第十七章
※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。
また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。
誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。
また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。
それから数カ月の月日が経ち、ボクらは中学生になった。
世間的にも、世界的にもあまり盛り上がった年ではなかったけれど、ボクらにとってはかけがえのないはずの中学一年生が始まった。
中学に入ると、一気にしょうちゃんとは疎遠になった。中学でもサッカー部に入った彼とは打って変わって何の部活にも入らず、クラスも変わってしまいそもそも接点が無くなってしまった。接点がない人間に構うほど暇な彼ではなく、小学生の頃と同じように彼はクラスで人気になっていた。
そしてボク、水瀬あおいはというと、少し伸びた前髪をこしらえて、毎日机に突っ伏しながらスラックスに爪を立てる日々を過ごしていた。
しょうちゃんと話して、自分の願望に気付いた日から、ボクの目の前には霧がかかったように不透明な毎日を過ごしてきた。自分が「男の子」であることへの強烈な嫌悪感と、「女の子」に対する強烈な羨望が、ずっとずっと、胸の中でくすぶっていた。色欲なんかじゃなくて、女の子というそのものに対するあこがれに近い、渇望だった。
はじめは勘違いかとも思ったけど、日を重ねるごとに大きくなった今の自分への違和感は次第に勘違いだなんて許してくれるものじゃなくなっていた。
はじめに洗礼を受けたのは中学生になって男女別の制服が導入されたところだった。
小学校の卒業式を終えて、春休みになりお母さんと一緒に制服の採寸に行ったとき、一度学ランを着せてもらう機会があった。三年着るものだし、少し大きめの重たい学ランと、裾が少し靴にかぶるほどの真っ黒なズボンを身に着けた時、ボクはそれまで感じたことのないほどの倦怠感に襲われた。これから毎日こんなものを着て登校するのかと思うと気が気でなかった。試着室を出て、「すごくお似合いですよ!」という店員さんの言葉に落胆し、今にも泣きそうなお母さんの「大人になったね」という言葉に失望した。
「……ありがとう」
だけどまさか女子用のセーラー服を着てみたいと言えるわけもなく、今何を言ってもどうしようもないと分かってしまったので下手くそな笑顔でそう笑うしかなかった。
そんな他人の鎧のような学ランを着て通う中学はただただ苦痛でしかなくて、成長期に合わせて少し低くなってしまった声を発することも嫌で、誰とも話したくなかった。そしたらいつのまにかみんなグループのようなものが出来てしまって、ついぞ友達らしい友達はできなかった。今更ほしいとも思わないけど、中学に入ってからものすごく色の薄い生活を送っていた。
夏休みを終えて二学期、クラスのグループがより強固になっていた今日この頃、いつになっても何にもなれていないボクはそそくさと荷物を片付け逃げるように教室を後にした。校門を出た後万が一バレたら面倒なので先生の監視の目が届かないところまで静かに歩いて行き、一つ二つ角を曲がったところで、カバンの小さなポケットからスマホを取り出し、自分で買った1000円くらいの安物のイヤホンを刺し、ある人の曲を流す。
もちろん学校にスマホの持ち込みは禁止で、クラスでもヤンチャな子がたまに先生に隠れて触っているのを見るくらいだ。それにそもそも、いくらスマホが手にしやすいものになったとしても、ボクらはまだ十三歳だ。スマホを手にするのには少し早い気もする。だけどボクのお父さんとお母さんは「あおいなら大丈夫」と八月二日の誕生日にスマホを与えてくれた。
はじめはイマイチ何をするのか分からなくて、お母さんやお父さんとのLINEくらいだった。生憎友達がいないので同級生の連絡先は何一つ入っていない。連絡先が二件しか入っていないLINEがあまりに寂しくて、使うかもわからない公式LINEを何個かいれて遊んでたりもした。
そんなことをしていた夏休み、インターネットの海の中である曲に出会った。
かわいいサムネに、かわいいタイトル、かわいい歌詞に、かわいい曲調、そして何より初見だとほんとに男の人かと疑ってしまったほどかわいい声からなる歌声。その全部に驚くほど魅かれた。歌詞はまるでボクの心情をえぐりだしてそのまま文字にしたような歌詞で、そんな歌詞を女の子みたいな声で男性が歌っている事もあってか、その曲はボクの心に信じられないくらい沁み込んで、心の深いところでいつまでも響いていた。
気が付けばボクは縋るようにこの曲を聞き入っていた。
心のうちに秘めた願いを、この歌がボクの代わりに言ってくれているような気がして、自分の気持ちを確認するように、叫び出すように何度も何度も聞き返した。
そんな習慣は学校が始まってからも続き、今日も今日とてイヤホンからその曲を流す。
学校からの帰路、誰も周りにいないことを確認してその曲を小さく口ずさむ。
「……やっぱりボクも、かわいくなりたいな……」
耳に聞こえるのは、ボクと同じ男性なのにかわいい声。だけどボクの口から出るのは頑張って高くしようとしてる聞くに堪えない男の声。他の人たちよりも声変りの影響が少なかったとは言え、少しは声変りの影響で声が低くなってしまって口ずさむたびにため息が零れる。
夏休みに買った、昨年出たアルバムの曲を何曲か流しながら帰宅すると、お母さんの車が停まっていた。
「……ただいま」
「おかえりなさい」
イヤホンを外して扉を開けると、お母さんがいた。
「今日仕事は?」
「半休もらったの。っていうか、もらわないといけなかったの」
「へぇ」
休みをもらわないといけないという感覚がまだ学生のボクには分からないが、大人の世界には色々あるのだろう。
「あ、そうだあおい」
さっさと部屋へ行って制服を脱ぎたかったのだが、階段を上っている途中にお母さんから声を掛けられた。
「今日これからショッピングモールの方に買い物行くんだけど、あおいも来てほしいの」
家から車で少し行ったところに大きなショッピングモールがある。いつも買い物は面倒なので近所のドラッグストアやスーパーで済ますことが今日はわざわざショッピングモールの方へ行くらしい。しかもボクも無理やり駆り出すという事は何かあるのだろう。
「いいけど、どうしたの?」
「ちょっと重たいもの買うから男手がほしくて」
ようは荷物持ちだ。素直に荷物持ちと言ってくれたらなんとも思わなかったはずなのに「男手」というお母さんの言葉はやけにボクの耳に残った。
「……わかった。ちょっと待って」
ボクは逃げるように部屋に入り、学ランとスラックスを脱ぎ捨て、普段着のパーカーに着替える。悶々とした気持ちを抱えながら部屋を出る前にドアノブを掴んで深呼吸をしてから、扉を開けてお母さんの元へ向かった。
「別に制服でもよかったのに」
「ち、中学生にもなって親と買い物してるところ見られたくない」
ほんとは一刻も早く学ランを脱ぎたかっただけだし、見られて恥ずかしく想うような親しい友達もいないが、そんなこと今更この場でいう訳にもいかず、適当に言い訳する。すると思春期で変に背伸びしたボクが面白かったのか、お母さんは楽しそうに「そうね」と笑った。何が面白いんだよ。
お母さんの思い買い物というのは電子レンジとトースターだった。たしかに最近両方調子が悪いと思っていたが、ボクの知らない間に家電量販店で注文しており、今日がその受取日だったらしい。どちらか一方だったら一人でも持てたそうだが、二つ同時に届いてしまったらしい。お金はもう注文したときに払ってあるらしくて、受取口で大きな段ボールを受取った。
「お、重っ!」
「大丈夫?」
「も、持てなくはない」
少し良い電子レンジを買ったらしくて、なかなかデカイ。そして段ボールに取っ手が付いているほどで取っ手を両手で持ち、軽々とトースターの段ボールを持ったお母さんの後ろをついて行く。
「男手あって助かった。ありがとね、あおい」
またその言い方。こればかりはボクが考えすぎというのもあるし、今更咎める気にもなれなかった。
「……荷物持ちでいいよ」
同じ意味の言葉を返して、二人で屋上駐車場に停めてある車まで向かう。
扉を開けて中に電子レンジが入った段ボールを置くと、一気に両手が解放されてまだ手首の筋がこっていたし、ジリジリと痺れにも似た感覚が残る手が気持ち悪かった。
「ありがとうあおい。助かったわ」
「うん」
手を何度かグーパーして感覚を確かめる。
「せっかく来たし、何か他に買うものある?」
「うーん……いや、特にないかな」
「……あ、あんた私服」
「え?」
「その私服のパーカー、あんた中学入るちょっと前からそればっかり」
確かに、中学に入る少し前に自分の気持ちに気付いてから、それまで持っていた男物っぽい服はあまり着なくなった。それまで持ってた服で気に入ったのは少し厚手の何の変哲もないパーカー一着だった。中学に上がってから、学校へは制服で行くことになって、外に出る用事なんてほとんどなくなったから私服なんて対して気を遣わなくなった。
「ついでに服何か買ってく?」
服、服か……
少し考えて、モール内の店舗を思い出す。
「ううん! 大丈夫! ボクが一人で行く!」
分からない。できるか分からないけど、多分覚悟を決めるなら今なんだと天啓のようなものを受けた。
「そ、そう? まあ中学生にもなってお母さんの選んだ服ってのも変だよね」
そう言ってお母さんはどうせボクの成長のようなものを感じているのだろう。だけどごめんなさい、多分お母さんの思っているものとは違うと思う。純粋にボクのことを思ってくれている人に対して少し不純かとも思ったがそれこそ今更だ。
「はいこれ今日のバイト代も兼ねてるから」
そういってお母さんはボクの前に一万円札を向けてきた。
「い、一万円⁉」
「ついでにズボンも選んで一式、自分の気に入ったものを買ってきなさい」
お母さんはどこか誇らしげに笑っているが、そんな気持ちとは裏腹に、ボクはどこか後ろめたい気持ちでその一万円札を受取ってしまった。もちろん買うのは服だし、そこに嘘はないのだが、お母さんが思っているものとはどうしても少し違う服を買うかもしれない。そこに対して罪悪感のようなものを抱いてしまっている自分は、もしかしたら優柔不断で自分のこともきちんと決められない軟弱者かもしれない。
「あ、ありがとう」
だけど今覚悟を決めないとずっと後悔すると思う。
今一抹の罪悪感に比べれば、そんなもの――――――
「じゃあ、行ってくる」
一万円札をポケットに入れて、ボクは駐車場を後にした。
エレベーターで一人、逃げるようにイヤホンを耳にはめて壁にもたれる。
最後、お母さんの前を去る時、お母さんの顔を見れなかった。
さっきまでお母さんといた時はうるさいと感じなかったモール内が、今はすごくうるさく感じてほとんど無意識にスマホの音量ボタンに手が伸びた。同時にスマホを見るとお母さんからLINEで『夕ご飯の買い物してます』と連絡が入っていたが、それでもあまり時間はかけてられない。急ごう。
目当ても店は大体絞ってある。初めからこんな格好で女々しい店には入れない。入る勇気は到底持ち合わせていない。だから誰でも入れて大丈夫なお店を選ぶことにした。
なかなか規模の大きい店舗が入っていて、何度も入ったことあるお店なのだが目的が違うだけでこうも感じ方が違うかと、店の前で情けなくも震えていた。なんでだろう、ただ買い物するだけなのにすごく緊張する。まだまだ覚悟が出来ていなかった。
店舗に足を踏み入れ、薄くかかっている店内BGMがイヤホンの合間を縫って耳に届く。
香りのある加湿器の試供品が焚かれていて、その匂いが店内に充満していた。その香りがよりボクの緊張を掻き立てる。
服だけでなく、雑貨や家具までも取り扱っていて、ざっくりとどこに何が置いていあるのかはジャンル分けされていた。普段は日用品のコーナーでお菓子ばかり買っていたが、今日はそんなところには目もくれず、「婦人服」のコーナーへ向かう――――と見せかけて、その前を通り過ぎてしまった。
「……っ」
だって仕方ない。ボクが欲しかったものの前で店員さんが何やら作業をしていたのだから、それを邪魔するわけにはいかない。
もう一周店内を回ってからもう一度その前に戻ってきた。するともう店員さんは誰もおらず、女性のお客さんが二人ほど服を見ていた。店内はお客さんでいっぱいだし、これ以上減ることはないだろう。
「…………行こ」
店内で深呼吸という奇行に走りながら、婦人服エリアに足を踏み入れた。
正直、そもそも男女兼用でも大丈夫そうな質素なデザインが主なお店なので、婦人服エリアも紳士服エリアも置いてある服のデザインに大きな違いはない印象だった。だけどやっぱり、今まであえて避けていた店舗の区画だったこともあって、気持ちは少し浮ついていた。
そしてお目当ての衣類、かねてからの憧れに近い、切望した「スカート」の前に立った。
ボクはどうしようもなく男だ。ボクの容姿を見て、女だと言ってくれる人は誰もいない。そんなボクが婦人服エリアのスカート売場の前にいるのは本来ありえないことで、実際にそこに立ってみて、周りの目が異常に気になる事を知らされた。
みんながボクのことを奇怪な眼で見ているような気がして、すごく呼吸が浅くなった。
今目の前でハンガーにかかっているこれをボクが手にしていいのか、そんな誰が判断することでもないことがずっと頭をぐるぐるとめぐって、答えの出ない問いにずっとずっと翻弄された。
だけど一着、他のハンガーとぶつかるカランと音を鳴らしながら手にしてみた。
パッと目についたそれは黒色のロングスカート。さらさらとさわり心地のいいスカートだが、どこかスーツみたいな印象だったのでそっと戻した。次に取ったのは同じく黒色のスカートだったのだが
「っ、えっ!」
手に取ってしまったのはミニスカートだった。冷静だったらすぐわかっただろうに、手あたり次第手に取ってしまい、なぜかボクの方が恥ずかしい気持ちになってしまってすぐに戻した。
でも、こんな大胆なミニスカートも、かわいく履きこなしちゃう人もいるんだよね?
ボクの足はそんな人に見せられるほど細くも白くもない。いや、もちろん人に見せるためにミニスカートを履いてるわけじゃないと思うけど、あんな風にさらけ出して、すごいなって思う。
ボクには、到底……
なんてミニスカートを履いている自分を想像して勝手に後悔した。
顔を上げて、背後にある鏡を見るとボクの顔は真っ赤になっていて目許も若干とろんと目尻が下がっていた。手には商品のスカートを持っていて、身体のラインを隠すように厚手のパーカーを着こみ、片足だけハイヒールを履くみたいに踵を上げている〝男〟がそこにいた。
「…………」
ミニスカートを戻して手を離した時、ふと視界の端にさっきまで作業していた店員さんが戻ってきたのが見えた。女性の店員さんで、二人、なにやら業務の話をしながら戻ってきた。
今は二人とも話をしているからボクのことに気付いてないけれど、もし二人がボクのことを見つけたらもしかしたら話しかけられたりしちゃうのかな? いや、話しかけられないにしても怪訝な顔で「え? 男性?」って思われるだけでも無理だ。急にそんな恐怖にも似た感情が足元から湧いて、全身に回った。
今すぐ逃げたかったけれど、逃げたい本能と、スカートを履きたい願いが拮抗してボクはハンガーの上に書かれたサイズだけを見て、一着、スカートを手にしてその場をそそくさと去ってしまった。
「っ、……」
ほんの少し、婦人服エリアから出ただけなのにすごく緊張した。
だけど、ボクの腕の中には今、深緑色のAラインスカートがあった。
今自分が手にしているスカートをもう一度きちんと見て、それをもう一度強く抱き寄せた。
さっきまでの危機感や恐怖が嘘みたいに、今にもここで小躍りしてしまいそうなほどうれしかった。なんなら少しつま先は踊っていた。だけど、それだけうれしかった。これを履けるかと思うと、ワクワクがすごかった。まるで小学二年生の時に、九九を言えた時に宝石シールをもらった時のような、自分の行動が確実な結果につながった時にだけ感じられる、うれしさだった。
〇 〇 〇
その日の晩は、何をしていていも落ち着かなかった。ご飯も食べ終えて、お風呂も入って肌のケアも終えて、いつもならあとはベッドに入るだけなのだが、今日はどうもベッドに入って目を閉じても全く眠くならなくて、むしろ布団の中で小さく丸まって、何度も肌と肌をこすり合わせて今か今かと待ち望んで、より目が覚めてしまう始末だった。寝るつもりなんて毛頭なかったが、あまりの期待に自分でも少し笑えてしまった。
そうこうしていると、窓の下にうっすらと見えるリビングの明かりが無くなり、両親が寝室へ向かう音が下から聞こえてきた。
「ッ!」
もうすぐできる、と分かるだけで全身にギューッと力が入って布団の中で小さく動いてしまった。するとすぐにシンと静かになって、完全にこの家は静まり返った。
それをきちんと確認してから、ボクは息を整えながら布団を出た。
まるでサンタさんが置いて行ったように枕元に置いておいた紙袋の中を覗く。カモフラージュとほんとに必要だったからという理由で買った他の服や肌着を一端外に出して、一番下に忍ばせたAラインのスカートを取り出す。
「…………っ、すごい」
一体何がすごいのか自分でももうよく分からないが、スカートを大きく広げて思わずそう口にしていた。
はやる気持ちを抑えて、ボクはパジャマを脱いでラフなパーカーに着替えた。パジャマのままでもよかったけれど、ここまで来たのならきちんとしたいと思い、着替えることにした。スカートのタグを切って、ごみ袋の外から万が一にも見えてしまわないように念入りに破いて捨てた。
「……いきますか」
自分を鼓舞するようにそう口にしてから、スカートのボタンとチャックを下ろし、半ズボンのパジャマを脱いだ。そしてついに、スカートに足を通して腰のところまで引き上げた。えっと、さすがにデザイン的にも前後ろは分かる。腰まで上げたところでボタンを締め、チャックを上げる。
「…………」
サイズはピッタリ。苦しくない。
腰回りから下が気になってずっと下を見てしまう。試しに腰を揺らすように左右に振ってみる。自分の動きに合わせて足元に後追いで布が当たる感覚がある。これは今までのチノパンやジーパンではない感覚でブワッと胸が熱くなる。
「ははっ!」
それとそれと! やってみたかった一回転するやつもやってみた。
だけどこれはミニスカでもないし、厚い素材ということもあって思っていたよりも舞わなかった。だけどその分、防御力というか、下は下着一枚で万が一にもめくれてしまわないかという心配とは無縁なので初めてとしてはよかったかもしれない。
当たり前だけどこれはスカートで、ズボンみたいに脚全体を布で覆っているわけじゃない。腰から伸びる布で覆っているだけで、足と足の間に何も布がない。つまり、腰からきちんと布で覆っているはずなのに、内腿が肌と肌でこすれあうんだ。これがすごく変な感じだった。
きちんとボクは何かを履いている。だけど、いつもは覆われているはずの腿と腿が、肌と肌で触れ合ってすごく妙な体験で、自分が今までにない初めてのことに踏み出したんだと何よりの証明でもあった。
「ッッッ……!」
声にならないうれしさがどんどん湧いてくる。
両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでこの喜びをかみしめた。
しゃがむとより分かる。妙に温かい肌と肌がこすれあう。
やばい、どうしよう、めちゃくちゃうれしい。めちゃくちゃうれしいって、思ってしまった。
もう引くに引き下がれない。今頭を埋め尽くすのはただならぬ幸福感と、明日にでもやってみたい色々な女の子らしいことだった。
ほんとに、なんでボクは男に産まれちゃったんだろう。お預けされた十三年分の幸福感がいっきに押し寄せたのもあるだろうが、そう思わずにはいられなかった。毎日重い学ランを着てスラックスをひっかくのではなく、スカートをなびかせ、詰襟を直してリボンを締める毎日だったらどれだけ楽しく充実していただろうと一歩踏み込んでしまった今さらに強く思った。
一歩踏み込んだ先にはまだまだボクが知らない、ボクがいて、今はただ、この先の辛いことは一旦目を瞑り、ただ未来に想いを馳せて今のこの気持ちを忘れないように刻み込みたかった。
「アハハッ……」
怖いくらいの充実感が身体を包み込み、女の子のような高い笑い声が自然と漏れていた。