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07 この人は、信頼していい人

 まるで小さな子どものように泣いていた私がようやく泣き止んだとき、私を取り囲む世界が今までとは、まったく違ったものになっていた。


 私の目の前には『何があったのか、どうしてこんなことをさせられているのか』と、私の話を聞いてくれる人たちがいる。


 私はポツリ、ポツリと今までのことを話した。


 母が亡くなったこと。葬式が終わったその日に、父が愛人とその子どもを邸宅にまねき入れたこと。その愛人が父の後妻になり、言うことを聞かなければ私は食事を抜かれるようになったこと。


 話し終わると、ターチェ伯爵夫人が涙を流していた。


「ひどすぎるわ。私にも娘がいるの。もし私の娘がそんなひどいめにっていたらと思ったら……」


 ターチェ伯爵は、優しく夫人の肩を抱き寄せる。


「セレナさんの事情はわかった。君をこのままファルトン伯爵家に帰すわけにはいかないね。君も帰りたくはないだろう?」

「はい」


 あんな家、二度と戻りたくない。


 ターチェ伯爵は、何かを考えるように自身の口ヒゲにふれた。


「しかし、実の父親から、勝手に子どもをとりあげるわけにはいかない。きちんとした手順を踏まないと」


 リオ様が「叔父さん、どうするんですか?」と尋ねている。


「やり方はいろいろあるよ。まずは情報集めだね。セレナさんがひどい目にわされていたことを証明できれば、セレナさんとファルトン家の縁を切ることができる」


 あの家と縁を切れるの? そんなことができるの?


「まぁここは私に任せて、セレナさんはしっかり休んでケガを治しなさい」


 私は夢見心地でうなずいた。


 あまりにうまくいきすぎていて、やっぱりこれはすべて夢なのかもしれないと思ってしまう。


 ボーッとしている私の顔をリオ様がのぞき込んできた。


 誠実そうな紫色の瞳が、私をまっすぐ見つめている。


「セレナ嬢のケガが治るまで、俺に世話をさせてください」


 世話って? 移動中にエスコートでもしてくれるのかしら?


 わからないけど、あまりに真剣な顔をしていたので、私はついうなずいてしまった。


 ニコッと笑うリオ様は、とても嬉しそう。


 「では、私達はこれで失礼するよ」と言ってターチェ伯爵夫妻は、部屋から出ていった。それなのに、リオ様は部屋から出ていく気配がない。


「えっと、何か?」

「セレナ嬢、朝食はまだですよね?」

「はい」


 まだ食事は摂っていない。というか、ターチェ伯爵家から追い出されると思っていたので、食べさせてもらえると思っていなかった。


 リオ様がメイドに、この部屋に食事を運ぶように指示すると、すぐに食事が運ばれてくる。


 テーブルには、パンにスープ、分厚いベーコンまで並んだ。


 スープはホカホカと湯気をたて、ベーコンとパンの香ばしい香りが食欲をそそる。


 いただけるものは遠慮なくいただこうとしたけど、そういえば私、利き腕の右手首をケガしているんだった。


 スープなら左手でも食べられるけど、ベーコンやパンは食べられそうにない。


「あの、すみません。誰か食べるのを手伝って……」

「俺に任せてください」


 私の言葉をさえぎったリオ様は、なぜかナイフとフォークでベーコンを切り分け始めた。


 なんだか、嫌な予感がする。


 ベーコンを切り終えたリオ様は、一口サイズになったベーコンをフォークで刺すと私の顔に近づけた。


「はい、どうぞ」

「……食べませんよ?」

「え!? どうしてですか?」


 それはこっちの台詞よ。


「どうしてと聞きたいのは私のほうです。どうしてリオ様が私の食事の手伝いをするのですか?」

「それは、俺があなたにケガをさせてしまったから……」

「違うと言ったでしょう。そういう気遣いはけっこうです。誰かリオ様の代わりに――」


 私が部屋の隅に控えていたメイドたちに視線を送ると、サッとさけられてしまう。


 えっ!? と驚いたけど、私はすぐに気がついた。


 なるほど、リオ様のやりたいことを奪うようなメイドは、この邸宅内にはいないのね。


 メイドたちからは、『お願いだから私を呼ばないでください』という空気が流れている。


 私はため息をつくと、仕方がないのでリオ様に食事の手伝いをしてもらうことにした。でも、わざわざリオ様から食べさせてもらうつもりはない。


「リオ様、そのフォークを私に渡してください」


 リオ様は、不思議そうな顔をしたもののお願いしたとおり、ベーコンが刺さったフォークを私の左手に持たせてくれる。


「切って刺していただければ、左手でも食べられます」


 ポカンと口を開けるリオ様を見て、私はふと父の言葉を思い出した。


『お前は本当に可愛げがない!』


 今までどうしてそんなことを言われないといけないの? と思っていたけど、確かに私は可愛げがないのかもしれない。


 これがきっと異母妹のマリンだったら、喜んでリオ様に食べさせてもらっていたはず。


 そういう風に甘えてくれる人のほうが皆好きよね?


 もしかして、リオ様、私の態度に怒ってる?


 チラリとリオ様を見ると「そうですよね」とうなずいていた。


「そういえば、俺の祖母が、自分でできることを自分でしなくなったら、すぐに老化が進んで何もできなくなっちゃうわよ、って言ってました」

「ろ、老化……」


 優しいリオ様はもしかしたら、おばあ様のお世話もしようとしたことがあったのかもしれない。


 その姿を想像すると、なんだか心がポカポカと温かくなってくる。


「セレナ嬢、できないことだけ言ってください。手伝いますので」

「はい、ありがとうございます」


 そうして私の朝食は無事に終わった。食器を片づけるメイドたちが、ホッと胸を撫で下ろしているような気がする。


 メイドたちは全員下がったのに、なぜかまだリオ様はここにいた。


「あの……」


 さすがにもうどこかへいってほしいんですけど。というか、未婚の男女が部屋で二人きりになっているのはいけないような気がする。


 リオ様はそんなことを少しも気にしてなさそうなので、私なんか女性に見えていないのかも?


 そんなリオ様は、ニコニコしながら「散歩にでも行きますか?」と言いだした。


「そうですね」


 このまま部屋で二人きりよりは、そのほうがずっと良い。


 リオ様は私が立ち上がりやすいようにと、左手を優しく引いてくれた。そこまでは良かった。


「では、セレナ嬢、失礼しますね」

「はい?」


 リオ様が私の肩に手を回したかと思うと、ひょいと横抱きに抱き上げられた。


「ひっ!?」


 悲鳴を上げる私を無視してリオ様はスタスタと歩き出す。


「なっなっなっ何を!?」

「何をって、散歩に行くんでしょう?」


 リオ様は、どうして私があわてているのかわからないという顔をしている。


 この人、他人との距離感どうなっているの!? いくら私のことを女性として見ていないにしても急に抱きかかえるなんて失礼すぎる。


「私がケガしているのは手であって足ではありません! だから、歩けます!」

「わかっています。でも、あなたの足に合う靴がないんですよ。夜会で履いていた靴はかかとが高くて危ないでしょう? だから今、あなたが履いていた靴を使用人に持たせて、同じサイズのものを買いに行かせています」


「じゃあ、どうして散歩を提案したのですか!?」

「あ、そういえば、そうですね」


 やってしまったという顔をしているリオ様は、歩くのが速いので、もう庭園まで出て来てしまっている。


「戻りますか?」


 そう聞いてくれたけど、ここまで来て戻るのもどうかと思ってしまう。


「もういいです。このまま散歩しましょう」


 抵抗することをあきらめた私は、『今日は靴がないんだから仕方ないのよ。そう、抱きかかえられるのは仕方がないことなの』と必死に自分に言い聞かせた。


 ターチェ伯爵家の庭は、隅々まで手入れが行き届いていてとても美しい。バラが咲き乱れる庭園の中心には、女神の彫刻がほどこされた大きな噴水があった。


「……きれい」

「それは良かったです」


 ニコニコと微笑んでいるリオ様。


 行動がおかしいけど、リオ様から私への悪意は感じない。


 この庭園を見せて、私に気分転換でもさせたかったのかしら?


 それにリオ様は、私の演技を見破って信じてくれた人だから、私も警戒せずに、もっとリオ様を信じていいのかも?


 ゆっくりと深呼吸をすると、無意識にこわばっていた体の力が抜けた。


 一度、この異常事態を受け入れてしまえば、抱きかかえられて散歩するのも悪くないような気がしてくる。


 リオ様が私と同じように、ゆっくりと深呼吸した。


「良い香りですね」


 リオ様の言う通り、庭園はバラの香りに包まれている。


「そうですね、上品なバラの香り」


 私の言葉を聞いたリオ様は、小さく首をかしげた。


「いえ、良い香りなのは、セレナ嬢あなたですよ」

「え?」


 いくら抱きかかえられているといっても、こんなにバラが香っているのに、私の香りなんてするの?


 私は動かせる左手を自分の鼻に近づけてみたけど、何も匂わない。


 もしかして、私じゃなくてリオ様自身の香りとか?


 そっとリオ様にもたれかかり、胸元に顔を近づけて匂いを嗅いでみたけど、やっぱりバラの香り以外何もしない。


 私、からかわれている?


 リオ様を見上げると、私から思いっきり顔を背けていた。


「う、俺、すみません」

「急にどうしたのですか!?」


 こちらを向いたリオ様の顔は赤くなっている。


「俺、妹から『無神経だ』とか『気が利かない』とか良く言われるんです」

「は、はぁ……?」


 いったいなんの話なの?


「その、あなたに匂いをかがれて、すごくあせりました。俺、臭くないかな? とか……。人に匂いを嗅がれるのって恥ずかしいんですね……すみません」


 思ったことを口にして、すぐに自身の非を認めて、素直に謝罪する。


 しょんぼりしているリオ様を見て、この人は『お母様と同じくらい信頼して良い人なのね』と、私はようやく気がついた。

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