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炎の道―戦国英雄譚・明智光秀―  作者: 芋久邇
美濃編
10/15

第10話 激突

 尾張国那古野城



「義父上……」


 道三挙兵の報せは当然同盟相手である織田信長のところにも届いた。使者となったのは光秀の義父・妻木範熈だった。


「上総介様に置かれましては、国内の安定に力を尽くしてほしいとの仰せでございます。くれぐれも岩倉の

 織田信賢などの小者に足を掬われぬませぬように」


 範熈からすると、「義父が危機だから一刻も早く美濃鷺山城へ援軍に来い」とはっきり言いたかった。回りくどい言い方をしている暇はないのだ。範熈が美濃を発った時点で、稲葉山には高政方の軍勢は着々と集っていた。すでに合戦が始まっていてもおかしくはない。


(鷺山はそこまで強い城でもない……。何としても織田勢を動かさねばならぬ)


 だが、信長は範熈の必死の表情を見て、いかに切羽詰まった状況にあるかを察していた。


「そんな悠長な事を言っている暇はないのであろうが。儂は今すぐにでも兵を動かす。どうすれば良いか、申せ」

「有難く存じます。では、事は急を要しまする。今、道三様は鷺山の城に籠もっておられるはずです。一方の高政様率いる敵勢は稲葉山を出陣し、道三様の首を取らんとしています。上総介様の御手勢は急ぎ鷺山の道三様に合流して頂きたく――」

「敵方の兵はいかほどか」

「は、はっ。およそ一万三千ほどかと。それに対し我が方は二千にございます」

「……相分かった。明朝には発つ。義父上によろしゅう伝えよ!」

「はっ」


 幼い頃からうつけと呼ばれてきた信長にとって、斎藤道三という義父は唯一の良き理解者であった。そして、尾張の統一戦の間も度々支援をしてくれていた。


(今度は儂が援ける番じゃ)



 ※ ※ ※



 弘治2(1556)年 4月20日


「十兵衛、よう参った」

「今までの深き御恩、お返しするのはこの時をおいて他にございませぬ。その一心にて罷り越しました」


 明智勢はその日に道三方へ参陣した。一方の稲葉山・高政方は本陣を動かさず、城下に兵を展開する。


「道三様、敵が稲葉山城下に集っておりますが、斎藤新九郎高政本人は出てきておらぬようです」

「ふん、あやつめ、臆したか」

「……実の父親に弓引くのは流石に気が重いのではありませぬか?」

「たわけ。孫三郎と喜平次を殺しておいて何を言う。最初からこうなることまで覚悟致せ」


 高政のことを罵った後、道三はどっかりと床几に腰を据えた。目を瞑り、今までの己の生き様を思い返す。そして、未練は無いと再度確認する。


(いや、唯一あるとすれば――)


 目を開けると、地図のに端に書かれた『尾張』という文字があった。


(あの織田上総介信長という漢の進む道を見ることが叶わなかった……)


 道三はもう、自身に待つ運命は死しかないと自覚している。美濃を己の物にするために随分と荒っぽい手段もたくさん用いた。成り上がり者の自分が美濃の国衆に嫌われるのは当たり前だ。

 ふと、傍に控える光秀の姿が目に映った。

 そう、そんな中でも、この若者だけは忠誠を誓ってくれていた。


(十兵衛だけはなんとしても死なせてはならぬ)


 道三の決意に気づくはずもなく、光秀は稲葉山の方角を睨んでいる。



 夜が明ける。白み始めた東の空を眺め、道三は口を開いた。


「さて、臆病者の面を拝みに行くかのぅ」

「おおっ!」


 鷺山に集いし斎藤道三の軍勢、ついに稲葉山へ向けて出陣。一方の斎藤高政軍は長良川沿いへ大軍を展開する。


『ブォォォォォォォ』

「かかれぃ!」


 辰の刻(現在の午前8時頃)、道三方の先鋒が渡河を開始した。迎え撃つ高政方は大軍の強みを生かし、横に長く布陣した。包囲すると同時に、道三本陣への攻撃も厚くする構えである。


「美濃に毒をもたらす(まむし)を駆逐せよ!」

「おおっ!」


 数で劣る道三方だが、そのなかでも勝るものがあった。火力、すなわち鉄砲の多さだ。道三は敵主攻といえる両端へ兵を集め、あえて本陣の前を薄くした。そこに突撃してくる高政方を鉄砲の掃射で一網打尽にする計略だった。

 その鉄砲隊の指揮を執るのが、信長から送り込まれたあの滝川久助だ。久助は信長から、なるべく持ちこたえて時間を稼げと言われていた。

 川岸へ鉄砲を一列に並べることで、川によって勢いを削がれた敵兵を葬るというのも信長から指示され、久助が提案したものなのだ。


「焦るでないぞー、十分に引き付けよ!」


 その後ろで道三は床几に座っている。隣には光秀が仕えた。


「撃ち方、よぉい! ……撃てぃ!」


 鉄砲の乾いた音が響く。


「良いぞ、次!」


 両翼では凄絶な肉弾戦が行われる。


「竹腰道鎮、討ち取ったり!」

「おおっ!」


 道三方の武将が敵の首級を挙げたようだ。道三方は善戦を続ける。




 ところがしばらくたったとき、鉄砲の轟音もかき消すような喊声が上がった。


「報告! 右方、林駿河守殿、討ち死に!」

「なんと」

「ついに来たか」


 今まで微動だにしなかった道三が立ち上がり、敵影を見る。


「高政め、ようやく来おった」

「林殿の手勢、壊滅! 後詰の神山内記殿が援護を求めております!」

「御屋形様、私が参ります」


 光秀が名乗り出た。道三方では道三のことをまだ御屋形様と呼んでいる。


「今すぐ家人を率いて神山殿の援護に――」

「ならぬ」

「な、なぜです? このようなときの為の後軍ではございませぬか」

「お主の持ち場は左方と申したはずだ」

「しかし、今は神山殿の持ち場が崩れかかっておりまする。一刻の猶予もならぬと存じます」

「いや」


 逸る光秀を、道三は抑える。光秀はここで死ぬべき人物ではない。


「久助!」

「はっ! 直ちに配下を回しまする」

「頼むぞ」


 久助の鉄砲隊がいれば少しの間、時間は稼げるはずだ。


 尾張に近い右方へ高政が戦力を集めるのは予想できていた。だからこそ、光秀は左方へ配置したのだ。だが、道三の目には左方も安全とは言えなくなりそうに見え始めた。

 鉄砲の音に混じり、再び喊声が上がった。


「左方で喊声が……。いかがしたのでしょうか」

「……済まぬ、十兵衛。お主は死なせないつもりであったのだが――」

「報告します! 敵の圧力が思いの外強く、お味方、潰走を始めました……!」


 勝敗は決した。

 道三も改めて覚悟を決めた。


「槍を持て! 儂も出る!」

「お待ちを! その前に私が――」


 光秀はまだ無傷だ。


「私が一人でも多く敵兵を道ずれにして、お供仕ります!」

「……心意気は有難いが、お主はすぐにここを去れ。今なら間に合おう」

「何をおっしゃいますか」

「お主は、ここで死んで良い者では無い。儂の志を途絶えさせてはならぬ。お主が儂の代わりとなって、美濃を、日ノ本を、見るのじゃ!」

「で、ですが――」

「そして、あの信長の進む道を最後まで見届けよ! これは命令じゃ!」


 光秀の目から熱いものが零れ始めた。


「御屋形様! 必ず、務めを果たしてみせまする」

「達者でな。……馬曳けぃ! 皆、手柄は冥土でくれてやる。ゆくぞ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 僅かに残っていた道三直下の家人達が騎乗した道三に続いて突撃を敢行した。




 光秀は明智家の郎党を引き連れて明智城に戻る途中、その光景を目にした。

 それは、日頃の長良川の清き流れからは想像もできない、赤く染まった地獄であった。



 ※ ※ ※



「真によろしかったのですか」

「無論だ」

「ところで、明智十兵衛が戦線を離脱したようでしたが、いかがなさいます」

「同情の余地は無い。稲葉、お主が明智城を攻め落として参れ」

「かしこまりました」


 道三の首の首実検が終わった。実父の首が目の前にある。哀しみといった感情はなかった。

 父にしろ、幼馴染にしろ、なぜ俺に従わなかったのだろう。高政の頭を占めているのはそのことだけだった。


(俺に欠けているものとは何だ)


 そう考えると、苛立ちが募っていく。あのような卑劣極まりない道三の元に二千もの兵が集まったこと自体が腹立たしかった。

 そして、極めつけは光秀だ。親友だと思っていたのにも関わらず裏切った。


「良いか皆の者。この美濃を治める正当な国主はこの斎藤新九郎高政である。刃を向けるものは何人(なんぴと)たりとも許さぬ。わかったか!」

「は、はっ」

「あとは尾張のうつけじゃ。兵を差し向けて追い払え」

「承知!」



 ※ ※ ※



 その頃信長は美濃へ入っていたものの、高政方の諸将の手勢に阻まれ、ついにそれを突破できなかった。


「藤右衛門とやら、あとどれほどじゃ」

「……まだまだ稲葉山は先でございます」


 妻木範熈は信長の案内役として共に美濃へ向かっている。


「……間に合わなんだかのう……」

「そ、そのようでございまする……」


 そうこうするうち、すでに何度も来た伝令が再び到着する。


「殿! 奥から新手が参ります!」

「またか」

「やはりもう戦は決着したのではございますまいか」


 範熈の顔にはもう諦めの表情も浮かんでいる。


「報告ー! 新手を率いるは長井隼人佐(はやとのすけ)道利! 敵の新手は長井隼人佐の手勢にございます!」

「長井とはいかなるものか、藤右衛門」

「新九郎高政の側近中の側近にございます」


 範熈の言葉の意味を、信長も理解したようだ。黙り込んで空を仰いだ。


「それほど高政に近き者が、戦の最中に高政の傍におらぬなど、有り得ぬということか」

「その通りかと」


 もう道三は討ち取られ、戦は終わったのだろう。信長もそう考えざるを得なかった。


「致し方あるまい、帰るぞ」

「……」

「いかが致した」


 範熈には戦の趨勢とは別に、気になっていることがある。それを知らない信長は突如沈黙した範熈を訝しんだ。


「いえ、某の婿が道三様へお味方しております。婿と娘の身を案じておりました」

「そうであったか」

「しかし、このようなことは乱世の常にございます。お気になさらず」

「ならば――」


 いちいち口に出すな、と言おうとしたが、範熈の顔を見て飲み込んだ。範熈の目には涙が光っている。


(なるほど、その婿がよほど自慢だったようだな)


 それが聖徳寺で見つけた光秀だとは知らず、一度会ってみたいと思った。


(だがそれも討たれてしまったのであろうかのう)



 そんな光秀と信長が次に会うのは、この十二年後のことになる。

お読みいただき有り難うございます。

次回から流浪編になります

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