第十四・五章 水瀬美里という母
※ この話に様々な性的志向を否定する意図はございません。
また後々そういったものをほのめかす描写が登場する可能性も大いにあります。しかしそれはあくまで物語上の演出のため、フィクションとしてご理解ください。
誤字確認はしましたが、それでも漏れはたくさんあると思います。ご指摘の程よろしくお願いします。
また、制作の都合上、タテ書きで作った文をそのまま貼り付けてあるので、改行等不自然なところがあるかもしれません。
あの子は覚えてないだろうけど、私が違和感を覚えたのはあおいが5歳の時だった。
「こんにちは」
「あ、水瀬さん! 今あおいくん呼んできますね」
「はい、よろしくお願いします」
いつものように私は仕事を早上がりさせてもらって、あおいのことを保育園へ迎えに行った。
若い先生が私に気付くと、すぐにあおいのことを呼びに行ってくれた。ガラスでできた扉の奥の部屋を覗くと、先生があおいと何やら話している様子だった。そしてあおいが扉の方を見ると、私と目が合った。するとパッと明るい笑顔を向けて、それまで組み立てていたであろうレゴもそっちのけで私の方へ歩いてきた。
「ママッ!」
「ただいま! あおい! いい子にしてた?」
「うん!」
今日のあおいはすごく機嫌がよかった。よほど何かいいことがあったのか、こんなに元気なのは久しぶりだった。
「あおいくん! ほら、カバンもっていかないと!」
奥で若い先生が言うと、あおいは「はーい!」と部屋に戻っていった。
「今日はあおいくん、すごく元気でしたよ」
「そうですね。何かあったんですか?」
先生も同じことを思ったのか、どこか疲れた様子で笑っていた。
保育園であったことだし、私の手の届かない範囲だからこそ何があったのか聞いてみた。
「今日は、あおいくんおままごとをしてたんです」
「おままごと?」
「はい。他の女の子たちと混ざって」
まだまだ5歳の子達だし、男女の違いなんてまだまだ意識するような年じゃない。だからこそこうして男女入り混じって遊ぶこともよくあるらしい。女の子が男の子と一緒におにごっこやかくれんぼをしたり、男の子が女の子たちと一緒にお絵描きをしたり、まだまだめんどくさいしがらみに縛られない歳でなんだか仲睦まじくて可愛らしいななんて思っていると、先生が「あっ」と何か思いだしたように口を開いた。
「今日、あおいくんお母さん役をやってたんです」
「え?」
男の子がおままごとに参加することは多々あるとは言え、参加するにしても「お父さん役」だったり、「お兄ちゃん役」だろうと思っていたから、「お母さん役」をやっていると聞いた時は少し意外だった。
「他の女の子たちと被っちゃったんですけど、代わりばんこでやることになってすごく楽しそうでした」
「そうですか……楽しそうならよかったです」
「ふふっ、よほどお母さんのことが好きなんですね」
先生はそう笑ってくれた。たしかにうちの旦那は朝早く仕事へ行って、帰ってくる時はもう私とあおいが先に夕ご飯を食べていることがほとんどで、夜の九時には寝かすようにしていることもあって、どうしても旦那よりも私といる機会が多くなる。旦那と思いっきり遊ぶのは土日くらいしかないのだが、あおいは私に文句を全然言ってこなかった。こんな私のことを好いてくれているのは分かっていたし、私もたくさん愛してきたつもりだ。だから私も、少し照れくさかったけれど、先生が言ったことで納得した。
「あはは、そうだと嬉しいんですけど」
「ママ!」
すると、紺色の上着を着て、今のあおいには大きく見える黄色いカバンを肩にかけてあおいが走ってきた。
「うん。じゃあ、帰ろうか」
「うん! 先生! さようなら!」
「はい、さようなら! 明日もおままごとする?」
「うん! またママやりたい!」
「そっか、じゃあまた明日ね」
そう先生が手を振ると、あおいは手を振って返した。
私は少しだけ違和感を抱いたけれど、そんなこと車に乗ってしまったらすぐに忘れてしまった。今はどんな遊びをしていようと、あおいが笑顔で保育園を楽しんで、笑ってくれるのがうれしかった。
また別の日の晩。
「あと10数えたら出ようか」
「うん……」
この日は少しだけ疲れていたのか、あおいは大人しかった。
もう夕ご飯も食べて、いつものように私はあおいと一緒にお風呂に入っていたが、この子はいつも早く出たがる。私としては後何十分でもゆっくり浸かっていたいのだが、そんなことも言っていられない。この年頃の子が早くお風呂から出たがるのはまぁよくある話だし、仕方ない。
「いーち、にー、さーん、し」
私がゆっくり数を数えるとあおいは不貞腐れた顔で頬を膨らませながら肩までお湯に浸かった。いやだと口では言いながらも素直に従ってくれるのでほんとに大人しくて楽な子だと思う。他のママさんたちの話を聞いていても、うちの子が大人しいことは火を見るより明らかだった。
それを楽で助かると思う反面、ほんとは色々我慢してるんじゃないかって思う時もある。
でもまだあおいは5歳だ。姉弟はいない一人っ子だし、何かいいたいことがあったらもっと駄々もこねるだろうと、私は深く考えなかった。
「はーち、きゅう……じゅう! はい、じゃあ出よっか」
「うん」
私がゆっくり数を数えて、湯船から上がるとあおいも一緒に湯船から上がった。
さっさと私はタオルを巻いて、あおい用の小さいタオルであおいのことを拭いてあげた。
「……」
だけどあおいはどこか嫌そうな、不機嫌そうな顔をしていた。昔はこの顔をしたらすぐに泣きだしてしまったが、最近はそういう事もなくなってきた。
しかし、泣くという方法をあまり取らなくなってあおいの気持ちが分かりにくくなってきたのも事実だ。今日はずっとむすっとしてるし、試しに聞いてみることにした。
「あおい、今日は何かあったの?」
「……ママ」
「ん?」
「〝コレ〟、いつになったら取れるの?」
「ッッ⁉⁉⁉」
あおいは「コレ」といって自分の男性器を触った。まだまだ小さな男性器で、おしっこが出るところで、女の子にはないものという程度の知識しかないだろう5歳児が、すごく哀しそうな声で、恐る恐る私に尋ねてきた。
もちろん今回の場合、それが女の子にはないという事だけ知っていて、その意味でいつかなくなって自分は女の子になれるのだと思って尋ねてきたのだろう。しかし、もちろん性器が無くなることなんてありえない。そして何より、この時私は彼の奥にある叶いようのない「願い」を垣間見てしまったような気がした。
私は怖くなった。もしあおいが今後、自分の性別について悩むことがあったら、おそらくこの子はこれから一生苦しむことになる。もしかしたら私や旦那を恨むこともあるかもしれない。でもそんなことよりも、いつか自分のことを責めてしまうかもしれない。それだけは絶対にダメだ、そんなのこの子よりも私が耐えられない。この子が一生苦しむ人生なんて、そんな人生送ってほしくなかった。
この時の私の思いに嘘はない。なんなら今でも強く思ってる。
ただ、すぐになんて言ってあげれば正解だったのか分からなくて、その時私がなんて言ってあげたのかはもう思い出せない。だけど…………私は、間違えてしまったのだろう。