで長峰さんがここにいるの?」

「なんでって、学級旗の手伝いだけど」

 いや、まぁそれはそうだろうけど、と思い中を見るとそう言えば人が少なく、二人しかいない。

「学級旗の制作。今日、織岡さんと杉本さんが体調不良でお休みなの。それで、本当はみんなもお休みにするって話にもなってたんだけど、その二人が個人で二人とも私に連絡をくれてさ。一日でも早く完成させたかったんだって」

 そう言えば長峰さん「人手が欲しくなったら私に言ってね」とか言ってたな。それで長峰さんにお鉢が回ったのか。

「なるほどね」

「緒方くんは?」

「俺は図書館に本を返しに」

「ふーん……」

 長峰さんは俺のことをつま先から頭のてっぺんまでじーっとなぞるように視線を向けた。

「え? なに?」

「体操服。手伝いに来てくれたわけじゃないの?」

「え? よ、呼ばれてない呼ばれてない」

 俺は顔を左右にぶんぶん振って否定した。だって、室長でコミュ力もあって、フランクな長峰さんに声がかかるのは分かるが、LINEの交換をしていないどころか、話したこともほとんどない俺に声をかけるのは意味が分からない。

 でもそう考えると、意味が分かってしまう長峰さんはなかなか大変だなと思う。

「あ、そうなんだ…………えっと」

 長峰さんは両手に持った黄色いバケツをカランカランと音を立てて俺のことを見上げてきた。

 その目はどこか媚びるような意識があって、妙に俺のことを凝視していた。

「……分かったよ。手伝う」

「ありがと!」

 長峰さんは左手に持っていた黄色いバケツ二つこちらを勢いよく向けてくる。確かに今は軽くて問題ないだろうけど、この四つに水を入れれば四つ持つのは厳しいかもしれない。

 カバンを背負いなおして、長峰さんと二人で肩を並べて廊下の端にある水道へ向かう。

「水ってどれぐらい入れるんだろう?」

「少なすぎなかったらどうでもいいんじゃない」

 小学生の頃のつたない知識で話したけれど、別に筆先洗うだけだしいいんじゃないかな。

 それで長峰さんは「そっか!」と言って蛇口を思いっきりひねり出した。だけど水が跳ねだしてすぐに蛇口を少し締めた。俺も隣の蛇口をひねり、水を入れる。

「そういえばさ」

 この水が入るのを待つだけの時間、どうしたものかと思っていたのも束の間、長峰さんはすぐに話を切り出してくれた。

「水瀬さんのことなんだけどさ」

「え」

 その時出てきた名前に思わず変な高い声ですぐに反応してしまった。俺の反応が変だったか、こちらを見ている長峰さんと目が合った。

「え、水瀬さんがなに?」

 俺が聞きなおすと、視線をバケツに落として「えっとね」と切り替えながら、バケツを少しずらして水を隣の溝に入れ始めた。

「水瀬さんの誕生日、緒方くんは何かするの?」

「誕生日?」

 またまた予想外な言葉が飛び出してきた。

「あ、何も考えてなかったな?」

「う……」

 絵にかいたような図星な反応に、長峰さんは挑発するような笑みを浮かべた。

「日付も知らないでしょう」

「し、しらない……」

「八月二日だよ」

「八月二日……」

 思っていたよりも時間ないな。後一週間しかない。

「緒方くんは何かするの?」

「うーん……せっかくだから何か贈りたい、かな」

「……ふーん……」

 俺は当たり前のことを言ったつもりだったのだが、長峰さんは何か言いたげに唇を尖らせて、バケツを最後の一つの溝に水が入るようにずらした。

「なんだよ」

「いやぁ、別にぃ」

 明らかに面白がっている口調が若干鼻についた。何が面白いのか、ずっとクスクス笑っていた。その間に二人とももう一つのバケツに水を注ぎ始める。

「何かおかしなこと言ったか?」

「えぇ? それに気づいてないってことは相当だね」

「なんだよ教えてくれ」

 そんな風に言われるとものすごく不安になる。自分で知らぬ間に墓穴を掘っているのかもしれないし、もしそうなら今すぐやめたい。

「まずね、誕生日に何か贈りたいって思うのは間違ってないよ。現に私もプレゼントはしようと思ってるし」

「だろ?」

「うん。とても仲のいい友達同士ならね」

「……ん?」

 長峰さんはさも何か含みのあるような口調で続けたが、まだ俺にはその意味がわからなかった。

「二人とも、まだ夏休み始まって二週間も経ってないのに何かあったんじゃない?」

「ッ、あ…………あぁぁ……なるほど、そういうことね」

 たしかにそれなりに仲良くないと誕生日プレゼントを贈ろうなんて思わない。現に俺が今までそうだった。わざわざ誕生日を意識してプレゼントに何を贈るかとか考えたこともなかった。

「夏休み始まる前はプレゼント贈りあうような仲じゃなかったよね?」

 長峰さんは満足そうにケラケラと笑った。何が一体そこまで面白いのか、俺が水瀬さんと会っているのがそれだけ面白いのだろうか。

「で? 何かあったの?」

 しかし、スイッチを切り替えるように長峰さんは真剣なトーンでそう聞いてきた。表情にはまだ微笑みが残っているものの、口調はとても真剣だ。

 たしかに、何かあったかと言えば何かはあった。長峰さんが電車に乗ろうとしていて、失敗して、まだ三日目だけどそれを手伝うようになって、それまで週一回の図書委員くらいのつながりしかなかったのに比べたらすごい発展だと思う。

 だが正直、それを長峰さんに言っていいものか少しだけ悩んだ。

 長峰さんのことを信用していないわけじゃない。だけど、水瀬さんは電車に乗れないというコンプレックスをすごく気にしている。俺はたまたまその場に居合わせて知ってしまったが、それを他人の俺が勝手に言いふらすのはさすがに違うと思った。

「…………うーん」

 それもこれもほんとは本人に確認しなければならないのだが、今連絡するのも変な話だしな。

「いや、何もないよ」

 意味がないと分かっていながら俺はそう濁した。

「……ふーん」

 長峰さんはムスッと気に入らない表情で俺を睨む。向こうも俺が嘘をついているのは分かってるだろうし、俺自身も紛れもなく嘘をついているから罪悪感がすごく、俺はつい視線をそらしてしまう。

「ま、いいよ。言えない理由があるんだろうし」

「ごめん……」

 長峰さんはキュッと蛇口をひねって水を止める。

「悪いことじゃないんでしょ?」

「もちろん」

「だったらいいよ。ほら、いこ」

 水がたっぷり入ってここに来る時とは比べ物にならないほど重たくなったバケツを両手に持って長峰さんは教室へ向かう。俺もそれに置いて行かれないように後を追いかける。

「ちなみにさ、参考までに長峰さんは水瀬さんに何贈るの?」

 廊下を歩いている間の沈黙がキツくてそう長峰さんにそう問いかけてみた。女の子へプレゼントなんて贈ったことなくて、何を贈ったらいいのか全く見当もつかなかった。

「緒方くん、夏休み前の図書館で私になんて言ったか覚えてる?」

「え? えっと」

 たしか、クラスの吉村が水瀬さんのことを糾弾した日で、それをどうにもできなかったと悔しそうにだけど八方ふさがりな状況に、長峰さんは参ってる様子だった。そんな状態で俺の目の前でつまらなそうにスマホを見ていた長峰さんを見て、俺は一つ提案した気がする。

「……『その髪のこととか、教えた上げたらいいんじゃない?』って、感じのこと言った気がする」

「そうだねそうだよ。君はたしかにそういった」

 お、おう、うろ覚えだったが当たっていたらしい。なんかたしかにそんな感じのこと言った気はするけれど、それを言ったのは俺なのに長峰さんが少し誇らしげだったのは若干鼻についた。言わないけど。

 それと一緒で、恥ずかしいから長峰さんには言わないけれど、あの時のシャンプーの香りが仄かに鼻をくすぶって、ちょっと気だるげな、ダウナーな雰囲気すらまとってた長峰さんがいつもよりかわいく見えた。今はいつものポップな感じだけど、あの時の間近でみた長峰さんもよかったと思う。

もう一回見せてくれねぇかな。

「だから、私にしかできないプレゼントをするつもりです!」

「そ、そうか」

 よほどの自信があるのか、胸を張って高らかにそう告げた。

「で、それは具体的になんなの?」

「……」

 長峰さんはまたムスッとした表情を俺に向けてくる。

「それ聞いちゃう?」

「え? ダメだった?」

「ダメってわけじゃないけど……」

 ダメってわけじゃないけど、長峰さんは言いたくないのだろう。今この廊下に小石が転がっていれば蹴ってそうな不貞腐れた様子で俺にそう言っている。そこまで渋るのならそれ以上追及することもできず、俺はまた一人頭を悩ます。

 何か参考になればと聞いてみたが、結局教えてくれたのは俺が言ったアドバイスをもとにしてるってことだけで、女の子のことに関しては俺が分からないから長峰さんに提案、おまかせしたので俺に何かできるとは思えない。仕方ないから、一から考えるか。

「でも、私のプレゼントをさらにいいものにするために緒方くんにも協力してもらおうかな?」

「どゆこと?」

「そのまんまだよ。私のプレゼントがより効果的になるものを渡してもらおうかなって」

 うーん、それでもいいけど、なんかそれは手の上で踊らされている感あって嫌だな。

 しかし話だけでも聞いてみるか。

「で、俺は何を贈ればいいの?」

 それが合意だと思われたのか、長峰さんは嬉しそうに俺の方に駆け寄ってくる。水が零れないように一度バケツを床に置いてからスマホをポケットから取り出す。

「えっとね? 緒方くんにはこういうのを贈ることも考えてほしい」

 そういって差し出されたスマホの画面をのぞき込む。

「…………ふむふむ、なるほど」

「多分こういうの贈れば、私のプレゼントとも合うし、喜んでくれると思うよ? また考えてみて」

 参考例としていくつか画像を見せてもらって、大体イメージはできた。だけど、それは俺が今まで考えたこともなかった部類の品だし、ちょっと考えさせてほしいけれど、長峰さんが「合う」と言うのだから勇気を出してもいいのかもしれない。

「そろそろ戻らないと、二人とも心配するかな?」

「あ、やべ」

 つい話し込んでしまったが、俺たちは今美術部の二人が絵を描くための筆を洗う水を入れに行っただけなのだ。あまりに遅いと心配かけちゃう。一端プレゼントのことは後回しにして、二人で急いで教室に戻る。

「ただいまー!」

 長峰さんがそう元気に教室に入ったが、美術部の二人はそんな長峰さんには目もくれず、俺の方を見て固まっていた。

「あ、お邪魔します」

 なぜこいつがここにいる⁉ とでも言いたげな困惑した顔で俺のことを見てくる二人に会釈だけして俺は筆洗いのバケツを床に置く。

「え、えっと、緒方くんも手伝ってくれるの?」

 石動と言ったか、美術部唯一の男子が、俺のほうを見てそう聞いてきた。

「うーん、ほんとはたまたま通りがかっただけだけど、何か手伝うことあったら手伝うよ」

 実際帰っても暇なだけだし、何かやることがあるのなら手伝ってもいいと思う。絵の知識も技術もない俺が何かの手伝いになれるとは思えないけど、いてもいいというのなら頑張ろうと思う。

 そういうと石動くんはもう一人の部員である宇崎さんのほうを向いて、アイコンタクトを送った。二人でこいつをどう利用しようか考えているのだろう。

「…………うん、それじゃあ、手伝ってもらおうかな」

「よしきた」

 それから美術部の二人から説明を受けて、二人の指示に従いながら、俺と長峰さんを含めた計四人で学級旗の制作に取り掛かった。美術部二人の邪魔にならないように、下書きを清書しながら、文字の部分を黒く塗りつぶす。

 たったそれだけの作業だったけれど、クラスのこういった行事に自分がかかわっているのは妙な気分だった。それもこれも、高校デビューに成功して人望もある長峰さんについてきたからだろうか? これが、変われた人の強さか。

 だけどこの人の周りには吉村さんみたいに考えの違う厄介な人もいる。長峰さんなりに頑張っているのだろうが、もしよければ俺と同じように水瀬さんもこの人の近くにいていい風に好転してほしいなと、切に願っていた。


○ 〇 〇


「昨日はごめんなさい」


 翌日の十時すぎ、ヘアピンで前髪を留めた水瀬さんは、駅に着いてすぐに俺に向かって頭を下げた。

「ドタキャンしてしまって」

「いいよ。あんなことがあったんだし」

「……」

「そういうこともあるよ。すぐに出来たら練習する意味もないんだし」

「そうかも、ですけど……」

 なんと言ってやるべきなのかわからなくて、それっぽい言葉を選んでしまったがどれもうまく響いている様子はなかった。

 そうして始まったいつもの練習だけど、その日は特に進展はなかった。だけど一昨日のことがまだ尾を引いているという感じはなく積極的に挑戦しようとしている姿勢は垣間見えた。十時から十一時までの一時間でやってくる四本の電車のうち、三本にはドアの前まで行って頑張ろうとしていた。

 しかし結局はその四本すべてを見送る結果になってしまった。

 終わった後、やっぱり水瀬さんは不甲斐なさそうに凹んでた。というより、今日はずっと一昨日のことを引きずってる様子だった。こんな練習に身を入れるってのも変な話だけど、ずっと上の空な様子だった。

「じゃあ、また明日」

 暑さもあるだろうが、やっぱりどこか疲れてる様子で水瀬さんは最後に笑った。無理しているのが見え見えだ。

 そんな彼女にずっと言いたかったことがある。一昨日俺も言われて少しうれしかったこと。もしかしたらプレッシャーに感じるかもしれない。でも、少なくとも俺は嬉しかったし、もし水瀬さんもそう思うのなら、この気持ちは共有したい。

「待って」

 声をかけると水瀬さんはそこでピタリと足を止めてこちらを見つめた。

 とても無機質な顔。何を言うのもはばかれるようだったけれど、俺はぐっとこらえる。

「あのね……一昨日、駅員さんと少し話をしたんだ。もちろん、水瀬さんの細かい事情は話してない。痴漢にあって、電車に乗れなくなったって……それで、乗れるようになろうとしてるって、そう言ったらさ」

 情けなくも、うつむきながら逃げるように早口でそうまくし立ててしまったが、ふと顔を上げると目の前で水瀬さんは確かにしっかりと聞いてくれていた。

 俺は最後の言葉を言うのに、まだ少し緊張しながらはっきり言った。


「――――『応援してます』って、言ってくれたんだ!」


 あの時駅員室で、女性の駅員さんは俺に「陰ながら応援してます」とたしかに言った。あまり人に進んでいいたことでもないから家族以外に言ったことはなかったのだが、こうして第三者に応援されるのはこの時が初めてだった。

 周りからの印象はお世辞にもいいとは言えない水瀬さんのこともあって、こうして誰かに応援されるなんて思わなかったのもあってそれがすごくうれしかったのだ。

「……ごめん、それだけ」

 言い終えてしまうとたったそれだけのことで何を必死になっているのだと、自分がバカらしく思えてきた。

「…………そうなんだ」

 水瀬さんがぽつりとつぶやいたのが視界の端で見えた。その表情を確認するのが少しだけ怖かったが、恐る恐る彼女の方をみやると、彼女はなんてことなさそうな平々凡々な顔をしていた。あまり何も感じていない様子だ。

「よかった」

「うん……ごめん、引き留めて」

「ううん。じゃ、また明日」

 そう言って今度こそ本当に別れて、俺は一人駅舎に戻った。

 あんまり響いた様子はなかったな。もしかしたらプレッシャーに感じていたりしたかもしれない。そうなるとまさしく悪手だったな。と、一人反省会に明け暮れた。

 でも、なんでだろう? 水瀬さんこういう人からの好感は素直に受け取る人だと思ってた。

 これももしかしたら思い込みの一つなのかもしれない。


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