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01 はいはい、頭からワインをぶっかけてあげますね

 私は昔から空気を読むのがうまかった。


 だから、この夜会会場で、妹が今、私に何をしてほしいと思っているのかわかってしまう。


 私は、この母親の異なる妹マリンの望みを、常に叶え続けないといけない。


 そうしないと、マリンは父と継母に告げ口をするので、私はまた食事を抜かれる。


 ファルトン伯爵である父から、愛を与えられないことにはもう慣れた。だけど、食事を与えられず味わう空腹感にだけは一生慣れない。


 苦しくて、つらくて、すごくみじめだ。


 そんなときは、私を残して逝ってしまった母のもとに行きたくなる。


 でも、優しい母はそんなことを望んでいない。


 そんなことをして母のもとに行ったら、母はきっと泣いてしまう。


 だから、私は生きるために、マリンのお望みどおり、手に持っていたワイングラスの中身を頭からぶっかけてあげた。


 マリンの顔に赤ワインが垂れて流れていく。フワフワの金髪もワインで汚れてしまい、翡翠のような瞳が大きく見開かれた。


 外見だけは天使のようなマリンが、そんな目に遭わされて周囲の人たちからは小さな悲鳴が上がる。


 でも、これでも、まだ足りない。


 次に私は大きな声でこう言ってあげた。


「あ~ら、ごめんなさぁい」


 ちょうどダンスが終わり、静かな音楽に切り替わったところだったので、私の声はホール中に響きわたる。


 そのとたんに、夜会会場中の視線が私とマリンに集まった。


 マリンが悲しそうな顔で「お姉さま……。どうして……」とつぶやけば、それまでその他大勢の令嬢だったマリンが急に主役級の輝きをまとう。


 ほらね? それまでお目当ての男性の視界にすら入れなかったのに、今は彼の視線をマリンが独占している。


 今日のマリンのお目当ては、バルゴア辺境伯令息だ。


 王都から遠く離れたバルゴア領は、広大で豊かな土地を持ち、その軍事力は王国一だと言われている。


 国王陛下すら一目置くバルゴア領のご令息。


 だから、ひと月ほど前に『あのバルゴアの跡継ぎが嫁を探すために夜会に参加するらしい』とウワサになったとき、王都で暮らす貴族たちはざわめいた。


 そのウワサを聞いた令嬢たちは、期待に胸を躍らせながらも「でもねぇ、バルゴアって田舎でしょう?」とか「とんでもないブ男だったら、いくらバルゴアでもごめんだわ」とかあざ笑う。


 マリンも「田舎者になんて興味なぁい」と相手にしていなかった。


 でも、実際にバルゴアの令息が夜会に参加すると、令嬢たちはすぐに彼のとりこになった。


 バルゴアの令息には、王都に住む貴族のような華はなかった。髪色はダークブラウンで、きらびやかさもない。


 でも、後ろ盾になっている親族のセンスがいいのか、田舎者臭さなんて少しもなかった。


 装飾を抑えた上下黒の衣装は、長身で鍛えられた身体を持つバルゴア令息の魅力を引き立てている。


 大柄なので一見、近寄りがたい雰囲気に見えたけど、彼が側にいた夫妻に「叔父さん、叔母さん。ありがとうございます」と微笑みかけると、その恥じらうような笑みに、令嬢たちは心を打ち抜かれた。


 なんといったらいいのか……。バルゴア令息には、華やかさはなかったけど、王都の遊びなれた貴族男性にはない誠実さがあった。


『ああ、この人と結婚したら、私は生涯大切にしてもらえる』


 王都中の未婚令嬢に、そんな夢物語を信じさせてしまうような不思議な魅力をバルゴア令息は持っていた。しかも、あの国王陛下も一目置いているバルゴアで、お金も腐るほど持っている。


 そんな好条件な婿候補を、私の異母妹マリンが見逃すわけもなく。


 マリンも必死にバルゴア令息にアピールしようとしたけど、令嬢たちに取り囲まれていて近づくことさえできていない。


 だから、マリンは、わざわざ大嫌いな私の側に来た。


「セレナお姉さま、夜会楽しんでいますか?」


 これは妹からの合図。意味は『私は楽しくないの。さっさと私を楽しませなさい』だ。


 マリンは、いつもどおり悲劇のヒロインになることを望んでいる。


 だから、私はいつもどおり異母妹をいじめる悪役を演じた。


 私にワインをぶっかけられたマリンの瞳には、涙がにじんでいる。周囲にいた貴族たちがマリンに近づいてきたけど、残念ながらマリンのお目当てはあなた達じゃないの。


 お目当てのバルゴア令息をこの舞台に上がらせるために、私はさらに大きな声を張り上げた。


「マリン、気安く声をかけないでって言ってるでしょう!? 愛人の子の分際で! あんたにはその汚れたドレスがお似合いよ」


 私が鏡の前で一生懸命練習した『意地の悪い笑み』を浮かべると、マリンは言い返せずおびえているふりをする。


 人のこと言えないけど、あなたも本当に役者よね。


 ここまですると、ようやくお目当てのバルゴア令息がこちらに近づいてきた。


 やれやれ、男は本当に悲劇のヒロインが大好きよね。


 でもまぁ、女も颯爽と現れて助けてくれるヒーローが大好きなんだからどっちもどっちか。


 バルゴア令息は、近づいてきたもののマリンに声をかけず、ポカンと口を開けていた。


 もう……これでも、まだ悲劇要素が足りないの? さっさとマリンを助けなさいよ。


 ほら、マリンが助けてほしそうに、そっちをチラチラ見ているじゃない。あなたが助けないとこの茶番は終わらないのよ。


 仕方がないので、私は演技を続けた。


「マリンたら、こんなに着飾ってたぶらかしたい男でもいるのかしら?」


 そんなことを言ったけど、マリンは清楚系の可愛らしいドレスを着ている。それに比べて私は胸元が大きく開いた身体のラインがわかるはしたないドレス。もちろん、マリンに無理やり着せられている。


 男をたぶらかす気満々なのは、どうみても私のほうだ。


「ひ、ひどいです! お姉さま」


 そうね、マリン。あなたは本当にひどいわ。


 父の愛もあの家の財産もすべてあなたのものなのに、どうして私をほっておいてくれないの?


 どうして、私にこんなひどいことをさせるの?


 あなたが昨日、ふざけて私に投げつけた花瓶、肩に当たってすごく痛かった。今も腫れて痛みをこらえるのが大変なの。


 それでも、私は事前にマリンに指示されていたように、右手を高く振り上げた。ズキッと肩が痛む。


 こうすれば、私がマリンを叩くように見える。暴力が行われるとわかれば、どんな男性でもあわててマリンをかばう。


 バルゴア令息も例外ではなく、あわてて私とマリンの間に入った。


 ほら早くマリンを抱き寄せながら、私をののしりなさいよ。それがマリンの望みなのだから。


 でも、バルゴアの令息は、マリンではなく私の振り上げていた手首をつかんだ。


 ああそうか、マリンをかばう前に、叩こうとしている私を罰する気? あるあるよね。


 私が背の高いバルゴア令息を下からにらみつけると、バルゴア令息は私の手首をつかんだまま小声でささやいた。


「素晴らしい演技ですけど、これ以上はやめたほうが……」


 今度は私がポカンと口を開ける番だった。


「えっと、あなた、肩を痛めていますよね?」


 バルゴア令息は、ドレスの上からそっと私の肩にふれた。


「ひどく腫れている。そうとう痛いでしょう? 医者に見せていないのですか?」


 予想外すぎて、私はつい小さくうなずいてしまう。


 伯爵邸の中で、私の味方は一人しかいない。私専属のメイドだけが私に優しくしてくれる。でも、そのメイドは医者ではない。私がケガをしてもメイドにはどうすることもできないし、父は私のために医者なんて呼んでくれない。


 私を心配そうに見つめる、バルゴア令息の紫色の瞳に動揺してしまう。


 今まで、こんなに純粋に男性から心配されたことはない。貞淑とはかけ離れた格好をしている私に近づいてくるのは、『あと腐れなく一晩だけ遊んでやろう』と考えているクズばっかりだった。


 もちろん、一度だって相手にしたことはない。相手にされなかった男性たちが、ウソと悪意にまみれた話を広げて、私の評判をさらに落としていく。


 気がつけば、私は『社交界の毒婦』なんて呼ばれていた。


「は、離して!」


 私がバルゴア令息の手をふりほどこうとしてもビクともしない。暴れて体勢をくずした私をバルゴア令息が抱き留めた。


 その瞬間。


 ゴギッと鈍い音がした。


 バルゴア令息につかまれていた手首に、強烈な痛みを感じて私は声にならない悲鳴をあげる。


 そんな私の代わりにバルゴア令息が悲鳴をあげた。


「う、うわぁああ!? やっちまったぁああ!」 


 真っ青になったバルゴア令息の顔が見える。


 なんだか、彼に抱きかかえられてどこかに連れていかれているような気がする。


「叔父さん、叔母さん! や、やばい!」

「えっ何やらかしたのよ、リオ!?」


 そんな会話が聞こえたのを最後に、あまりの痛みに私は気を失ってしまった。


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