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第四章

※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。

また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。


誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。

また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。

 三者懇談が終わり、教室を出るともう次の人たちが待っていた。ボクが今まで話したことない人で、ボクから何か言う事はなかったけれど、お母さんはは律儀に「こんにちは」とかしこまって挨拶をして、しっかり外向けに良い顔をしていた。

 教室を後にして、お母さんと二人で廊下を歩く。

「あんた、やっぱり友達いたのね」

「うん」

「まさかとは思うけど、もちろんその人はあんたが男だって知ってるんでしょうね?」

「知ってるよ。緒方くんにはボクから言った」

「へえ。あんたが自分からいうなんて思わなかったわ。なんでその子には自分から言ったのよ?」

「……その子には、嘘をつきたくなかったから」

 別に他の人にだって好きで嘘をついているわけじゃない。でも緒方くんははじめてボクのことを本当に心配してくれる人で、嘘をついていることがこの上なく苦しかった人だった。もちろん、長峰さんもそうだ。後三日の我慢だと、彼女のことは割り切っているが、正直すごく申し訳ない。

「その子が原因?」

 お母さんはまるで探るようにボクに告げた。

 恐る恐るお母さんの顔を見上げるとボクと身長はほとんど変わらないはずなのに、見下ろすような形でボクの瞳を見ていた。

「何の?」

「あんたがまだそんな恰好を続けられることは、その子が原因かって聞いてんの」

 つらつらと微細な毒を含んだ言葉が出てくる。

 原因。理由とは違って、どこかマイナスのニュアンスがある言葉をお母さんはわざと使い分けたのだろう。ボクが誰かと一緒にいて、この格好でいることはお母さんにとってやっぱり悪いことなんだろう。

「違う。緒方くんがいなくても変わらないよ」

「……よくもまぁ独りでそんなこと続けられる」

 お母さんはため息をついて呆れた。

 ほんとに呆れたいのはこっちの方だ。お母さんがボクのことをどう思うのか、ボクの方からはどうすることもできない。だけど、ボクのことを思ってくれていた緒方くんの名前を聞き出したり、先生に反発したりするのはこの人の独りよがりなはずだ。ボクが批判されたり、怒られたりするのは仕方ない面もあると思う。でもそれで周りの人が苦しむことは、絶対に認められない。

「ねえお母さん。なんでボクに友達がいることにそんなにこだわるの? なんで先生にまであんなこと言ったの?」

「はい?」

 ボクが足を止めて言うと、お母さんも足を止めて数歩先の場所で振り返ってこちらを見た。

「お母さんがボクのことを疎ましく思っているのは分かってる。今更認めてくれなんて……もう思わない。だけど、それで先生に当たるのは違うでしょ? 先生は先生だからああいうんだよ? お母さんがあんな風に憤ってまくし立てるのは、ボクが見ても大人げなさすぎるよ」

 そういうボクも今まさに憤って言葉をまくし立ててしまっている。似た者同士って言えばそれっぽく聞こえるが、実際そんなわけないしただお互いにこうして校内で言葉を荒げるほど本気なんだ。

「あんたに『大人げない』なんて言われたくない! 子供みたいなワガママばっかり言って、周りに迷惑かけることしかできないくせに!」

「そんなこと分かってるよ! 今そんなこと聞いてるんじゃない。なんで周りの人にも当たるのかって聞いてるんだよ⁉」

 学校でこんな風に叫んだのは初めてだった。声変りがほとんどなかったとは言え、元々の声帯の造りは男だから声は男らしくなってしまうのだが、今日までたくさん練習して、実際に人とも話したことが相まって、いつもの声質のまま声を張り上げられるようになった。

「チッ、あんた……」

 それをお母さんも気づいたのだろう。ボクのことを下卑た目で見下ろしてため息をついた。

「…………あたしがあんたをその格好で学校に通わせてるのは、あんたを諦めさせるためよ」

「っ……」

 お母さんは低い声で言った。

「何、言ってるの……?」

「誰があんたのことを認めようとそんなんじゃこれから生きていけない。だから一回、こっぴどくいじめられて、自分の愚かさに気付いてほしかった。あたしらでどうしようもないってんなら、同い年の子たちにどうにかしてもらうしかないじゃない」

「…………本気で言ってるの?」

 いじめてもらうって、親が子供に言うセリフかよ。

 自分の母親から出た言葉が信じられなくて、ボクはその場でたじろんだ。

「嘘言っていると思う?」

「っ…………⁉」

 これまでも何度も怒ってきたし、分かり合えないと何度も繰り返し理解してアップデートしてきたはずだったのに、まだボクの眼には涙が浮かんでくるし、喉も震えている。それまで感じていた怒りも消えることはなく、ずっと胸の内でくすぶっている。

「だから、あんたの周りの人間にはそれなりに普通の感性があるって信じてた。でもそうじゃないみたいね。今しか見てない。今自分が楽しければ、気持ちよければそれでいいって、本気で思ってるんでしょうね。年端もいかないあんたの同級生ならまだしも、担任教師がそんなスタンスだったから、ちょっと腹が立っただけ」

 お母さんが苛立ち混じりに心情を教えてくれた。

 お母さんが一貫しているのは「今」のボクを否定すること。昔はボクにきつく当たる人ではなかったし、今のボクの生き方がどうしても気に入らないって感じだ。そして今回の三者懇談で、「今」のボクを良しとする環境にも嫌気がさしたって感じだろう。

「一応、今のあんたに言っておくわ」

 すると、お母さんはそれまでよりも真剣な表情で黙りこけたボクを見下ろしてこう告げた。


「あんたを認めてくれる人がいるように、絶対にあんたを認めれない人もいる。残念だけど、社会じゃまだ前者の方が少数派。だから「今」の状況に胡坐をかいて、驕らないことね」


「…………」

 お母さんの言葉は忠告だった。でも脅しなんかは含まれてなかったし、心配しているからこそ出た忠告のように聞こえた。

「じゃあ、あたし先帰るから」

 そういってお母さんはボクを置いて廊下を一人で歩き出した。

 一人いつものように駐輪場に向かい、自転車のサドルに腰を下ろす。まだまだ太陽が昇っている時間で、暑さに苦しむように蝉がそこら中で鳴いていた。それを鬱陶しいと思う事は無くて、むしろ絶え間なく鳴いているはずなのにいつもより静かに聞こえるほどだった。

 お母さんがボクのことを心配しているようなことを言うのが意外だった。

 もしうちのお母さんがボクの将来を心配して強く当たって、今のボクのこと否定してくるのだったら、ボクはあのお母さんのことを許さないといけないのだろうか?

 ボクの事を毎晩怒鳴り、汚物でもみるような目を向け、冷たくあしらい、ついにボク以外の人にも言葉をまくしたてるような人の言うことを訊いてボクは男に戻らないといけないのだろうか?

 お母さんの言っていたことはおそらく正しい。

 男の身で女として生きるなんて無理に決まっている。そんな道を進む子供を叱り、止めようとするのは親として当然のことだ。正しいのはお母さん。間違っているのはボク。お母さんは自分が正しいと分かっているから強く当たってこれるんだ。

 そして正しいお母さんに反発し続けているボクは悪なんだろうな。

 それまで見えてしまっても見ないようにしていたお母さんの言動と行動の正当性を目の当たりにしてボクは何もできなくなってしまった。

 今ものうのうとセーラー服を着て学校に通っているボクは悪で、それを咎めるお母さんが正義。

 着るだけで吐き気と寒気が絶えなかった学ランを着て学校へ行くことが正しくて、着れるだけでホッと心が軽くなるセーラー服を着て、なりたい自分になるために化粧を施すことが間違ったことなんだ。

 理屈では分かる。実際、お母さんがボクを一度学校に泳がせてその間違いを体感させようとしたみたいに、学校でのボクを見る目はたしかに辛い。気持ち悪い。

でも、でもでも、でも………………理屈で分かっていても、本能ではどうしても否定してしまう。その結果が今のボクだ。自転車に跨り、ハンドルに頭を乗せて項垂れる情けないボク。

「…………うぅ」

 目を瞑って絞りだすようにこぼれたのはそんな情けない小さな声だった。

 屋根があって影になっているとは言え、夏の暑さでじんわりと汗がしたたっていた。

 胸の中にはそれまで隠して抑えていた罪悪感が沸騰したやかんみたいにブクブクと溢れていた。長峰さんと映画を見た時にも感じたこの感覚が募りに募ってあふれてしまった感じだ。

 このストーリーの悪役は水瀬あおいただ一人。それを改めて痛感してボクは顔を上げた。

「帰らなきゃ」

 自分に言い聞かせるようにあえて口にした。汗がずっとしたたってメイクが崩れてしまう。醜態を魅せる前に帰って着替えなきゃ。

 そうしてボクはまた逃げた。自分が悪役であることを自覚しながら、退場の方法から目をそらして目の前のことを言い訳にペダルに体重をかけるのだった。


 〇 〇 〇


 夏休みが始まった。

 高校生になって初めての夏休み。人生で三年しかない、唯一無二のかけがえのない大切な行事。部活に明け暮れたり、友達と旅行に行ってみたり、はたまた将来のために塾へ通って努力するのもいいかもしれない。と、頭では分かっていながら、どうせ悠々自適にエアコンが効いた部屋のなかでアニメや漫画を見て刻々と消費していくんだろうなと、フィクションの世界で見る夏休みのようなものは諦めていた自分がいた。

 別に一人でゆっくりするのも悪くないと思っているし、むしろそんなことできるのは今しかないとすら思っていた。丁度近所のレンタルショップでレンタルコミックの半額クーポンが出ていたのでこれを機にと気になっていた長編漫画を20冊借りて読みふけっていたのが昨日までの出来事。

 夏休みが始まって九日。夏休みの空気にも慣れた今日この頃、俺、緒方陽彩はそれまで借りていた20冊の漫画たちをまとめてレンタルショップに返却していた。

 俺は駐輪場に止めてある自分の自転車にまたがる前に、腕時計で時間を確認する。時刻は九時半ごろで、約束の時間に間に合わそうとすると、そろそろ駅へ向かわないといけない。俺は駅まで少し自転車を漕ぎ、つい十日前まで毎日使っていた駐輪場に自転車を置いて、これまたいつものように駅の改札にスマホをかざす。残高は640円。ほぼ定期間しか移動できないが、今日はそれで十分だ。

 社会は夏休みなんてものはないし、いつもの平日ダイヤで当たり前に電車は動いているのだが、こんな時間にこれまで使ったことがなかったので、掲示板に書かれた時刻と、朝とは別格の日差しを照り付ける夏の空気に、いつも使っている駅なのに妙に新鮮味があった。

 いつもと同じ車両の電車が到着し、俺は毎朝使っている電車に乗り込んだ。

 制服のスラックスとは違う、ジーパンでいつもの座席の感触を感じつつ、いつもよりも人が少ない車内で俺はスマホに目を落とした。LINEを開いてある人に連絡を送る。

『いま電車に乗った。もうすぐ着く』

 そうメッセージを送ると、すぐにピコンと返事が返ってくる。

『はい。気を付けて来てください』

 返事の速度的にもしかしたらスマホを手に待ってくれていたのかもしれない。

 でもただ数駅電車に乗って移動するだけなのに「気を付けて来てください」というのはどうも彼女らしいなと、彼女のバックボーンに想いを馳せた。

 しばらく電車に揺られて、今までここから最寄りのショッピングモールへ行くために直通バスに乗り換えるためにしか降りたことない駅に降りる。改札を抜け、0円の文字を確認してから出口へ向かう。

 バス停に直行するわけもなく、キョロキョロあたりを見渡してと目的の人物を探してみる。

「あ、あのっ……」

 すると、背後から突然声を掛けられた。

「あ……」

 踵を返すとそこには待ち合わせの人物である水瀬さんが立っていた。

 いつものセーラー服じゃなくてチノパンを履いて、白いTシャツの上から薄手のカーディガンを羽織っていた。カーディガンは日焼け防止か、無難な雰囲気にはまとまっているがどこか清涼感すら感じるその私服に思わずドキッと心臓が跳ねてしまった。

 今日は会う約束をしていたのに、二人とも改めてお互いのこと見つけると言葉に詰まってしまった。

 えっと、こういうときはいつも通り……

「こ、こんにちは」

 ほんとはもっと早くこんな挨拶は済ませておくべきだったのだろうが、俺だけかもしれないが水瀬さんとの間で交わすこの挨拶は他の人と交わすものとは少しだけ違っているように思っていた。どんな日だろうと、俺たち二人が顔を合わせる毎週月曜日の図書委員は、必ずこの挨拶から始まるのだ。

「こんにちは」

 水瀬さんも挨拶を交わすと少しだけ表情に余裕が見えてきた。もしかしたら、水瀬さんもほんの少し特別に思ってくれているのかもしれない。

「じゃあ、えっと……い、行きましょうか」

「はい。よろしくお願いします」

 今日は二人だけでやることがあった。俺はさっき出てきた駅舎へ足を向けて、水瀬さんの少し先を歩いてすぐに改札をくぐった。ピッという音がして、二人でホームへ向かい、ベンチに腰掛ける。

「…………」

「…………」

 二人して電車が来るのを待つ。電光掲示板を見れば次の電車までもう少しだけある。何か気の利いた話でも振れればいいのだが、ちらりと横に座る水瀬さんの表情を見て口を開くのをやめた。

 二人会話もなく、電車を待っていると電車は定時にやってきた。

 丁度俺たちの前に停車し、扉が開いた。俺たちはこれに乗るためにここにきているのだ。今すぐ席を立ってあの扉をくぐらないといけない。実際俺たち以外にこのホームで待っていた人たちはもれなく全員電車に乗り込んでしまった。

「…………」

 ちらりと横を見やる。

「ハッ…………あっ、え…………あ」

口を半開きにして苦しそうに荒い呼吸を繰り返し、電車の扉を見つめる水瀬さんがいたたまれなくて俺は何も言わずにもう一度電車に視線を戻す。

 丁度汽笛が鳴り、扉が閉まってしまった。

「……………………ごめん、なさい」

 聞こえてきたのはセミや外の車の音にかき消されそうなか弱い声。

「ボクが、情けないばかりに…………」

「そんなこと思ってない」

 俺は立ちあがり、近くにあった自販機にスマホをかざしお茶を一本買った。ピピッという音と共に表示された残高は残り470円。お茶のくせに高すぎるだろ。

「ほら」

 水瀬さんに向かってお茶を差し出す。

 しかし水瀬さんは首を左右に振った。「今は、いい」という小さな言葉に、それもそうかと一人反省した。

 俺はもう一度水瀬さんの隣のベンチに腰掛ける。

「無理するなよ」

「うん」

「キツかったらいつでも言えよ」

「うん」

「お茶ほしかったらいつでも言ってくれ」

「……やっぱり、一口もらっていいですか」

 俺はもう一度水瀬さんに向かってお茶を差し出す。その時顔を上げた水瀬さんと目が合ったが、ほんの10分か少し前に見た表情とは見違えるほど蒼白になっていた。

 水瀬さんはお茶を一口ゴクリと飲むと「ぷはっ」と呼吸をし直して少しだけ空を見上げてため息をついた。

「…………がんばろう」

 そんな抽象的なことしか言えなかったが、今の俺には彼女のことを見守る事しかできない。


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