第十五章
※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。
また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。
誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。
また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。
「ごめん、ちょっと待ってて」
「うん……」
俺はとりあえず家まであおいを案内し、手で押していた自転車を車庫に戻した。
ここで初めて一人になれたので少しだけ大きく深呼吸をした。もう全然掃除できていない埃の匂いが体内に充満して、それが逆に落ち着いた。
さてさて、なんか勢いであおいのことを家に招いてしまった。少し前まで女の子と二人でご飯を食べたことすらなかった俺が信じられないほどの進展だ。しかし、起こってしまったことも色々と唐突すぎてまだあおいときちんと話が出来ていなかった。だから今はとにかく彼女と話がしたい。きちんと受け止める準備はできていたし、うん。だいじょうぶ。
「……よし」
俺は自転車のサイドスタンドを立てて、車庫を後にする。
「おまたせ。今開けるね」
俺はポケットから鍵を取り出して、玄関を開ける。車の有無で分かっていたが、やはり家族はみんな仕事で出払っていた。
「お邪魔します」
俺が先に框に上がると、誰もいないのにあおいは脱いだvansのスニーカーをきちんと揃えて向きを整えていた。俺は実家という事もあるけど、脱ぎ捨ててしまった。なんかこういう細かな所作であおいの気品のようなものを感じてそう言うのが全くない自分がすごく恥ずかしく感じる。
「とりあえず、俺の部屋行こうか」
「はい」
俺の部屋は二階にあり、玄関入ってすぐの階段を上った先にあるのだが、階段を上って俺の部屋の扉を前にした時に思い出した。今の俺の部屋、全然掃除できてない。
「……陽彩くん?」
ドアノブを握ったまま固まった俺を見て、後ろであおいが困った声を零していた。
今思い出せる自室の惨状は、ベッドの布団は今朝俺が起きたタオルケットを蹴って起きた時のままだし、私服もだしっぱなしのものがあったはずだ。さらに机の上は学校でもらったテキストやプリント、教科書が塔のように積まれていたはずだ。まずい、非常にまずい。そんな部屋を今あおいに見せたくない。
「……あおい」
「ん?」
「あの、部屋掃除するので少し待ってもらっていいですか?」
「えっ? うん。気にしないからいいのに」
「俺は気にするの! ごめんね!」
俺があまりに悔しそうに言ったからか、あおいは少しふっと笑ってくれた。理由はともあれ、ほんの少しでもあおいがそう笑ってくれただけで今は少し救われた気分になった。
「あ、じゃあその間に一ついい?」
「ん?」
「あの、洗面所借りていいですか?」
「いいけど、何するの?」
「あ、えっと……メ、メイク落とそうと思って……もうぐちゃぐちゃで」
俺はメイクをしたことがないから分からないけれど、ここに来るまでも日に当たって汗もかいただろうし、たしかに気持ち悪いだろう。そう言えばここに来るまでも、彼女は極力顔が見えないように少しうつむきながら顔を隠すように歩いていたように思う。
「分かった。えっと、こっち」
俺は階段を下りて、洗面所に案内した。
「タオルはここにあるの使って」
「ありがとう。ほんとに、何から何までごめんね」
「いいよもう。じゃあ、俺はちょっと片づけてくる」
「お構いなく」
そうは言っても俺はすごく気にするのだ。
おそらく掃除機をかけている時間はないだろうし、とにかく散乱しているものを片付ける。
急いで部屋に戻り、まずエアコンをつける。ピッという音がスタートの合図かのように俺は今までに出したことのない速度で部屋の片づけを済ませた。
〇 〇 〇
「お邪魔します」
「どうぞ」
俺が部屋の片づけが終わった旨を伝えると、あおいは丁度顔を洗い、タオルでぽんぽん優しく拭いているところだった。そのまま一緒に二人で二階まで上がり、俺はいつも使っているチェアに腰掛けた。
「あ、ごめん座るところないからベッドにでも座ってください」
「失礼します……」
あおいはどこか緊張した面持ちで俺がいつも使っているベッドに腰掛けると、両足を揃えて正面から見ると「く」の字になるように膝を曲げて、とても上品な座り方をした。少なくとも俺なら咄嗟にそんな座り方はできないし、それが様になっているのだからすごい。こういう小さなところで色々癖付けてきたんだろうな。
「とりあえず今日はここにいていいから。今、帰れないでしょ?」
不躾ではあったがさすがに俺一人の独断では決められない。一応確認を兼ねて聞いてみると、あおいは目を伏せながらこくりとうなずいた。
「あの、ご両親は?」
「さっき電車で確認した。『友達家に泊めるけどいい?』って。突然だったから驚いたようだったけど、許可は下りた」
「ほんとにごめん」
「いいよ」
許可は下りるだろうと確信はあったが一応確認しておいた。すると案の定許可は下りて、むしろどこか楽しんでいる様子すら文章から垣間見えた。俺が誰かを家に上げるなんて、随分久しぶりだからかとくに母さんは張り切っているようにも見えた。
「あの……」
「ん?」
しばらくの沈黙を経て、あおいがどこか縋るような声で俺に尋ねてきた。
「……い、今のボクは……どうですか?」
あおいが「今のボク」とわざわざ言うように、今のあおいはメイクを全て落としていた。つまり今のあおいは自分から女の子になろうとして色々施したあおいじゃなくて、本来の素のあおいということになる。そんなあおいが自分の今の姿に不安を覚えるのも仕方ない。しかし、俺から言わせれば、全くと言っていいほど違和感はなかった。
肌の色味がいつもより暗かったり、目の下のクマがよく分かるくらいで、印象としては何ら変わらない。水瀬あおいだ。
「どうって、別にあおいだなって思ったけど」
「……そう、ですか」
あおいはなんとも言えない顔でそう言うだけだった。一体何を思っているのかは分からないけれど、さっき駅で見た涙でぐしゃぐしゃになった顔に比べれば綺麗なものだ。
綺麗。そう、綺麗なんだ。あおいはすっぴんでも俺のような同い年の男に比べても一回り小さい。やっぱりあの母親、美里さんの血が濃いのかもしれない。ただの可能性の楽観的な考えだけど、今のすっぴんのあおいは、彼女の不幸中の幸いだと思う。
「…………」
「…………」
しかしそれから会話が進むことはなかった。ただただ気まずい空気が流れた。
まぁ、あおいからしたら親に見離されたその足で同級生の家に転がり込んでいるのだしいい気分じゃないだろうし、何か話せる状況でもないだろう。それに対して俺ははじめて女の子を家に上げてしまって今もへその下あたりにジンと熱い違和感があった。
でも、このまま部屋で籠っていても何にもならない。少しだけ、勇気を絞り出して俺は口を開いた。
「あのさ」
「……はい」
「もしよかったらさ、あおいとお母さんの話をしてくれないかな?」
「ボクと、お母さんの?」
「うん。今日の様子を見てたらさ、まああまりよくないことは分かってるけど、それだけじゃ色々納得できないこともあるからさ」
「…………分かりました」
あおいは少し迷った様子を見せたが、渋々と言った様子で承諾してくれた。
自然と座りなおしたあおいを見て、俺も思わず椅子をあおいの方に少し寄せて、座りなおしてしまった。
「あまり、面白い話じゃないですけど」
「それでもいいよ」
あおいは俯きながら、ほんとに小さな声で、そう聞こえたかどうかも怪しい声音で「ありがとう」とだけ言った。
その意味は分からなかったけれど、感謝を述べたはずなのに震えた声だった。