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謝罪と冤罪  作者: せいじ
6/7

6  古本屋と万引き

 この件では、まだはっきりしないところがあるので、読まれる方は態度を保留にしてください。

 この一連の文章は、誰かを糾弾するとか、社会悪を糺すなんて目的は無く、ただ、何故そうなったのかを探るための作業を、文章化したものです。


 誰が悪いではありません。


 そうなったのだから、そうなった。

 それだけであり、それだけをなんとか分かりたい。


 それを言語化するのが、今回の試みです。

 少年が列車に轢かれて死亡。

 

 そんな見出しのニュースでした。


 このニュースに接した私は、自殺を疑いました。


 若者の自殺が問題となっていた、そんな時代でしたから。


 しかし、自殺ではありませんでした。


 後に詳細を知ることになりましたが、この事件の異様さとその顛末には、驚きを隠せませんでした。


 事件の概要は、ざっとこんな感じです。


 それは、2003年1月21日に起きました。

 川崎市のとある古本屋で、問題が起きました。


 それはある万引き犯を、店長が捕まえたことから、問題が起きました。


 つまり、現行犯逮捕になります。


 現行犯なら一般市民でも逮捕が可能であり、万引きの現行犯なら捕まった時点ですでに逮捕された状態になります。


 しかし、少年は万引き行為は認めたものの、個人情報に絡む事柄は一切話さず、親とも連絡が取れませんでした。


 店長は説得することを諦め、警察に通報しました。


 では店長は、何を諦めたのか?


 実は当時は、万引きが発生しても警察に通報するケースと、内々に処理するケースがあるからです。

 現在では万引きや窃盗のすべては警察に通報すること、ないしは全件届け出をすることを要請しています。

 当時は、そこまでではありませんでした。

 だから今回も、恐らくですがそれで済んだはずでした。


 被害を弁償し、店側に対して子供は親と一緒に謝罪する。


 もう二度と、こんな真似をしないとの誓約書を書くといった、そんな感じでしょう。


 つまり、誠意ある対応を取れば、事件そのものを無かったことにしてくれるはずでした。


 学校にも連絡が行かないのだから、実質的には犯罪行為は無かったことになるからです。


 実際、当時は万引きなら店側は、事件そのものを無かったことにするケースも結構ありましたから。


 どうしてかと言うと、万引き犯を警察に引き渡すなんて、世間体に悪いからです。


 店に警察官が来たり、警察車両が来ていると、それだけで噂になるからです。


 そして噂とは、往々にしてよくない内容で流布されます。


 つまり、店側の信用にも関わるからです。


 その意味で万引き犯に対する店側の措置は、まさにWinWinでした。


 しかし、少年は頑なでした。


 結局、通報でやってきた三名の警察官に少年が引き渡されそうになった瞬間、少年は自分はここに自転車で来た旨を警察官に伝え、自転車を確認するといってその隙に逃亡を図りました。


 警察官一人が、逃亡した少年を追跡しました。


 逃げる少年は、遮断機が下りていた踏み切り内に侵入し、そこにやってきた列車に轢かれて死亡しました。


 命がけで逃亡した訳ですが、そもそもそこまでする理由はありませんでした。


 結果から見ると、店や警察、果ては鉄道会社にまで迷惑を掛ける。


 そんな愚かな子供だったと、それで話しは終わるはずでした。


 しかし、事件はこれで終わりませんでした。


 いや、ここから始まりました。


 問題の起点となった古本屋の店長に対して非難が殺到し、店長に対して人殺しと直接言いに来る者まで現れました。

 テレビの街頭インタビューでも、店側を非難する人が現れ、店を許さないと息巻いていた人も居ました。

 店を見るのも嫌だと、そう吐き捨てるようにインタビューに応えていた人も居ました。

 そもそも、たかが万引きぐらいで、警察を呼ぶこと自体が許せないと。


 そう、たかが万引きぐらいで、大袈裟なんだと。

 だいたい、中学生ぐらいなら万引きするのは当たり前であり、誰でもやっているはず。それなのに、警察を呼ぶなんて。


 つまり、子供のやる万引きでいちいち捕まえることはもちろん、警察を呼ぶなんて非常識であるが、彼らの主張でした。


 被害者であったはずの店長は、こうして加害者扱いされ、連日のクレームに心が挫けて行きました。


 そしてついに、心折れた店長は、店を閉めることを決意しました。

 事件から一週間も経っていない、1月26日のことでした。




「ご利用者の皆様へ(抜粋)

”人殺し”とご指摘された方々へ

 当店がここで営業したことにより、尊い命が失われたことについては、重く受け止めております。返す言葉がございません。

 また。今の子供はキレやすいので、もっと丁寧に扱うべきだったとのご意見につきましては、一人一人に親御さんと同じような愛情を持った寛容な対応をできなかったことをお詫びします」



 そして閉店のコメントに対して、亡くなった児童の親のインタビューでは、このように答えたそうです。

「廃業していただければ本当にうれしい。あそこを通るのはつらいし。本屋さんの中でウチの子はどんなつらい思いをしたのか。きっと一生懸命、謝ったと思うんですよ。しかし、あんな形で死んでしまって本当に悲しい死に方でした」


 何でしょうか、これではどっちが被害者なのか分かりません。


 謝ればそれで済む、弁償すればいいんだろう的な発想は、万引き事件では実はよくある話です。


 もっとも、こういうことを言った段階で、警察が呼ばれたりします。


 だが、それは大人の万引きの話しで、未成年児童は対応が変わります。


 しかしそれは、結果として犯罪を見逃すのみならず、犯罪を犯した児童に成功体験を与えてしまうことになります。


 実際、万引き少年が解放され、後に別の店で万引きをして発覚した事例もあるからです。


 万引きは一種の心の病気であるといった、そんな症例もあるぐらいです。


 そういった事例を踏まえると、少年は悪かった、悪かった、運が悪かったと、一切反省していないと捉える事が出来ます。

 警察から逃亡するなんて、普通ではないからです。

 まあ、非行少年なんて、そんなものでしょうけど。

 彼ら非行少年は警察官を馬鹿にしていますし、そもそも大人を舐めていますから。

 私の少年時代にも、警察官をおちょくって楽しんでいた不良少年も居ましたから。


 問題はそんな非行少年を何で、人々が擁護したのか?

 メディアがスクラムを組んで、被害者であるはずの古本屋の店長を叩いたのか?

 以前も、所沢葉物野菜騒動がありましたが、その時のメディアの叩きようは異様でした。

 結局、誤報でしたけど。

 しかし、当時は自信満々に報道していたあのアナウンサーの顔は、今でも忘れられません。

 報道では農地の場所をわざわざ名指ししましたが、後にこれがデマであると分かりました。

 デマであると分かるまでは、色々な人がこの報道に便乗し、名指しされた埼玉の農家を叩いたのですから。


 まるで、池に落ちた犬は叩けと言わんばかりにです。

 

 これは日本人の持つ、不安な感情を揺り動かし、理性を消失させた事例と思います。


 ダイオキシンという、よく分からない物質に怯えたように、いたいけな未成年の死に過剰に反応しました。


 少年は死んだ。


 しかし、店長は生きている。


 この片一方が死に、片一方が生き残っている場合、日本人は概ね生きていることを罪とします。


 人は死んだら、罪は清算されるからです。


 しかし、生きている人間は違います。


 だからその罪を、糾弾します。


 では、その罪とは何か?


 単純明快で、生きていることです。


 この不思議な感覚は、日本人特有のモノと言われ、何かあると死を選ぶことを当然と見なします。


 戦時中でも、回避行動を取った艦隊の指揮官を卑怯として罷免したように、少しでも理性があると敗北主義者とのレッテルを貼って排除しました。


 その艦隊の指揮官は、戦力的に劣勢でありながらも戦闘に勝利した、いわば英雄であるはずなのにです。


 当時の日本軍は、戦争に勝つよりも負けることが大事なようでした。


 生きていることを、恥ずかしいことと見なすのです。


 生き恥を晒すなんて言葉は、よく考えたら矛盾しています。


 それはつまり、生きていることを悪と見なす文化があるからでしょう。


 何かあれば死んでお詫びをするとか、あるいは死ぬまで働くとか。


 それだけ、死というモノに、美を見ているのでしょう。


 その反面、生きていることを醜いとすら感じていると言えます。


 だから人々は、この店長を糾弾したのです。


 突き詰めれば、死んでお詫びしろと。


 しかし、ではこの店長は何を詫びないといけないのか?

 誰に、詫びるべきか?


 それは店長の書いた、閉店のお知らせにいみじくも記されていました。


「”人殺し”とご指摘された方々へ」


 つまり、クレーマーであり、いわゆる世間様に対して詫びようとしていたのです。


「当店がここで営業したことにより、尊い命が失われたことについては、重く受け止めております。返す言葉がございません」


 文面の中身についての因果関係が不明ですが、そもそも店が在るから万引きが起きると、因果を逆転しています。

 車があるから、交通事故が起きると言うようなモノでしょう。

 だったら、車そのものを無くそう、この世から車を追放しようとは、普通はならないはずですが、そこまで極端に行くのもまた、日本人の文化になります。


 店があったから、少年が死んだと。


 最初から店が無ければ、少年は死ななくて済んだと。


 どう考えても、繋がりを見出すのは不可能です。


 そしてこうも、書かれていました。


「また。今の子供はキレやすいので、もっと丁寧に扱うべきだったとのご意見につきましては、一人一人に親御さんと同じような愛情を持った寛容な対応をできなかったことをお詫びします」


 これには驚きました。

 古本屋の店長に、そこまで求めるのかと。

 だいたい、警察官から逃亡するような子供の親と同じような愛情って、どんな愛情でしょうか?

 普通に考えて、もう論理破綻以前の問題です。


 問題は、店長をここまで言わせるように、とことん追い詰めたことにあります。


 どうしてか?


 店長が、弱い立場にいるからです。


 店は逃げられませんし、店長も逃げられないからです。


 つまり、店長は弱い立場になります。


 少年の死を、彼らは利用した。


 少年の弔い合戦と言う、口実を使って。


 でもそれは目的ではなく、ただの悦楽にすぎません。


 店長を叩くことで、自らを正義の味方や全能欲求を満たせるからです。


 生殺与奪の権は、自らにあると錯覚出来るからです。


 その錯覚を具象化する存在が、古本屋の店長になります。


 彼らはこうして店長を、弱い立場の者を糾弾します。


 皆でお祭り騒ぎが出来るからです。


 お祭り騒ぎが出来るなら、あるいは叩けるなら何でもいいのです。


 必要なのは、口実だけですから。


 つまり、この店長が生きていること自体が許せないと判断したのだから、エスカレートすると次は世界中の罪を背負わせようとします。


 気候変動や飢餓も、あるいは紛争や戦争すらも、この店長のせいにするでしょう。


 だって、近代化以前の社会では、天変地異は人のせいになるんですから。


 それが魔女であり、アーリマンになります。


 儒教圏では、不徳の者、あるいは不仁の者となります。


 どっちにしろ、殺してもいい対象を通り越して、むしろ殺さないといけない対象になります。


 つまり、人々は叩く対象を悪の象徴として、それをアーリマンとみなしています。


 これを心理学的には、こう呼ばれます。


 ストローマン効果と。


 日本人はこれに弱く出来ています。


 特に感情に訴えると、日本人はすぐに判官びいきに陥りやすくなります。


 だから、悪気が無くても店長に対して、潔く死ぬように求める事が出来ます。


 実際、ネットでも散々死ね死ねを連呼している人も居ましたし、中には実際に行動した者もいます。

 

 津久井やまゆり園事件など、その典型でしょう。


 救済が目的で、大量殺戮をしようとしたのですから。


 しかも、その代償と言うか、殺害の成果で一生遊んで暮らせると思い込んでいました。


 殺人犯が人の生死を、判断出来ると思ったのですから。


 だからこの事件も、日本人特有の悪い部分が出てしまい、人々が思考停止したことにより起きた、一種の悲劇、いや、喜劇と言えます。


 だって我々は、人のモノを盗んではいけませんと、幼少期から学んできたはずですから。


 いつから、盗んでもいいとなったのだろうか?



 余談ですが、万引きはゲートウェイ犯罪と呼ばれ、非行の入り口とされます。


 万引きの認知件数は、1992年の約六万七千件を底に増加傾向に転じ、2004年の約十五万八千件をピークとし、概ね横ばいで推移しています。


 2003~4年頃に、各自治体で万引防止対策協議会設置されました。


 そしてそれを契機に、万引き犯の全件届出の徹底の呼び掛けが行われました。


 万引きは窃盗の一種であり、被害者には通報の義務があると。


 いや、犯罪を目撃した者には、ということになります。


 そしてこの事件が残したものは、万引きは遊びの一種ではなく、窃盗の一種であると認知させたことでしょうか。


 つまり、万引き行為は犯罪ゆえに社会の敵であると、認識しないといけなくなりました。



 これもまた、パンドラの箱を開けた事例と思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 2003年より少し後から、大手スーパーから順に、万引きは即警察引き渡しというのが基本マニュアルになりました。 警察にさえ引き渡してしまえば、そのあとはもう少年が自殺しようが何だろうが、スーパ…
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