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炎の道―戦国英雄譚・明智光秀―  作者: 芋久邇
美濃編
9/15

第9話 嵐の前の静けさ

「熙子」


 妻の名を呼ぶ。まだどのように接すれば良いのかわからないでいた。

 この明智城の麓に新たに建てた屋敷で暮らし始めて一年になる。


「お呼びですか?」


 熙子が来た。光秀はいつも通り少し緊張を感じながら言った。


「うむ。少しそなたの御両親へ挨拶に行こうと思ってな」

「まあ! 義母上様は?」

「母上は……」

 少し考えてから言った。

「いや、良いだろう。母上は屋敷にいてもらう」

「良いのですか?」

「ああ」


 これから煕子の実家・妻木家に新年の挨拶に行くところだ。つまり村木砦の戦いの年が明け、今は天文24(1555)年である。




「これはこれは十兵衛殿! わざわざ足を運んで頂いて申し訳ない」

「いえ、とんでもありません。義父上」


 光秀は煕子の父・妻木範煕の屋敷に入った。


「十兵衛殿、聞きましたぞ。鉄砲を求めに京まで足を延ばしたとか。御屋形様への御奉公、大層評判でございます」

「いえ、私が買ったのはたかが数丁。それを御屋形様はあの織田上総介から何百丁もただで手に入れてしまわれた。私のしたことなど――」

「いやいや、そうではござらぬ。あの吝嗇な御屋形様からは、ろくな銭も貰えなかったでしょう。自腹で京まで行く、生半可なことではございますまい」


 光秀は苦笑するしかない。


「はあ、しかしそれほど大袈裟なことではありませぬ」

「はっはっは。十兵衛殿は立派じゃ」


 妻木氏の館は穏やかな田園の中に建っていた。そんな館でゆったりとした1日を過ごす――。




 しかし、こんな時間は長くは続かない。美濃の騒乱の火蓋が同時刻、稲葉山城で切られていた。




 ※ ※ ※




「御屋形様」

「なんじゃ」


 稲葉山城の麓の居館にいた斎藤利政をある人物が訪ねた。稲葉伊予守良通だ。


「我が斎藤家臣一同の評定により、御屋形様にお伝え致したいことがございまする」

「評定? そんなもの儂は聞いておらぬぞ。いつの話じゃ」

「たった今のことにございます。御屋形様には今後、政務より退いて頂きます」


 利政が不気味な笑いを浮かべた。


「伊予守、それはなんの冗談じゃ?」

「冗談ではございませぬ」


 利政の顔から笑みが消えた。


「……高政か」

「若様は関わりなきこと。全ては我ら宿老で決めた――」

「嘘を申すなぁ! 高政が……あやつが謀ったのであろうが」


 稲葉良通は暫く黙り込んだが、やがて立ち上がり


「ならばそうお考えでよろしゅうございます。では、某はこれにて」


 と退室しようとした。


「伊予! このままでは終わらぬぞ」


 利政の言葉に、良通が振り返った。


「それは、某におっしゃったのですか」

「ふっ、儂の矛先はただ一人じゃ」

「……承知つかまつりました。では、」


 利政の元からまた一人、去ってゆく――。

 その後、利政は頭を剃り、出家。号を道三とした。


 ※ ※ ※



「伊予守、どうであった」

「納得されるはずがございませぬ。心底お怒りであられました」

「当然だろうな」

「よろしいのでございますか、稲葉山に残して」


 道三は政務を退いた後も、稲葉山の居館で生活を続けていた。


「ああ、おそらくご隠居の罠だ。下手に刺客を差し向けたりしては大義名分を与えることになる」

「ご隠居、と申されますか」

「ご隠居だ。これからは儂が美濃の国主であるからな」


 しばらくの間沈黙があり、やがて高政の叔父にあたる長井道利が口を開いた。


「それには、あと数名消さねばならぬ者がおります」




 弘治元(1555)年 10月


「若様が臥せった!?」

「若ではなく御屋形様、でござる。道三様は隠居、出家された」

「そ、そうでしたな」


 光秀の元に長井道利が訪ねてきた。普段関わりのない御仁が何用かと訝しんだところ、新当主・病に倒れるという報をあちらこちらに伝えているようだった。


(しかし――)


 それでも光秀の疑念は晴れない。第一、長井道利というのは高政と親しい。わざわざ道利が動いているというのなら、高政自らが、病のことを広めていると考えても良いだろう。だが、ただでさえ強引な代替わりをしたばかりで国内は不安定なのにも関わらず、その新当主が臥せっているとなれば隣国からの侵攻の危険性が高まるのは当たり前だ。


(高政様は幼いころよりよく存じているが……そのあたりのことが分からぬはずがない。むしろ、分かった上で噂を広めているのか?)


 だとしたら、何のために――?

 光秀の頭を嫌な予感がよぎる。


(高政様、どうか穏便に済まされよ)




 そんな光秀の願いも虚しく、翌月、ついに決定的な事件が起こった。


「兄上、御加減いかがですかな」

「おお、孫三郎に喜平次! よう来てくれた。最期に儂から伝えたいことがある」


 高政の弟二人は、高政に呼び出され、見舞いに来た。この二人は高政と違い、父・道三に溺愛されている。美濃では、高政様はいずれ弟君に家督を奪われるのではないかという噂もあった。


「お主らは儂が死ぬと分かり、内心喜んでいよう」

「いえ、そのようなことあるはずがございませぬ。我らは兄上の下で、精を尽くして精進したいと思っておりました」

「……いや、喜んでおる。そういうことでないと都合が悪い」


 高政の発言に二人は絶句した。その直後、二人の背後で勢いよく襖が閉まる音がした。


「あ、兄上? こ、これは一体⁉」

「孫三郎殿、喜平次殿。御屋形様の命により成敗仕る」

「ま、待て、すまぬ。この通りじゃ。兄上、お許しを――」


 最後まで言い切ることなく、その場に崩れ落ちた。高政の腹心・日根野弘就の刀からは血が滴っている。高政は起き上がって言った。


「さすがは弘就、見事だ」

「ありがたく」


 全てはこの血の一室から始まるのである。




「おのれ高政、二度と許さぬ。すぐに貴様の首と胴体を切り離してくれるわ!」


 道三は稲葉山城下の別邸に出向いていた。そしてそこで事件の全容を聞いた。


「道三様、直ちにここを離れましょう。次は道三様のお命が危のうございます」

「致し方あるまい。義はこちらにある。鷺山で兵を集めるぞ」

「はっ」



 ※ ※ ※



 同じ頃、光秀もまた知らせを受ける。すぐに稲葉山へ向かい、高政に謁見した。


「高政様、これはいけませぬ」

「他に方法は無い。これでご隠居はこの城を離れるだろう。そうなればようやく儂の統治が前進する」

「道三様がこの城を離れるだけで済むとお思いですか」

「済まさざるを得まい。こちらはすでに美濃を掌握しておる。ご隠居は動けぬだろうよ」


 震える声で話す光秀に対し、高政は何も心配することはないと軽い口調で言った。


「道三様はたった一人で一からこの美濃(くに)を統べたお方。少々侮りが過ぎると存じまする」

「逆に十兵衛、幼いころよりの付き合いを思って一つ忠告してやろう。お主の行動しだいでは二度と顔を合わすことは無い」

「……」

「下がれ」


 光秀は城下の屋敷には寄らず、その足でそのまま明智城に戻った。


「十兵衛」


 真っ先に光秀に近づいてきたのは叔父の光安だった。具足を着けている。


「儂にも報せが来た。道三様が鷺山で兵を挙げたらしい」

「なりませぬ。道三様はもう――」

「儂は道三様に恩が有る。御恩を返さねばならぬ。だが、明智家の当主は十兵衛じゃ。そなたは好きにするが良い。儂は供回りだけを連れて鷺山へ行く」


 叔父は死のうとしている。今この状況で道三が勝つと確信している者は誰一人いるはずがなかった。道三と共に死のうと決意しているのだ。


(叔父上は武士としての最期を飾ろうとしておられる)


 病がちになってきた光安にとって、これは最高の機会なのだろう。


(私に叔父上を止める権利はない)


 と思った。だが、叔父の言い分が正義であるという確信もあった。ここは一人の武士として、高政ではなく道三につくべきではないのか。


「さらばじゃ、十兵衛」

「お待ちを! 私も……鷺山へ参ります」


 光秀は決断を下した。


「駄目じゃ。そなたは明智家を守る責務があろう。家を滅ぼすような事があってはならぬ」

「しかし、叔父上はよく私に申されていたではありませぬか! ……今の美濃があるのは道三様のお陰だと」


 いつの間にか周りに人だかりが出来ている。その中には母・牧の方や妻・熙子の他、光秀の従弟にあたる秀満の姿があった。秀満は光安の嫡男である。


「十兵衛様!」


 声が上がった。藤田伝五郎だ。


「十兵衛様の徳は我等百姓も常に感激いたしております。私達は皆どこまでも十兵衛様についていきまする!」

「某も、無論十兵衛様に」


 秀満も光秀の目を真っ直ぐと見返しながら言った。光秀は傍らの牧の方と熙子を見た。二人は黙って頷いた。


「皆ありがたい。わしは道三様から受けた恩を忘れることはできぬ。目指すは鷺山!」

「おおっ!」


 明智十兵衛光秀麾下二百人、鷺山・道三陣営へ合流。


「十兵衛よ……道を誤ったようだな……」


 高政は届いた伝令を受けてそう呟くと、書状を破り捨てた。


「時は来た。儂は美濃の国主として、反逆するものは許さぬ。例え先代だろうと、幼馴染だろうと、反逆者は成敗するのみ! 鷺山を討つ!」

「おおっ!」


 長良川の戦いが、始まる。

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