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炎の道―戦国英雄譚・明智光秀―  作者: 芋久邇
美濃編
7/15

第7話 正徳寺の会見

 尾張国那古野城――


「帰蝶、これからお主の父君に会うて参る」

「……くれぐれもご油断無きよう。父上は何かあれば殿を斬るつもりのはず」

「なに、心配いらぬ。向こうが酒盛りと言うておるのじゃ」

「しかしそんなはずが――」

「案ずるな。わしの肴を見たら舅殿もお喜びになる。だから安心して待っておれ」


 信長が発った。



 ※ ※ ※



 美濃稲葉山城下――

「参るぞ。……高政、そなたは兵を率いて少し遅れてこい」

「……⁉ 一体どういうことで?」

「仮にわしが信長を亡き者にしたときは、そのまま尾張へ攻め込め」

「はっ! かしこまりました」


 高政が力強くうなずいた。高政は前から織田家のことを快く思っていなかったのだ。


「だが――」


 そんな高政に釘を刺すように利政は言った。


「そうでなければ織田方に気づかれぬよう兵を退け。これは絶対じゃ」

「……承知致しました」

「よし、それでは婿の顔を拝みに行くかのぅ」


 利政が発った。




 光秀も従軍している。「従軍」というのはおかしいかもしれないが、今度の会談はそれほど緊迫感を持ったものであった。


(織田上総介信長……父親の位牌に抹香を投げつけたと聞いたが……誠に尾張一国を任せられる器なのか……?)


 皆そのように思っているはずだ。光秀は利政の周囲を固めているが、利政以外の者達は表情が険しい。

 あと少しで正徳寺に着くというところで、不意に利政が叫んだ。


「誰か!」


 用があるのだろう。


(これは私が……!)

「はっ、明智十兵衛にございます!」

「おお、十兵衛。見ての通り婿殿は未だ到着しておらぬらしい。そなた、織田勢の様子を見てきてくれ」


 敵情偵察だ。そもそもこの時点ではまだ織田方がどのくらいの人数かすら把握できていない。


「わかりました。織田勢を確認次第こちらに戻ります」




 光秀は単身、尾張側へ進んでいった。


(織田勢はどこだ……?)


 ところが、案外簡単に見つけることができた。なにしろ、その格好が派手だったからだ。


(なんなのだあれは)


 まず、先頭にいる兵は皆、身長の三倍ほどの長さの槍を持ち、その先端には赤い紐が結び付けられている。また、光秀を驚かせたのは鉄砲の数である。隊列を組む兵ほぼ全員が鉄砲を所持していた。


(百……二百……三百……⁉ どこまで続くのだ?)


 光秀は鉄砲を数えその多さに絶句した。三年前に光秀自分自身が鉄砲を調達しに行った。そのときは七丁揃えて持ち帰ったが、かなり高額な代物だった。ところがその鉄砲を、織田家は四百丁近くも持っているではないか。


(いや……ここに持ってきたのが全てとは限らぬ。これでも一部に過ぎないのだったら、織田はどれだけ持っていることになる? しかも、鉄砲はあれほど高いのだぞ、いくらの銭をそろえてもあんな数買えぬ。有り得ん)


 だが、光秀が己の目で確かめた事実なのだ。


(ひとまず御屋形様に――)


 と、来た道を戻ろうとしてはっとした。

 当の信長の姿を確認していない


(信長はどこだ?)


 騎馬武者はところどころにいるが、これが信長だ、と思える者はいない。


(ん?)


 ただ、一人異彩を放つ者を見つけた。輿に乗って饅頭をほおばり、あぐらをかいている。


(何者だ?)


 光秀はそのまま次の騎馬へ移ろうとして、思い出した。


(いや待てよ、確か信長はうつけと名高いと聞いた)


 まさかあれが――。

 すっかり気が動転して、光秀は走り去るように正徳寺に引き返した。




「御屋形様! の、信長の織田勢が……!」


 正徳寺に駆け込んだ光秀は、まだ利政のいる一室にたどり着く前に大声をあげた。その声がよほど切羽詰まっていたのだろう。何事か、と待機している家臣達が集まってきた。


「なんじゃ、如何した。まさかこの寺を取り囲もうとでもしているのか?」


 利政でさえもただ事ではないと思ったようだ。


「いえ、そうではありませぬが……。織田勢の持つ鉄砲の数です。ざっと見ただけでも三百は優に超えています」

「あの鉄砲をか⁉」

「はっ、あの高価な鉄砲をです」


 光秀の報告で空気が一変したような気がした。それまでの斎藤家中には、織田家を嘲る声も多く聞こえていたが、今は

 ――織田勢、侮るなかれ。

 という気持ちが芽生え始めている。


「それともう一つ」

「なんじゃ、申せ」

「信長という男、噂の通りかなりのうつけ者にございます。輿に乗り、こう――」


 と言い、信長の格好を身振りを交えて説明する。


「肘をついて饅頭をほおばりながらこちらへ向かってきています」

「……。」


 しばしの沈黙があった後、そこにいた全員が吹き出した。


「……ぷっ、ぶはははは」

「舅に会いに行くのをただの花見のように思っとるらしい」

「やはり噂に違わず、ただのうつけか」

「そんなにこの美濃の桜が見たいなら見るが良い」

「尾張のうつけなど、脅せば一国でもくれるのではないか?」


 鉄砲についての報告など忘れてしまったように、皆織田家を蔑み始めた。


「しかし、婿殿がそのような格好をしておるのに、わしらだけ正装というのもおかしな話だ。このような堅苦しいものは脱いでしまおうかのう」

「その通りですなぁ、そう致しましょう」


 こうして斎藤家の者は皆服装を崩してしまった。



 ※ ※ ※



「さっきの奴はもう報告しに行ったかな?」

「さっきの奴?」

「さきほどあのあたりの茂みに隠れてこちらの様子を窺っていたものがおっただろう」


 信長の観察力に、周りにいた家臣は感心の思いを抱えている。


「申し訳ございません。某、気が付きませなんだ」


 一人がそう答えると、信長は得意げに鼻を鳴らし


「まあ良い。さて、そろそろ準備を始めるとするか。皆着替えるぞ」

「はっ!」



 ※ ※ ※



「織田上総介信長殿、ただいまご到着されました!」

「やっと来おったか」


 利政が談笑をやめ、顔を上げる。だが顔を上げて驚いた。


「遅くなり、誠に申し訳ございません、舅殿」


 正装をしている。


(十兵衛のやつ、見る者を間違えたのか?)


 光秀は利政に厳しい視線を向けられ、慌てて首を横に振った。


(そんなはずはない。私が見たのは明らかにこの男だった)


 顔が同じだ。背の高さ、体格も一緒だ。服装だけが違う。

 光秀が必死に首を振って否定しても、利政以下斎藤側の者は疑いの目を向けてくる。織田側の人間は皆一様に正装しているのにも関わらず、こちらは光秀の報告を受けて脱いでしまったのだから、光秀のせいで恥をかいたと思っているのだろう。


(違う……なぜ――)


 と信長を見ると、信長と目が合った。そして、信長は少し笑い


「いやあ、暑かったので尾張を出たときからここまで身軽な服装をしていたのですが、ここについてから、舅殿に失礼だ、と気づきまして。そこの者にはお恥ずかしい姿をお見せしたかもしれませぬ」


 と言って、光秀に会釈した。

 斎藤家の家臣は何も言えなかった。


 無言が続く。


(さすがはあの信秀の子だな。こやつなかなかやりおる)


 利政は、自分の目を真っ直ぐ見返してくる信長を見てそう思った。


(これはうつけなどではない。十兵衛が見たのは表面だけ、今わしが見ているのが本物の織田上総介信長という漢だ)


 光秀が織田勢に姿を見られるようなへまを冒すはずがない。信長は光秀のことを見破ったのだろう。

「そういえば――」


 利政は一つ、尋ねてみることにした。


「婿殿は随分と良い肴を持っているそうではないか。いかなるものかな?」


 信長はまた薄く笑った。


「はい。必ず舅殿も気に入っていただけるはずでございます。……誰か、その戸を開けて下され」


 斎藤家臣は顔を見合わせ、おもむろに開いた。

「……!」


 中庭に織田の兵が整列していた。そして鉄砲を構えている。

「な、信長め、御屋形様を撃つ気か!」


 とっさに利政の前に立ちふさがった斎藤家臣に対し、利政が制止した。


「無用だ」

「しかし――」

「撃つならとっくに撃っている。それに婿殿は、儂を殺しても利が無いことくらいわかっておるはずじゃ」


 それでも斎藤家臣は警戒を解かず、利政の前に立ち続けた。


「鉄砲というのは、弾を入れるのに時間がかかる故に一度撃ったらもう使わない、というのが近頃の使い方にございますが――」


 信長が言った。


「鉄砲はご存知の通り恐ろしく値の張るものです。舅殿、これをどう思われますか? もったいのうございませぬか?」

「……そうじゃのう」


 利政が答えると、信長は嬉しそうに続けた。


「しかし、数を揃えればもう少し効果的に使うことができまする。このように――」


 鉄砲隊が前へ出た。信長が号令をかける。


「第一陣、用意! ……撃てぇっ!」


 正徳寺に轟音が鳴り響いた。


(すごい……)


 と、その場の誰もが思った束の間


「第二陣、用意! 撃てぇっ!」


 二度目の轟音が鳴った。


(なぜこんなにも早く撃てるのだ)


 光秀は訝しみ、兵の動きを注視した。

 すると、撃つ兵たちが入れ替わっていることに気づいた。


「第三陣、用意! 撃てぇっ!」


 再び轟音があたりを切り裂いた。


(なるほど、鉄砲隊を三つに分け、交代しながら撃っているのか)


 信長が庭から部屋に戻ってきて利政に訊いた。


「どうでしょう。気に入って頂けましたかな?」

「ああ、気に入った。気に入ったが、これを見ながら酒を飲むなどできるはずがなかろう。それにこんな所で撃つなど、寺に配慮を欠いておる」


 信長の顔が微妙に引き攣った。その一方、鉄砲に度肝を抜かれて放心していた斎藤家臣たちはその顔に笑

みを取り戻している。


「だが儂はその鉄砲を認めていないわけではない。婿殿は大したもんだ。そこでどうであろう、その鉄砲をお譲り願えぬかな?」

「はっ、いかほどでございましょう」

「全てに決まっておろう」


 利政の吹っ掛けに、織田、斎藤両家臣ともに驚愕した。ところが、信長の回答はさらに皆を驚かせるものだった。

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