男爵家の長女なんだけど突然王子が婿入りすることになった。
私はメロディ・プリムローズ。
プリムローズ男爵家の長女で、妹が二人。男子がいないので私が跡継ぎだ。
今は貴族学院に所属していて、春休み。もうすぐ二年生になる。
そんな私が、父と共に突然王宮に呼ばれた。
プリムローズ男爵家なんて、田舎も田舎の超絶地方貴族、領民と一緒に汗を流すような平民同然の弱小貴族だ。王都に行くのにも片道十日程かかる。
つまり、王宮になんて、王族主催の夜会、それもどうしても断れないものに出席するときくらいしか行かない。
それどころか案内されたのは応接室。こんな場所、本来なら私なんて一生入れない。
「国王陛下がいらっしゃいました」
ヒィ、とお父様が声を漏らす。震えを気合いで抑え、立ち上がって最上級の礼で陛下を迎え入れる。
「面を上げよ」
「ありがとう存じます。プリムローズ男爵家当主クリフトン・プリムローズと申します」
「プリムローズ男爵家長女メロディ・プリムローズと申します」
「うむ。とにかく座るが良い」
陛下に示されソファーに腰を掛ける。
「時間もないのでな、早速本題に入らせてもらう。単刀直入に言う。メロディ嬢に第一王子ルシフェルを婿入りさせる」
……聞き間違いかな?
「恐れながら陛下、どうやら聞き間違えてしまったようです。もう一度お願いできますでしょうか」
どうやらお父様も同じことを思ったみたいで、聞き直してくれた。
「聞き間違いではない。まあ信じられないのは分かるがな。メロディ嬢に第一王子ルシフェルを婿入りさせる」
ちょっと意味が分からない。
文字にして22文字、だがその22文字で頭がパンクしそうだ。
パニクったときは深呼吸、と私は三回深呼吸をした。
「恐れながら陛下、私の娘でありここにいるメロディにルシフェル殿下が婿入りされる、ということで間違いございませんでしょうか」
「ああ、合っている」
本当に訊き間違いじゃなかったらしい。
でも、やっぱりちょっと意味が分からない。
「陛下、発言しても宜しいでしょうか」
「許す。二人とも今後自由に発言するように」
「ありがとうございます。陛下、私の記憶が正しければルシフェル殿下には婚約者がいらっしゃったのではありませんか?」
「諸事情でな。解消することになった」
陛下の口角が僅かに下がる。けれど当然ながら私もお父様も気付かないふりをした。
「左様ですか……。ではルシフェル殿下がプリムローズ男爵家に婿入りされる理由をお聞かせいただけますでしょうか」
「プリムローズ男爵家、というよりはメロディ嬢だな」
「私ですか?」
つい眉を顰めてしまい、慌てて表情を整える。
「どうして私なのですか?」
「む?メロディ嬢はルシフェルと結婚したいのではないのか?」
「いえそんな畏れ多い!男爵家かそれに近い平民、良ければ子爵家のいずれかから婿を取り家を継ぐつもりでおります」
どうやら大変な誤解をされてしまっていたらしい。
ただ、心当たりはなくもない。というか凄くある。
「ふむ、だが学院ではルシフェルとよく行動を共にしていたと聞いておるが」
「はい、その点に関しては事実でございます。しかしお慕いしていた訳ではなく、友人としてでございます。ルシフェル殿下は私にとっては雲の上のお方であり、殿下が卒業なされたこれからは夜会の挨拶でしかお話することの叶わないお方であります。ですので、身分を問わない学院限定で友人を、いえ勿論殿下にとっては単なる知人であったかもしれませんが、友人をさせて頂くつもりでありました。それに、私は確かによく行動をともにはしておりましたが、婚約者のいる男性として不必要な接触はせず適当な距離は取っていたと思っております」
言い訳がましくなってしまっただろうか、と陛下を窺うと、特にそのようには取られていないようだった。
そう、私と三歳上のルシフェル殿下は、よく学院でともに行動していた。最初に出会ったのは食堂、私が不敬にも殿下にぶつかり、そのコーヒーを零してしまうという事件が起こったのだった。それきりで終わりかと思いきや、それから私はよく殿下に話しかけられるようになった。多分、田舎での暮らしの話が物珍しく面白かったのだと思う。
そして恐らくそれが理由で、私への嫌がらせが始まった。殿下といれば少しは収まると殿下が主張し、余計に一緒にいるようになった。まあ確かに殿下がいるときの方が嫌がらせが少なかった。殿下がいないときに水をかけられることもよくあったし。
しかし、それだけだ。私は殿下に指一本触れていないし、殿下も私に指一本触れていない。身体的距離も常識的なものだったと思う。勿論田舎の常識ではなく貴族の常識だ。
「確かにべたべたしていたという報告はなかったな、そうか……。それより、限定とな?卒業後も王家と関係を持ちたいのではないのか?」
「いえまさか!」
陛下にとって、というか王族にとってはそれが普通なのだろう。
確かに野心がある者ならばそんなことを思ったかもしれないが、良くも悪くもプリムローズ男爵家は地方で細々と領地を纏め上げられれば十分という家風だ。
「そんな恐ろしいことを思う筈がありません。不敬と取られて仕方ないような理由でございますので申し上げることはどうか控えさえて下さいませ」
「不敬には問わんから正直に申せ」
正直に、とつけられてしまった。残念ながら隠せない。
「殿下と友人だったという実績があれば私に箔がつくのではないかと思いました。箔がつけばより条件の良い男性を婿に迎えることができるのではないかと思い、私と親しくしようとして下さる殿下に甘えてしまった次第でございます」
下心たっぷりだ。
そのせいで誰かから嫌がらせを受けてしまった訳なのだが、犯人は確実に貴族であり、例え公爵家の子女であっても王家よりは下、殿下を選ぶのは当然のこと。
私は殿下が卒業した後は殿下と関わるつもりはないけれど、プリムローズ男爵家を攻撃すれば殿下に睨まれるかもしれないと思ってもらえれば好都合だ。
そんなことを考えて王子と一緒にいたのだが、まさか私と殿下が恋仲、いや殿下には婚約者がいらっしゃったから、……浮気!?していると思われていたなんて!
陛下にそう思われているということは、学院生にもそう思われていたのだろう。それでは良い婿など見つかる筈もない。本末転倒とはこのことだ。
「ううむ……強ち間違いでもないがな。ただルシフェルは違ったようだ」
「といいますと?」
「そなたに恋慕を抱き、側妃にするつもりだったようだ」
「え゛」
衝撃的すぎて汚い声が出てしまった。
だってまさか、殿下が私を好きだったなんて。全く気付かなかった。
けれど確かに、殿下は少し変だった。婚約者であるカールトン公爵令嬢を放置した上、嫌がらせの犯人だと決めつけているようだった。
オリヴィア・カールトン公爵令嬢。ルシフェル殿下の婚約者。
容姿も家柄も教養も人柄も完璧。これ以上望むことなどないというような人だ。
嫌がらせには全く証拠が残っていなかった。だから、カールトン様かもしれないし、違うかもしれない。なのでカールトン様だと決めつけない方がいい。
私は何度も殿下にそう言った。全然聞き入れてもらえなかったけれど。
「例え側妃を打診されたとしても、それが打診である限りお断りしたと思います。私はプリムローズの跡継ぎなので」
「そうだったのか。ルシフェルの迷惑な片想いだったという訳だったのだな」
「とても光栄なことであり、一人の女性としては迷惑となど思えましょうか。ですがプリムローズの跡継ぎとしては……私を好きにならずカールトン様と仲睦まじくいらっしゃっていて欲しかったです」
「まあそうだろうな」
陛下が苦笑する。
殿下に好いてもらえるなんて本当なら夢のようだ。けれど、陛下にはこう言ったけれど、もし私が跡継ぎでなかったとしても断っていたと思う。
私は夫を独占したいのだ。カールトン様と分け合うのは嫌だ。
「だがな、ルシフェルはもうオリヴィア嬢と婚約を解消してしまったのだ。メロディ嬢にとっては不本意かもしれぬが、責任はとって貰わんとならん。まあ、基本的にはルシフェルが一人で暴走しただけだということだから、表立って何か処罰をすることはしない」
「その代わりに殿下をお迎えするということで宜しいですか?」
「そういうことだ」
陛下は頷いたけれど、私にとってはよく分からない理論だった。
「ですが、王族、しかも王子殿下が男爵家に婿入りなど釣り合わないにも程があるというものですが」
「婿入りさせた時点で王族籍から抜く」
この国では、結婚しても元の家から籍を抜くことはなく、籍を掛け持ちするという形をとっている。
結婚時と離縁時の手続きを楽にするためという理由で、だがそれでは実家で不祥事が起こったときに結婚で既に家を出ている者に咎が及ぶなど色々問題があるため、かなり細かく法律が設定されている。
従って、婿入りの時点で王族籍を抜くということは、殿下が王族だったという過去は消え、生まれながらに平民だったことになるということだ。
もし離縁が発生した場合、王族として王宮に戻ることはできない。まあ王命でこそないが王が取り持った縁談である以上離縁はあり得ないのだが。
とはいえ、他の人間は殿下が王子であったことを覚えており、さらに王家との関係も分からない。もしも平民だから、男爵家だからと見下す言動をしたときに、もし王家と王子が内々では関係良好だとしたら、王家から睨まれることになる。そんなのとんでもない。
ということで、王族籍を抜かれても、身分は下として扱われるが同時に丁重に扱われることも間違いないだろう。
どちらにせよ、陛下、あるいは王家が多分きちんと考えて出した結論なのだから、異を唱えるのはこれ以上は無理だ。
「それと、すまないが断種はさせてもらう。ここ最近は平和であるが、後々の世で種となってしまってはたまらん。ただ切るのは親として少々可哀想だから、あくまで処置という形になる。次代の当主は親戚筋から取るなり、確かメロディ嬢には妹が二人おったな、どちらかの子に継がせるなり、その辺りは柔軟に宜しく頼む」
平民になるとはいえ殿下が婿入りしてきた以上、私が当主となるほかない。けれど子を作れないのだから養子を取れということだ。
もう私は子を作れない。私自身の子供はできないのだ。
これが殿下の婚約解消の原因となった私への罰。友人以上のつもりがなかった私としては理不尽極まりないが、けれど私が不用意に殿下とともに過ごしていたから悪かった、それは理解している。
「承知、致しました」
「ルシフェルとメロディ嬢の子を妹のどちらかの子として届け出て養子として貰うのがいいのかとも考えたのだがな。メロディ嬢に似てくれればいいが、ルシフェルにそっくりな子が生まれたら言い訳できん。それとも隠して育て、ある程度大きくなったときに市井に放てるならば構わないが?」
それは子供が可哀想だろう。何故自分だけと思われるのが目に見えている。
生まれてきたくなかったと言われてしまうことも。
先に子供に聞けたらいいが、そんなことができる訳もない。
「……いえ、できません。子供は作らないことにします」
「そうか、分かった」
想像通りの返答だったからか、陛下は表情を変えずに頷いた。
「他に何か聞きたいことはあるか?」
「宜しいでしょうか」
「うむ」
「殿下の婿入りはいつ頃になる予定なのでしょうか」
「メロディ嬢の卒業と同時に。カールトン公爵家へのパフォーマンスの意味もある」
今すぐにでも処罰すべきところを、それでも3年も延ばすのだ。それ以上延ばすことは流石にできないということだろう。
私、というかプリムローズ男爵家としては、学院で相手を見つけて卒業後なるだけ早く結婚するつもりだったため、特に早すぎるということはない。
問題は相手が殿下だというただその一点だけなのだから。
「承知致しました」
「他には何かあるか」
「いえ」
「ございません」
「うむ。では婚約宣誓書にサインをしていってくれ」
「はい」
陛下が机に伏せておかれていた紙を表に向けてペンとともに私とお父様に差し出す。
そこには既に陛下と殿下のサインが書かれていた、
私とお父様は順に紙にサインをし、陛下に返した。陛下が紙を見て一つ頷いた。
「メロディ嬢、折角だからルシフェルと茶でもして行けば良い。言いたいことも多いだろう。不敬には問わんから好き勝手言ってやれ」
にやりと笑った陛下は、メモ用紙にこの後のお茶会での不敬を問わぬ旨を記載し、サインを添えて私に手渡した。徹底している。
陛下は私が正直凄く迷惑していることを理解しているのだろう。殿下と一緒にいた私も悪いが、大本の原因は完全に殿下だ。そもそも殿下が構ってこなければ私も関わるつもりなどなかったし、陛下も多分それに気付いている。
だから陛下のにやりとしたこの笑みの瞳の奥に気の毒そうな色が混じっているのだろう。
「ありがとうございます」
「うむ。私は執務があるからそろそろ戻る。男爵は退城してくれて構わん。メロディ嬢は王城のサロンに案内させよう。長旅ご苦労」
陛下がソファーから立ち上がり、部屋を出て行く。入れ替わりで執事服を着た男性が入ってきて、私を呼び、サロンへと案内してくれた。
王城のサロンになんて、基本的には王族かその婚約者しか入れない。まだ王子である殿下と婚約している私は一応対象に当てはまるのだが、本来男爵令嬢が入れるような場所ではない。
サロンは、煌びやかなのかと思いきや意外と落ち着いた内装だった。既に殿下は座っており、紅茶を飲んでいた。
私は自分にできる精一杯のカーテシーをする。
「ご無沙汰しております、第一王子殿下」
「久しぶりだね、メロディ嬢。取り敢えず座って」
殿下の向かいに置かれた椅子を指し示され、私は侍女に椅子を引いてもらって席に着く。
侍女が私の分の紅茶を準備し、その後すぐにケーキが運ばれてきた。
「殿下、人払いをお願いできますか」
「ああ、構わない。ただ、まだ結婚していない以上扉は少し開けておくことにはなるよ」
「承知しております」
私が頷くと、殿下は使用人を部屋から出してくれた。
「メロディ嬢。婚約者になったのだし、これからはメロディと呼び捨てにしてもいいか?」
「はい」
「ありがとう、メロディ。君も私を名前で呼んでくれると嬉しい。結婚すれば私は王族どころか元王族ですらなくなるし」
「ならルシフェル様と呼ばせていただきますね」
「うん」
二人きりになって、私は胸の谷間に差し込んでおいたメモ用紙を取り出し、ぴらりと広げてみせた。
勿論、アレだ。
「陛下からこのお茶会での発言はいかに不敬であろうとも全て赦すとのお言葉を頂いておりますのでその点宜しくお願い致します」
私はメモを渡さない。破られたら面倒だ。ルシフェル様がそういう人ではないことは分かっているが、念のため。
メモを読み取ったルシフェル様は口元をぴくりと引き攣らせた。
「……分かった」
「ありがとうございます。それでは色々言いたいことがあるから言ってもいいですか?」
この時の私はルシフェル様に対して少々苛立っており(不本意な婚約を結ばされたので)、さらに陛下のメモがあることで無敵感がすごかった。
「うん」
「ルシフェル様、どうしてカールトン様と婚約を解消したのですか」
「私から解消したというよりは、オリヴィア嬢からだね。まあ、……私は君への嫌がらせの犯人をオリヴィア嬢だと言い張っていただろう?まだ犯人は特定されていないけれど、少なくとも彼女じゃないことが分かった。だからつまり、……自分に冤罪をかけるような人間とは結婚できないってことだね。父上も解消を許可して、だから婚約は解消された」
ルシフェル様は自嘲したような笑みを浮かべる。
やはり犯人はカールトン様ではなかったらしい。私も違うのではないかと思っていた。カールトン様がこんなしょぼい嫌がらせをするとは思えない。百歩譲って嫌がらせをするとしても、もっとえぐいやつをしてくるだろう。カールトン様は恐らくそういう人だ。
ただ証拠が残っておらず、それどころかさりげなくカールトン様に擦り付けているということは、かなり頭が回る人の仕業だと思う。
「それでどうして私の元に婿入りを?」
「父上からは二つの選択肢を出された。他の令嬢と結婚して王族に残るか、君の元に婿入りするか。前者だと君とは結婚できないからね」
「私はルシフェル様と結婚したかった訳ではないのですが?」
ルシフェル様が目を瞠る。
どうやらルシフェル様は、私がルシフェル様と結婚したいと思っていると思っていたらしい。相思相愛だと思っていたのかもしれない。
「そうか……はは、そうか。君には悪いことをしたね。そうか……けれどメロディとの結婚はメロディのためでもあるんだよ」
「私のため?」
「そう。私はメロディを愛している。女性としてね。だからメロディと結婚したいというのが半分。三割はメロディのため。多分私と結婚しなければ、君には碌な縁談が来ないと思うよ。他人から見れば君は私とオリヴィア嬢の仲を引き裂いた悪女だ。実際には違うけれど、嘘か本当かなんて誰も気にしない。それで、悪女な君は社交界から爪弾きにされるだろう。けれど私が君の夫になれば、簡単には手を出せないだろう?」
貴族が平民になったルシフェル様に手を出せないのと同じ。ルシフェル様の妻になった私を弾けば王家に目をつけられるかもしれない。
ルシフェル様が婚約解消なんてしなければ私はそのまま普通にそこそこの婿を貰って普通に暮らせただろうけれど、ルシフェル様は婚約解消をしてしまったのだ。
この状況だとこの言葉が適切だろう。
『もう遅い』
私が欲張ってルシフェル様に甘えなければこんなことにはならなかった。ルシフェル様は今頃カールトン様と仲睦まじくしていたことだろう。
「まああとの二割は私の自己中な理由だね。もう一つの選択肢が、私と釣り合うような年齢の令嬢で、王族に釣り合う身分を持つ令嬢と結婚すること。でもこの条件で、かつ婚約者がいない令嬢なんて、王族と釣り合わない何かがある筈だ。じゃないとさっさと婚約しているだろうからね。そういう令嬢と結婚するよりも、愛するメロディと結婚する方がいいって訳だね」
私は首を傾げる。私を側妃にすると言えばいいだけの話だ。いくら私が次期当主でも、ルシフェル様が私を側妃にすると言えば断れない。
「どうして私を側妃にしないのですか?」
「あれ、側妃は嫌なんじゃないの?」
「嫌です。けどそうじゃなくて、側妃にしようと思えばできるでしょう?」
「できない」
ルシフェル様があっさりと首を横に振り、言葉を続ける。
「側妃を持てるのは、国王だけだよね?王太子もまあ実質持てるようなものだけど、一応国王だけってことになってる。これはいい?」
「はい」
常識だ。私はこくりと頷いた。
「でも、私が王族として残ったとして、正妃にできるのは高位貴族の令嬢だけだ。でもさっき言ったように、現段階で婚約者がいないような令嬢は王妃の資質がないと判断される」
「ルシフェル様が国王になれば、当然王妃がいるけど、王妃になれる人がいないから、ルシフェル様は国王になれないってことですか?」
「そういうこと」
ルシフェル様が苦笑した。
国王になれないから側妃として私を娶れない。そのくせ好ましくない女性と仲睦まじいように見せかけなければならない。
本当ならそれは王侯貴族として当然のことだけれど、王妃の資質がないような女性とは流石に嫌なのだろう。病弱が理由ならまだしも、素行不良は私も嫌だ。気持ちは分かる。
ふうん、と私が納得の声を出し、それきり話は途絶え沈黙が落ちる。
静寂の所為で、ティーカップとソーサーが触れる微かな音さえ聞こえた。
先に口を開いたのはルシフェル様だった。
「一つメロディに訊きたいことがあるんだ」
「何ですか?」
「私のことをどう思っている?」
私はすぐに答えられず、考え込む。
愛している、は絶対ない。
学院にいる頃は、友人。
けれどこんな面倒ごとを運んできた今は。
「一人の知り合い、くらいでしょうか」
流石に好感度が下がってしまった。
そっか、と口元に笑みを浮かべるルシフェル様は明らかに落ち込んでいた。
両想いであることを期待していたのだと思う。少なくともこのお茶会での会話でそれが誤りであることは察せられた筈だが、もしかしたらと思っていたのかもしれない。
「これから一生一緒にいることになる。だから、私を一人の男として見てくれると嬉しい」
「努力します」
さらりと言うと、ルシフェル様は顔を歪める。
彼を愛することができるようになるまでどれくらいかかるのだろうか。ルシフェル様は、本来良い人だ。私に入れ込みさえしていなければ。
この後者が私にとっては大きなマイナスだった。
「メロディ、私に君に愛を囁く権利を貰えないだろうか?」
「私とルシフェル様は婚約者です。お好きになされば良いかと。ですが表立ってそれをすればカールトン公爵家が良い思いをしないでしょうからそれさえお気を付けて頂ければと思います」
「ありがとう。メロディ、私は……君を愛している」
愛していると言われたのに、どうしてか全く心が弾まなかった。
私は思ってしまったのだ。
ルシフェル様は私に愛を囁くその口で、かつてカールトン様に愛を囁いていたのだと。
その唇を、かつてカールトン様と重ねていたのだと。
その腕で、かつてカールトン様を抱き締めていたのだと。
私と出会うそのときまで、ルシフェル様の全てはカールトン様のものだったのだと。
「ありがとうございます」
だから、ぎこちない作り笑いになってしまったのは仕方ないと思う。
そんな私の表情を見てルシフェル様は泣きそうな顔をする。途端に罪悪感が湧き上がり、何か言わなければと口を開くけれど、出てきたのは冷たい声だった。
「どうして私を好きになったのですか」
「え?」
少し考え、ルシフェル様は答えてくれた。
「一目惚れではないのは事実だ。君の顔に惚れた訳じゃない。……興味を持ったのは顔が理由なんだけど、それが好きになった理由って訳じゃない。強いて言うなら、田舎での君がとても眩しかったから、かな。私は君の話でしかメロディの生きてきた環境を知らない。でも実家の、田舎での話をする君はすごく楽しそうで、その話の中での君が本当に生き生きしていて、そんな君を見て私は君を好きになったんだと思う」
愛しそうに私を見つめる視線が妙に苛立った。
「なら、私じゃなくても良かったんですね」
「え?」
「私の他にも田舎に領地を持つ令嬢は沢山います。殿下にぶつかったのが私じゃない他の令嬢だったら、殿下は私じゃなくてその令嬢を好きになっていたんでしょう?」
「違う!私は君だから好きに」
「やめて!」
音のない、けれど鋭い私の声がルシフェル様の言葉を遮る。
「そうやってカールトン様にも言っていたんでしょう?」
ルシフェル様は虚を突かれたような顔をし、反論せずに私にハンカチを差し出した。
ぽろぽろと涙が零れた。
「私は欲張りなの。他の人を抱いた腕で抱かれたくないし、他の人とキスをした唇とキスをしたくない。どこまでしたのかは訊かない。でも私は貴方と結婚したくなんてなかった……!」
それ以上は口にしたくなかった。それが現実なら、私にとっては辛すぎるから。
「メロディ。閨教育って分かる?」
「私だって受けました」
「男の閨教育は女性のものとは違う。本番ありなんだ。勿論完璧に避妊はするしそれが失敗することは絶対にない、それに加えて念のため相手役の女性は教育の後二ヶ月間堕胎薬を監視員の目の前で飲み続けなければならない。まあそれは関係なくて。男は結婚後スムーズにできるように、本番ありの教育を受けるんだ。だから、元々メロディが婚約者だったとしても、」
「違う!全然わかってない!」
閨教育でのことは義務だ。けれどカールトン様が相手の行動はルシフェル様の意思だ。全然違う。
ルシフェル様は私の気持ちを何も分かっていない。
きっとルシフェル様は、私が前に男を作っていた過去があったとしても――勿論そんなのはないけれど――何も思わない人なのだろう。
多分私は重い。それもかなり。けれど私は私の重さと同じ考えを持つ人が、ううん少なくとも私の重さを理解してくれる人が、夫になって欲しかった。
側妃の存在が許されるような、私を側妃にしようとするようなこの人は、私の気持ちなんて一生分からない。
「ごめん。多分私とメロディはそのあたりの価値観が違うんだろうね。過去のことはどうしようもないけれど、結婚した後私が愛人を作ることは絶対にないから、それだけは安心して欲しい」
「……そうよね。貴族はそうですよね。愛人を囲うのが普通なんですもんね。浮気が正当化されてるのもびっくりです、平民ではあり得ないような価値観。私は田舎育ちです。領地の平民の子供たちと幼馴染で、平民に混ざって生きて来た私にとっては貴族の価値観がまるで理解できません。だからルシフェル様が悪いんじゃなくて、私がズレてるんです」
平民なら、浮気なんてしようもんなら離婚案件だ。でも貴族はそれを許さなきゃいけない。平民の価値観を身に着けてしまった私にとっては論外だった。
だから私はルシフェル様は駄目なのだ。
「本当は私がルシフェル様に合わせなきゃいけない。でもどうしても、それだけは無理なんです。夫を他の女性と共有なんて嫌なんです」
「うん。絶対にしない。約束する。書面に残してもいい。違反したときの私の処遇は君が決めていい。死んで償えっていうならそれでもいい。私は決して浮気はしない」
学院時代、浮気紛いのことをしていたのは誰だ。鏡見ろ。
私は恋愛感情を持っていなかったけれど、ルシフェル様は私に恋愛感情を持っていた。お互い恋愛感情を持っていなかったのであれば、それは単なる友人関係になる。私はそのつもりだった。けれどそうでなくてべったりだったのなら、それは浮気だ。
前科者の言うことなんて信じられる筈がない。一度やったら繰り返す。
「なら書面に残します。死んで償えとまでは言いません。莫大な慰謝料と別居でお願いします。家庭内別居じゃなくて、家から出てってください。私の家なので。本当は離縁したいけれど、陛下に言われた婚約だから離縁できないの」
「分かった」
ルシフェル様はベルを鳴らして執事を呼び、書面に残すための紙とペン、朱肉を求める。
私はルシフェル様に差し出された紙に、さらさらと認めていく。
「これでどうでしょう」
紙を見せ、ルシフェル様は分かりやすく顔を引き攣らせた。
「この書面が役に立つことはないと言い切るけれど……この額は……」
私が慰謝料として示した額は、一般的な不貞の慰謝料よりも〇が9個多い。
ルシフェル様は王族籍から外れるため、両親に頼ることもできない。平民には例え体を売ったとしても一生完済できない額だ。
「浮気さえしなければ金額なんて関係ないでしょう?例えこれの100倍くらいでもね」
「うんまあそうなんだけどね」
ルシフェル様は引き攣った顔で頷き、親指で判を押す。
これで浮気は免れるだろう。取り敢えず一安心だ。
過去のことは仕方ないと分かっている。
幼馴染の女の子、可愛いメイド、学院で出逢った女の子、それらに恋心を抱いたことのある男性もきっと多い筈。違いはただそれが両想いだったかどうかだというだけ。
「とにかく私は絶対に浮気はしない。そもそも私はメロディを愛している。だから君も、他の男じゃなくて、私を見て」
あまりにルシフェル様の目が真っ直ぐ私の瞳を見つめるものだから、私は捕らわれたかのようにルシフェル様から目を離せなかった。
「わ、かりました」
「うん」
目を細めたルシフェル様は、僅かに視線を落とす。
「キスしてもいい?」
「な……!まだ、嫌、です」
「オリヴィア嬢とはキスはしてないよ。抱き締めたりはしたけど……それ以上はしてない」
私の考えていることが分かったのか、ルシフェル様は少し口角を上げてそう言った。
しかし私が無言を返すと、そっと息を吐いて目を閉じた。
「君は……白い結婚を望む?」
「え……」
「私は断種はしたけど、種を作る能力をなくしただけだから、できることはできるんだよ。だから初夜とかもある訳だけど……もし君が嫌なら、白い結婚でも構わない」
ルシフェル様は抑揚のない声で言う。しかしそれが本意ではないことはありありと分かった。
悲しそうに眉を下げていたから。
「まだ、分かりません。今の私はルシフェル様を受け入れられない。けれど、結婚するまでまだ二年あります。それまでに私の心が変われば……」
もしそのときルシフェル様を愛しているなら。
「分かった。あまり会うことはできないけれど、できるだけ君に愛して貰えるように努力はするから」
「……はい」
私は曖昧に笑って頷く。そんな私を見て、ルシフェル様は寂しそうに微笑んだ。
⁑*⁑*⁑
春休みが終わり、学院が再開した。
学院は全寮制だが、休日と長期休暇には実家に帰ることが許されている。
私の場合は、タウンハウスはあるが家族は全員領地にいる。家族のいないタウンハウスに帰っても意味がないし、領地に帰るには片道十日かかるので普通の休日には到底帰れない。したがって、基本的に寮に残っている。
というのも、ルシフェル様と嫌がらせの所為で私には友人がいないのだ。その嫌がらせもルシフェル様が原因なので、私に友人がいないのは完璧にルシフェル様の所為である。
だが、これからはそうは言っていられない。私が当主になるなら、人間関係は必須事項である。ルシフェル様のご威光で関わるのではいけない。
実は最近嫌がらせはなくなった。とはいえ、ルシフェル様の庇護がなくなった私は針の筵である。婚約解消さえなければまだましだっただろうが、今の私は完全に悪女だ。
という訳で、今日も私はぼっちご飯だ。
「はー……話しかけても逃げられるし、どうしたらいいのよ……」
ぽつりと呟き、溜め息を吐く。
すると、突然隣にトレイが置かれた。
「そうね。私と一度お話した方がいいかもね」
それは聞き慣れた声。
カールトン様だった。
カールトン様は椅子に座ると、私ににこりと笑いかけた。
「色々弁解したいこともあるでしょう?不敬だとは言わないから全部言ってごらんなさいな」
その瞳は嘘でないことを示している。私はそれを確認して口を開いた。
「では、お言葉に甘えて申し上げさせて頂きます。そもそも、私とルシフェル様は恋仲ではありません」
「あら」
カールトン様は意外そうに目を瞬かせた。
「私とルシフェル様の関係はご存知ですよね?」
「ええ。約束があるのよね」
「そうです」
約束とは婚約のこと。結婚の約束だ。
「ルシフェル様と顔を合わせたときに初めてお聞きしたのですが、ルシフェル様は私を特別に思っていたようですね。カールトン様はそれもご存知だったのですか?」
「私は、というか貴女以外誰もが知っていたと思うわ」
「そう、なんですね。けれど私は違ったんです。友人としてしかルシフェル様を見ていません。雲の上の方とお友達だという事実が嬉しかったのと、ルシフェル様が一緒にいるとその間は嫌がらせが減るのとでルシフェル様と一緒に行動していましたが……まさか側妃にまでしようとしていたとは。浅慮でした」
「そうだったの……」
カールトン様が少し考え込む。
「まあ確かに、ずっと一緒にいたのは良くなかったけれど、距離自体は適切だったわね。そう……」
「あの……一つ言い訳をしても?」
「ええ。言い訳でも文句でも、言いたいことを全部言って頂戴」
「ありがとうございます。私から、その、ルシフェル様の元にお伺いしたことは一切ありません」
つまり、拒否しなかっただけで、付き纏われていただけなんだよというアピールである。まあその拒否しなかったというところに問題があるのだが。
スープの具を口に入れてカールトン様を見ると、カールトン様は鬼の形相をしていた。
「あんの馬鹿……」
「カールトン様!お顔が!」
「はっ!あら、失礼」
おほほ、とカールトン様が取り繕って笑う。
ただ私があの表情を忘れることは一生ないと断言できる。衝撃映像だった。
「僭越ながら元婚約者として謝罪致します。彼のせいで平穏な学院生活を台無しにしてしまったのね。でも貴女、貴女にとっては側妃になれるのなら万々歳ではないの」
「まさか!私は跡継ぎですよ、側妃にはなれません」
「妹が二人もいるじゃないの」
「一人は嫁入り、もう一人は相手が平民です」
「そうなのね」
妹に婚約者はいるのに姉である貴女に婚約者はいないのか、と視線で尋ねられたが、私は気付かないふりをした。別に言ってもいいのだが何となく。
妹は二人とも幼馴染と両想いになっての婚約だ。一人は商家の跡継ぎ、もう一人は平民の騎士団員の息子が相手だ。
私は……恋人ができなかった。だがそれは家格の釣り合う相手が周りにおらず、平民には恋愛対象外にされていたからだ。男爵家と隣り合う領地は辺境伯家と伯爵家、身分が駄目だ。プリムローズ男爵家と親交がある低位貴族は、娘しかいないか婚約者が既にいるか、もしくは歳がかなり離れているかだった。
なので、学院で婿を見つけて来いということになったのだ。けれど流石に王子は求めていない。
「とにかく、私は貴女を嫌厭する姿勢を見せるつもりはないから。それだけで風当たりは大分とましになるでしょう。殿下はあんなのだったけれど、元々は優秀な方なのよ。きっと領地経営も上手く手伝ってくれると思うわ」
カールトン様がにこりと微笑む。
しかし私は、カールトン様のことがさっぱり分からなかった。
「一つお聞きしても?」
「何?」
「カールトン様は……何故私によくして下さるのですか?私のことをどうして嫌わないのです?」
「あら」
扇を持っていればカールトン様は口元を隠しただろう。
穏やかにくすくすと笑い小さく首を傾げるカールトン様は見惚れるほど可愛らしくて、その口から発せられた言葉と大きく矛盾していた。
「嫌いよ?」
私は息を呑む。
嫌われているとは思っていた。けれど今日お話をして、嫌われていないかもしれないと期待してしまった。
「だって考えてご覧なさいな。愛する人を奪われたのよ?嫌わない訳ないじゃないの」
「でしたら、どうして」
「そうね。殿下のことが絡まなければ、私は貴女に好印象を抱いていただろうから、かしらね」
カールトン様は私を見ずにそう言った。
その声は少し悲しそうで。
「申し訳ありません……」
考えるより早く口から零れ出ていた。
「謝って欲しい訳じゃないのよ。もう今更だし、殆ど殿下が悪いのだもの。貴女への嫌がらせも、殿下が私を犯人だって言ったときに、貴女は否定して殿下を窘めてくれたのでしょう?」
「否定まではしていませんでした。決めつけないで下さいとは申し上げましたが……カールトン様ではないとまでは」
「それは貴女が正しいわ。是とも否とも、決めつけてはいけないわ」
その声が少し険しくなったのは、犯人だと決めつけられてしまったからだろうか。
と、カールトン様がぱちんと手を叩いた。
「そう、貴女にも言っておいた方がいいわね」
「何でしょうか?」
「貴女への嫌がらせの犯人よ」
私は目を瞬かせる。
気になってはいたが、解明されることはないのだろうと思っていた。
低位貴族がいじめられるなんてよくあることだから。
「分かったのですか?」
「ええ」
頷いたカールトン様は声を潜める。
「ペラーズ公爵令嬢よ」
それを聞いて私は深く納得してしまった。
ペラーズ公爵令嬢。
見事な金髪縦ロールで気の強そうな顔立ちの彼女は、ルシフェル様に恋慕していた。
私より二つ上、つまり殿下の一つ下。婚約者候補でもあったようだ。
「男爵令嬢なんかがルシフェル様に近づくな、っていうことでしょうか」
「そうね」
カールトン様はどこからどう見ても完璧で理想的な淑女であり、王子妃、未来の王妃としても十分に相応しい。なのでペラーズ公爵令嬢はカールトン様に盾突くことはしなかったのだろう。
けれど私は違う。マナーや礼儀作法も、低位貴族のものしか学んでいない。成績だって、次期当主として頑張ってはいるがやはり高位貴族の令嬢令息には届かない。
何でお前なんかが、と思われても仕方ない。
「最近嫌がらせがなくなっているでしょう?」
「はい」
「体調を崩したようでしばらく学校をお休みするそうよ」
王家に睨まれるのはごめんだということだろう。
ペラーズ公爵令嬢は決して馬鹿な女性ではない。カールトン様には劣るものの、淑女としてのレベルはカールトン様に次ぐ。
ただ彼女もルシフェル様への恋に身を焦がしてしまっただけで。
「じゃあ私はそろそろ行くわね」
カールトン様は空っぽの食器がのったトレイを持って立ち上がる。
美しい微笑みは親しみを感じさせるもので、知らなければ勘違いしてしまうだろう。
私はカールトン様の後ろ姿をぼんやりと見送り、そして最後の一口を口に入れた。
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ヒロインの好き嫌いが分かれそう……。あんまり嫌わないであげて下さいね。
このお話の前日談が、過去作「怠惰な令嬢、悪役令嬢に転生したけどそういうのはどうでもいいです。」になります。オリヴィア視点です。上のシリーズから飛べるので、よろしければそちらもどうぞ。