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謝罪と冤罪  作者: せいじ
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5  松本サリン事件

 かつてこの日本で、大規模テロ事件が起きました。


 それはオウム真理教による、地下鉄サリン事件です。


 首謀者はすでに死刑になり、教団は公安の監視下にあるものの、事件は風化しつつあります。


 当時私はたまたま、中野坂上駅近くに居ました。


 そこら中でサイレンがけたたましく鳴り響き、救急車が引っ切り無しで来てはどこかに走り出しました。


 何が起きたのか気になり、無謀にも現場の近くに行こうとしたものの、警察による非常線に近づくことも出来ないぐらいの人だかりで、尋常とは思えない空気感に圧倒されました。


 その後、ニュースで事件の大まかな概要を知り、後にこれが地下鉄サリン事件として知られる、社会を戦慄させた大規模テロでした。 


 その地下鉄サリン事件は覚えていても、松本サリン事件を覚えている人は、どのぐらいいるのだろうか?


 事件発生当時はセンセーショナルに報道され、専門家なる人たちがしたり顔で色々と説明していました。


 私が驚いたのが、次のコメントでした。


 バケツで溶剤を混ぜれば、簡単に出来る。


 材料は知識さえあれば、誰でも簡単に手に入る。


 つまり、サリンは誰でも作れると。




 すべてが嘘であり、間違いでした。




 事件の概要を、簡単に説明します。


 1994年6月27日深夜。

 長野県松本市北深志で、人々が突然意識を失うといった、異様な事件が発生しました。

 それが何なのか分からず、その被害の大きさや異様さから、日本中を震撼させました。


 それはオウム真理教による、裁判所関連施設に対して行った報復的攻撃でした。


 事件発生当時、何が起きたのか、誰がこのようなことをしたのか?


 そもそも事件なのか、事故なのか?


 色々な噂が飛び交っては消え、消えては新たな噂が流れました。


 だが、事件は意外な方向に向かいました。


 当時の長野県警は、事件の犯人はオウム真理教関係者ではなく、ある個人をターゲットに選びました。


 それが、河野義行氏になります。


 事件発生の翌日の6月28日、第一通報者であった河野義行氏宅に長野県警による家宅捜索が入りました。

 長野県警は河野氏宅に保管してあった薬品等を押収し、河野氏を重要参考人としましたが、当人はサリンの被害に遭い、入院中で留守でした。

 

 それでも河野氏宅には苦情や脅しの電話が殺到し、残された家族は恐慌状態に陥りました。


 それだけメディアは、河野氏を被疑者ではなく、すでに犯人であり、大量殺人者と印象操作していたのです。


 つまり、テロリストであると。

 

 まだ逮捕もされず、ただの重要参考人なのにです。


 大変な状況になっていることを知った河野氏は、弁護士を付けることにしましたが、その弁護士も叩かれました。


 テロリストを弁護するなんて、怪しからんと。


 しかし河野氏は、まだ警察を信じていました。

 最後は必ず、正しい判断をするはずだと。

 だが、弁護士は河野氏に、すごいことを助言しました。



 警察は、犯人をつくるところだと。



 その間、警察による事件の捜査も進み、7月3日には散布された物質は、サリンであると突き止めました。


 サリン?


 当時の私には、それが何なのか分かりませんでした。

 

 それは大量破壊兵器の一種であると、後に分かりました。


 大量破壊兵器の代表が核兵器であり、そのひとつがこの生物化学兵器になります。


 それが、サリンになります。


 そのサリンがあろうことか、街中に散布され、多数の住民に被害を与えたのだから、これは大変な事態でした。


 だが、容疑者(この頃はまだ重要参考人)はすでに特定され、警察の厳重な監視下にあるので、もう安心となっていました。


 しかし、それが早計であったことは、私を含め殆どの住民は知りませんでした。


 少なくとも、この当時の私の心境は、楽観的でした。


 東京から遠い長野県での出来事であり、その個人がやったのだから、もう警察に任せて安心と思ったからです。


 だって、犯人が捕まったんですから。


 あとはせいぜい、模倣犯が出ないことを祈るのみでした。


 事件発生の翌日には、犯人と思しき人の身柄を拘束するなんて、やるじゃんか長野県警ってすら思っていました。


 日本の警察は、本当に優秀だなあと、暢気に考えていました。


 しかし、それが間違いでした。


 7月9日になると、オウム真理教の拠点がある、上九一色村で異臭騒ぎが起きました。


 だが、それが何なのかが特定されませんでした。


 何故なら、サリンは無味無臭だからです。


 こうして、大事なシグナルを見逃しました。


 7月30日に河野氏は退院しましたが、彼はそのまま長野県警松本警察署に赴き、事情聴取に入りました。


 この時の取り調べは過酷でしたが、河野氏は屈しませんでした。


 しかし、警察も諦めませんでした。


 河野を落とすと、長野県警刑事部長は意気込んでいたからです。


 そうこうしている内に、怪文書が出回りました。


「松本サリン事件に関する一考察」


 このようなタイトルの文書が、関係各所に送り付けられました。

 この文書によると、松本サリン事件はオウム真理教の仕業であり、しかも地下鉄サリン事件を予言するような内容もありました。


 そしてこの頃に、上九一色村に在る、オウム真理教第7サティアンの土壌から、サリンの最終分解物であるメチルホスホン酸が検出しました。


 そしてついに、1995年1月に読売新聞がスクープしました。


 サリンは、オウム真理教の手によるものであると。


 この時、警察が総力を挙げてオウム真理教を捜査すれば、あるいは河野氏に対してやったような人権無視の強制捜査をやっていれば、この後に起きる悲劇はありませんでした。


 1995年3月20日の首都東京の朝。


 出勤時間で混雑している地下鉄車内で、サリンが撒かれたのです。


 地下鉄サリン事件の幕開けでした。


 詳細は省きますが、その後オウム真理教幹部である、土谷正実がサリンを製造したと供述し、他の幹部も同様に供述しました。


 しかし、長野県警はまだ、松本サリン事件だけは別と考えていました。


 1995年6月、警視庁は松本サリン事件をオウム真理教のよるものと断定しました。


 何故長野県警ではなく、警視庁なのかと言えば、実は長野県警はこの期に及んでもまだ、河野氏がサリンを蒔いたと信じていたそうです。


 現場の警察官たちは、もうどうにも出来ないでいました。

 実際、河野氏を取り調べた刑事は、河野氏が犯人の可能性は薄く、このままでは公判を維持できないと意見していたそうですけど、いいや、河野がやったに違いないと刑事部長は断定していたそうです。


 こうなると、現場のやるべきことはどうにかして河野氏を救うのではなく、河野氏をスケープゴートにするしかなくなりました。


 保身に走ったとなりますが、良き組織人はこうあるべきなんでしょう。

 無能な上司を持つ部下は、本当に不幸です。

 実際、こういった無能な上司に振り回された挙句、現場に責任が押し付けられたその結果、過労死や自殺する事例が多数ありますから。

 

 兵士最高指揮官無能とは、まさにこういうことでしょう。


 東京での騒ぎをよそに、長野県警は全力でオウム真理教を庇いました。


 長野県警から見ると、悪いのは河野であり、オウム真理教はむしろ被害者なのだと、そうなりました。


 苦虫をかみつぶした長野県警の捜査員達は、東京から馬鹿にされながらも、河野氏の有罪を立証すべく、懸命に捜査を続けていました。


 連日無能をさらけ出す長野県警を、止める者は存在しなかったからです。


 ここでも河野氏を犯人と断定する長野県警の幹部たちは確証バイアスに罹り、それを否定する情報を間違いとする、認知的不協和に陥っていたからです。


 しかも、東京や霞が関は、そんな長野県警を放置するしかなかったからです。


 結局、何やってんだ長野県警という声が東京から上がりましたが、それでもどうにも出来ませんでした。


 管轄権の問題があったからです。

 警察庁の国松長官(当時)も、後にインタビューでそのように答えていました。

 だから最後は警視庁が、松本サリン事件はオウム真理教による組織犯罪であると、長野県警の顔に泥を塗ったのです。


 普通、大家族主義の警察組織内でこのようなことは起きないモノですが、このままでは警視庁の捜査妨害になりかねないからでしょうし、身内の恥を晒しているからです。


 何故なら、この事件は国内のみならず、国際的に注目を集めていたからです。

 それなのに長野県警は頑なに、松本サリン事件はオウムに非ずと主張していたら、日本の治安組織の足並みが乱れる上に世界中に恥を晒すからです。


 結局、長野県警は河野氏は犯人ではないとしぶしぶ認めましたが、謝罪は一切ありませんでした。


 足利事件のように。


 河野がやったに違いないと、今でもそう思っているのかもしれません。


 その根拠は、科学でもなく捜査員の足による捜査でもなく、ただ気に入らないだけでしょう。


 だって、河野氏は最後まで犯行を認めず、謝罪をしなかったからです。


 河野氏が私がやりました、すみませんでしたと言えば、長野県警も少しは彼を許したかもしれません。


 こう書くと、おいおいと思われるでしょうが、日本人は欧米人と比べて感情が強く、暴走し易く出来ています。


 そしてその判断を、後になって覆すのはほぼ不可能だからです。


 何故なら、判断を覆すことが出来る者は、日本人らしくないからです。


 いわゆる、空気を読めない者になります。


 長野県警は2002年になってやっと、河野氏に謝罪しましたが、その理由が振るっています。


 それは河野氏が、長野県公安委員に就任したからです。


 つまり、河野氏が長野県警の上司になった訳です。


 組織的論理から言わせれば、仮にも上司に迷惑を掛けたのだから、その是非は置いておいて、兎にも角にも謝罪しないといけません。


 それが、良き組織人なんですから。


 つまり、長野県警が変わったのではなく、そのままの姿だったということです。


 組織の論理に従い、長野県公安委員に迷惑をかけたことを、謝罪したとそういうことになります。


 それはつまり、河野氏個人に謝罪はしていないということになります。


 それはどうしたか?


 大事なのは正義ではなく、正義の看板であり、その為なら悪事も辞さない。


 正義の為の機関が、悪事も辞さないなんて、ちょっとおかしな話になります。


 この矛盾に対して、彼らはどう答えるのか?



 いつか、答えを見つけて欲しいと思います。

 


 人からではなく、自らにです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 警視庁は「東京都警」ですからね。 あの時、音頭を取るべきだったのは警察庁のはずなのですが・・・・・まあ「現場が強い」は日本のいいところでもあり、悪いところでもありましたね。気に食わない上司を…
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