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第十八章

 スカートを履いてから、ある意味枷が外れたんだと思う。

 あの日スカートを買ってから、そう言うものを買うのに躊躇が無くなった。服とかは高くてそんな高頻度で買えないし、外にも着ていけないので最低限しか買わなかったが、色々調べて毎月もらえるお小遣いのほとんどをメイク用品に使うようになった。自分の肌の特徴とか今まで気にしたことなかったから、あてずっぽうで色々買ってみているが、たまに信じられないくらいハズレを引く。一度、化粧水を変えてみて顔中が痛くなった時はただひたすら泣いてしまった。

 そんな失敗をしながらも、ボクが初めてスカートを履いてから一年弱が経った。

いつの間にか中学二年生になったボクは、化粧ポーチを小学生の時から使ってる勉強机の一番大きな引き出しの奥にしまった。

「……はぁ」

 今日は金曜日。お風呂も上がって、他の男の子よりも少し長い髪も乾かして、化粧水もつけて乳液でフタもして、ポカポカした心地いい眠気だけが残っていた。

 宿題は明日すればいいし、別にしなければいけないこともそうない。だったらこの眠気に任せてベッドに入ってしまおうと思い、もぞもぞとベッドの厚い掛布団の中で身体を丸めた。

 目を閉じれば寝てしまいそうで、ただただ布団の温かさが気持ちいい。

 …………あ、そう言えばクラスの女の子たちが知らない化粧品メーカーの話してたな。

 名前なんだっけ? えっと、あ、たしか……

 充電器に刺したままのスマホに手を伸ばし、思い出した名前をyoutubeで検索してみる。すると何個も紹介している動画があって、適当に流し見てみる。なるほどね、たしかに値段もそんなに高くないし、中学生でも手が出るかもしれない。でも今紹介してるコレは多分ボクの肌の色とは合わない気がする。どうだろ、意外と問題なかったりするのかな? 

 なんて考えながらかれこれ一時間近くポチポチスマホを触って目を傷つけていたのだが、ふとボクの部屋から見えるリビングの明かりがまだついていることに気が付いた。

 今日はボクがお風呂一番最後だったから、二人はとっくにお風呂あがってるはずなのにまだ寝室に行かずにリビングにいるのだろう。晩酌とかしてる感じでもなかったが、何かあるのかもしれない。なんて考えていると、いつの間にかボクはスマホを手から落としていて、それに気づくこともなかった。


 〇 〇 〇


 次の日、お父さんと昼食に出かけることになった。、二人だけで外食なんて久しぶりだった。

「なんか珍しいね」

「そうだな」

 行き先は来来亭で、ボクは味玉ラーメン、お父さんはこってりラーメンに、二人で分ける用のギョーザを注文した。少しニンニクが気になったが、今日はもう誰とも会わないし問題ないかと割り切った。

「お母さんは?」

「なんか用事があるんだと」

「ふーん」

 なんかお父さんにしてはあまりに要領を得ない中途半端な返事だった。

 梅干しを二つ、小さなトングで取り皿に移し、一つ口に放り込む。あまりの酸っぱさに両目を強く瞑ってしまったがすぐに甘みをまとったうまみが後追いでやって来て美味い。口許に小皿を持ってきて口の中に残っていたタネを吐き出す。

「……いつの間に梅干し食べれるようになったんだ?」

「え? いつの間にって……いつだろう」

 いつ梅干しを食べられるようになったか、なんてそれまでも別段梅干しが大嫌いだったわけでもないし、あまり深く考えたことはなかった。だけど今目の前に梅干しがあったから一つ頬張ったまでだ。ちゃんとおいしく食べられたし、それ以上でもそれ以下でもない。

「父さんの知らない間に成長してたんだな」

「ちょっと大げさなんだけど」

「あはは……」

 お父さんはらしくないことを言ったが、その顔はどこか疲れている様子だった。

 たしかにお父さんは出張も多かったし、家を空けることも多かった。昔は寂しくもあったけど、今はさすがになんとも思わないし、仕方ないとも分かってる。だけどそれはお父さんにとって何か引っかかることがあるのかもしれない。

 そうこうしていると二人のラーメンと餃子が届いた。律儀に手を合わせて「いただきます」と口にしてから麺を啜る。うん、めちゃくちゃ美味い。だけど、ボクが軽快に麺を啜るのとは対照的に、お父さんはどこか浮かない顔で箸を動かしている。

「……」

 不審に思ったが、食事中に何か話す気にもなれず、もう一度丼に目を戻した。なんか、さっきより味薄いな。

 それから餃子を半分こし、残してた梅干しをスープの中で溶いて麺と絡めると美味しすぎて小さく「うま」と口にしてしまった。

「ごちそうさまでした」

「はい、ごちそうさま」

 会計を済ませ、車に戻った時お父さんに言うとお父さんはシートベルトを締めながら簡単に返した。エンジンをかけ、シフトを「P」から「D」に入れた。ナビも起動して、車内に音楽が流れ始めたけど、お父さんは一向に車を動かそうとしない。

「……お父さん?」

「あおい。今、たのしいか?」

 お父さんはこちらを向いてそう質問してきた。

 あまりに神妙な、真剣な面持ちで尋ねてくるものだからこちらも思わず身が入る。しかし、突然そんな質問をしてくることは置いておくにしても、その質問の意味も分からなかった。

「え、えっと、どういう意味?」

「そのままの意味だ。学校生活とか、私生活とか」

 そう言われてもいまいちピンとこない。しかし、仮にお父さんの言葉をそのまま受け取って一度考えてみる。

 今が楽しいかどうか。考えてみてすぐに思いついた出来事と言えば部屋で夜な夜なやっているメイクの練習とか、買ってみた女物の服の試着会だ。まだ女の子の格好を意識して外に出ることはできてないけれど、家で着れるだけでもすごく楽しい。その時間があると思うと、嘔吐してしまいそうなほど気持ち悪い学ランを着て学校へ行くことも我慢できる。

 ただやっぱり学校生活は正直あまり楽しくない。中学生になってから男女で分けられることがすごく多くなった。制服もそうだけど体育だったり、クラスでの話し合いだってそうだ。他のみんなはそっちの方がバカできるし、気楽そうだけどボクは全くそう思えない。自分はあっちじゃないのか、あっちに行きたいとより強く考えてしまって、ほんとに自分が自分であることが嫌になる。

 そんな我慢して着続けた学ランを家に帰れば脱ぎ捨てられる。家に帰って誰もいなければ、夜でなくてもたまに自分で買った服を引っ張り出している。あの日かったスカートにワンピース、レディースのサロペットなんかを着てみたりした。どれもすごくかわいくて、そのどれも着ている時、ボクはやっとボクのいたいボクでいられる気がする。

 今自分が抱いている気持ちの名前は知らないけれど、たしかに昔から燻っていた気持ちで、その気持ちのあり方とその先を知れた今、残った感情はやっぱりうれしさだったりたのしさだったり、はたまた安心だったりする。

「学校生活は、まぁなんとも言えないけど…………私生活は今たのしいよ」

 正直なところこんな感じだ。やっぱり学校は嫌だし、誰にも見られないひとりの時間は楽しい。

「そうか……」

 それだけ聞くと、お父さんは満足したように車を動かした。

「それならよかった」

 言葉自体は安心したようにも捉えられる文言だったが、その声色はどうも乾いていてほんとに安心しているようには見えなかった。

「お父さん、大丈夫?」

「え」

 さすがになんだかこっちが心配になって訊いてしまった。

「いつもはこんなこと聞かないよね? 何があったの?」

「……いや、なんでもない」

「…………そう」

 それだけ言って、この話は終わりだとばかりにナビの音量を少し上げたお父さんを見て、ボクはお父さんから聞くことを諦めた。明らかに何か後ろめたいことがあってはぐらかされてる気がしてあまりいい気分ではないけれど仕方ない。そんな態度取られたらこっちから何も言えない。

「何かあったら、いつでも言ってきなさい」

 ふと、突然お父さんが脈絡もなくそう呟いた。

「なにが?」

「いや、何かあったらの話」

 なんか今日のお父さん変だな。あまり気が気でないというか、緊張しているようにも焦っているようにも見えた。こんな変な言葉ばっかり言う人じゃなかったはずなんだけどな。

 なんて考えは気付かぬうちに消え去り、ボクは何の気なしに自宅に戻った。


 〇 〇 〇


 家に到着し、手洗いうがいをしてからリビングによらずにそそくさと二階へ上がった。お父さんからお母さんは用事があると聞いてたけど、車もあるし、靴もあるから多分リビングにいる。お父さんのことだし、嘘ついたわけじゃないだろうけど、てっきり外に出かける用事があるんだと思っていたから少し意外だった。

 二階へ上がり、自室のドアノブを捻る。

 広がるのはもちろん自分の部屋の景色。何も変わりない、ボクがラーメンを食べに行くときから何も変わっていないいつもの色の少ない部屋。だけどなんだろう、何かが違う。何が違うかはさっぱりわからない。何かものが動いた形跡も見えないし、ほとんど感覚的な問題にも思える。

「…………」

 ギギギと音を立てて扉をゆっくり閉める。ここの扉、こんなに軋んだっけ?

 改めて部屋を見回しても何ら変わった形跡はない。だけど胸を衝く違和感はやまない。

 嫌な予感がする。強いて部屋の違和感を言うとするならば、空気とでも言うか、誰かがボクの部屋に入った感じがした。

「っ! ……まさか」

 ふと思いついた最悪の妄想を確かめるべく、学習机の引き出しを勢いよく開ける。

「……うそ……っ、ない」

 しかしそこにあるはずの化粧ポーチは影も形も残していなかった。

 反射的にクローゼットを開ける。今まで買った服はクローゼットの奥、死角になっているところに段ボールにまとめていた。影と死角が重なってそこに何かあると気づくことすら難しいようなところに入れておいたのだが、急いでその段ボールを取り出す。

「あ、あるっ!」

 こっちは無事だった。何一つなくなっていない。


 コンコンコン


「ッ⁉」

 ボクの思考を止めるように、部屋の扉が三度ノックされた。

 急いで段ボールを定位置に戻して、クローゼットを閉める。

「あおい? ちょっといい?」

 扉の向こうでお母さんの声がした。

「な、なに?」

 扉を開けずに声だけで返した。

「ちょっと話したいことがあるの。下まで来てくれる?」

「…………っ、わ、わかった」

 嫌な予感が的中してしまった。変に反抗するわけにもいかず、扉越しにも聞こえる声で素直に返した。扉の向こう側で誰もいなくなった感覚と、スリッパで階段を下りる音がして、ボクは部屋で一人その場でしゃがみ込み、胸を押さえ、動悸が収まるのを待った。

 


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