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喫茶店ブルーポット

喫茶店ブルーポット 2

作者: 赤月白羽

 観光名所にもなっている超有名な神社を東に望む大きな交差点を、路面電車のターミナル駅に向かって急ぎ足で歩く一人の女性がいた。


 年のころは二十歳前後、亜麻色のショートボブに薄く化粧した整った顔立ちをしており、ベビーピンクのポーチを肩から下げ、ボトムにブルーのスキニージーンズ、トップスにダークブラウンのタートルネックの上から白いパーカーを羽織ったラフな装いながら華やかな印象で、通り過ぎる人の中には振り返って見とれるものもいるほどだ。


 彼女自身、自分の見た目のことは自覚しており、好意を持たれることは嬉しいものの、毎日のように声を掛けられ、時にはしつこく付きまとわれることにはほとほとウンザリしていた。


 今も学科の飲み会の帰りで、いつもなら断るところを教授が来ると聞いて講義のことで色々聞こうと参加したのに当の教授は参加しておらず、早々に出てきたのだ。


 後腐れない適当なところで退散しようとしていたのだが参加者の中から卑猥な視線を感じ、一緒に参加した友人に先に帰ると言って、返事も聞かぬうちに逃げるように店を出たのだった。


 路面電車の切符を買おうとして券売機のところでまた視線を感じ、そっと周囲を窺うがそれらしい人物は見当たらない。


「ついて来たのかなぁ…」


 もし後を付けられたらどうしようと切符も買わず券売機の前で立ち尽くし、しばらく悩んだ末にスマホを取り出した。


≪ごめん、今日泊めてくんない?≫


近くの喫茶店でバイトをしている友人にSNSでメッセージを送ると少しして返事が返ってきた。


≪どうしたの?≫


≪いま飲み会の帰りで、気のせいだといいんだけど、あとつけられてる気がして今家に帰りたくない≫


少し間が開いて返事が来た。


≪どこの店?≫


≪ミドリんちの近くの居酒屋≫


≪あー、おけ。じゃあ店に来て。一緒に帰ろう≫


≪ありがと。今から行くね≫


 女性はメッセージを送ってスマホをかたずけると用心するように辺りを伺い、以前聞いた店の場所に向かったのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 10月下旬、昼でもさすがに肌寒くなってきて、アイスメニューを頼む人もほぼいなくなった。街ではハロウィンイベントで盛り上がり、カボチャのオバケを筆頭に、そこかしこで様々なオバケを見かける……いや、実際のオバケではないけど。


 今日は昼から盛況で、満席になることはないものの常に席のほぼ半分が埋まっている。とはいえ、カウンター10席、4人掛けテーブル4脚の小さな店としては、大手チェーンの来客数には比べるべくもないけど……。


 ここはブルーポットという喫茶店。コバルトブルーの切妻屋根にベージュの壁の小洒落た建物で、店長と私の二人で切り盛りしている。


 店長の名は菱井純。32歳の黒髪イケメン……と、ひとことで言えば素敵な男性をイメージしがちだけど、細面に切れ長の目がほんわりとした笑顔をいつも浮かべているせいで締まりのない感じになり、私としてはピンとこない。まぁ癒し系ではあり、この顔の造形と人当たりの良さに惹かれた女性客がじわじわ増えてはいる。


 喫茶店として何より自慢なのは珈琲とスウィーツ。店長の淹れる珈琲は格別で、美味しさだけでなく、珈琲であればメニューに無いものであっても頼めばどんなアレンジも作ってしまい、手作りのスウィーツも珈琲に合ってとても美味しい。これには私も純粋にすごいと思う。


 そしてもう一つの店のウリは、店に入ると真っ先に目につく素朴な作りながら妙に重厚感のあるL字型のマホガニー製のカウンター──は、店長の自慢、私は無駄に立派すぎると思っている。そのカウンターにはショーケースがあり、その中に店長が作ったジュエリーが飾られていて、お客は綺麗なジュエリーを眺めながら美味しい珈琲を味わえる。


 このアク──ジュエリーには私もこっそり目の保養をさせてもらっている。そう、ここの店長はジュエリーを作るのが趣味で、店が終わるとジュエリー製作に勤しんでおり、作品の出来栄えは店の経営よりも力を入れているのではないかと疑いたくなるくらい精巧だ。


 しかしデザインに一貫性がなく、モデルは動物、植物だけでなく機械的なものや、なんだかよくわからないもの、リアルなものから抽象的なものまで様々で、身につけるものだけでなくオーナメントやストラップ、何かの装飾パーツといったアクセサリーの類まで無節操に作っている──本人は全部ジュエリーと一括りにしていて、この事に触れるとしばらく話が止まらなくなってめんどくさいから私もそれに合わせるようにしている。


 いまカウンターでカプチーノと期間限定パンプキンタルトを楽しみながら店長と談笑している女性、押田明子さんも店長が作ったストラップの購入者だ。


 この店を気に入ってくれたのか、先月末に初めて来店されてからちょくちょくこの店に来てくれるようになって、ここの常連になりつつある。いや、なって欲しい。よろしくお願いします。


 世間のハロウィン熱に乗っかって、うちでも何かやろうとしつこく迫ったところ、ハロウィンの前後7日間、合計14日間の期間限定でカボチャのオバケ──ジャックランタンに因んだカボチャのタルトとプリンを出す事にしてくれた。


 他にも色々やりたかったけど、あまりしつこく頼むとヘソを曲げて何にもやらなくなるから、まぁここが妥協点かな。


 それでも、この期間限定のお菓子はお客さんたちにとても好評で、今日の盛況っぷりも、もしかしたら口コミで広まっているのかも。そうだといいなぁ


 追加の注文がないか店内を見回したけど…ない。てか、常連のおじさんたち、ほぼ毎日のように来てくれるけど、毎日のように珈琲を一杯だけ頼んで何時間も居続けるんだよなぁ…せめておかわりくらい頼んで欲しい。


 思わずため息を吐くとポケットのスマホにSNSの着信が。見てみると──この店、店長もお客さんも仕事中にスマホ見てても気にしないでいてくれるのは、さりげなく嬉しい──同じ大学の友人、篠原有里子からだった。


 なんか深刻そうで、うちに泊まりたいらしい。近くにいるようだから、とりあえずこの店に来るように言った。


「店長、今から友達が来るんですけど、店終わったら私たちを家まで送ってください」


 スマホをポケットに戻しながら店長に頼むと、予想通り嫌そうな顔が返ってきた。製作時間が削られるのが嫌なんですね、分かってます。


「そんな顔しないでください。ちょっと困ってるみたいで、うちに泊めることになりました。友達見たら、たぶん察してもらえます」


「そのお友達、なにかあったの?」


横で聞いていた明子さんが気になったのか私に聞いてきた。


「あー…けっこう人目を引く子で、ちょくちょく男の人に声かけられるんですよ。しつこく付きまとわれることもあって困ってるみたいです」


「あー……最近は物騒だし、ストーカーに付き纏われたら厄介だものねぇ──で、その子、そんなに可愛いの?」

明子さんはしみじみと言いつつ、好奇心を隠しきれずに尋ねてきた。


 私は自分のことのように、ちょっと得意げに言った。

「ひとめ見ればわかりますよ」


 しばらくして有里子は店にやって来た。彼女が店に入ってくると辺りに花が咲いたようだった。入り口に立つ彼女を見た他の客は皆同じような顔で、口を半開きにして目を離せないでいた。明子さんも納得するように頷いている。


「有里子、いらっしゃい」

私が手を振ると有里子も手を振り返す。


「いきなりごめんね、ミドリ」


「まぁ有里子だしねぇ、しょうがないって」


「言い方。ホントに心配してくれてんの?」


軽口を言い合って有里子はカウンターの一番奥に座った。


「なにか頼む?おすすめは期間限定のパンプキンプリンとパンプキンタルト」


「あ、じゃあそのタルトで」


「飲み物はミルクティーにする?」


有里子は紅茶派なので、伝票に記入しながら一応聞いてみた。


「ん、お願い」


「おっけー」


 店長を見ると既に水を張った鍋を火にかけていて、有里子はじっとミルクティーを用意する店長を見ていた。好みのタイプだっただろうか、などと考えていると明子さんが席を立ったのでレジに移動する。精算を済ませながら明子さんは聞こえるか聞こえないかの声で「すごく可愛い子ね」というと、じゃあねと片手をあげて帰っていった。


 店長は鍋に茶葉を入れたところでカウンターからアッサムの香りが立ち上っている。私はタルトの用意をし、店長が鍋にミルクを入れるとまろやかなミルクティーの香りが漂ってきた。


 ミルクが温まると、店長は葉を濾しながら温めたカップにミルクティーを注ぎ入れ、私はそれを受け取りタルトと一緒に有里子の前に出した。


「わ、おいしそ」


 言うなり有里子はタルトにフォークを突き立て、一口切って口に運んだ。咀嚼した途端、顔から表情が消え、ゆっくり味わうように飲み下すとすぐに二口目を口に運ぶ。


 彼女を知らない人間が見れば嫌そうに食べているのか気に入らないのかと思うだろうけど、有里子は食したものが美味しいものほど、食べているものに集中しすぎてこうなってしまう。どうやらとても気に入ってくれているようで嬉しい。


 黙々と食し、タルトが半分ほどになったところで有里子はフォークを置いてミルクティーを啜った。カップを置くとため息を吐き、うっとりした表情を浮かべて虚空を見つめると、ゆっくり私に視線を向けた。


「何これ、すっごく美味しい…。しっかりとした味なのに口に入れてほとんど噛まないうちにとろけてかぼちゃと…チーズ?みたいな酸味が口の中に広がって──」


 話すと魔法が解けてしまうとでも思ったのか途中で口をつぐみ、ミルクティーを一口飲んでしみじみと言った。


「これ、今まで食べたことない──お店で作ってるの?」


「うん。店長の手作り」


「すごくおいしかったです」


 有里子は店長に向き直って、短くも熱のこもった感想を言った。ずっと黙ったまま穏やかな笑みを浮かべていた店長は静かに「ありがとうございます」と言って胸に手を当て丁寧にお辞儀した。


「タルトもいいけど、プリンの方も美味しいよ」


 私が言うと勢いよく私に振り返って視線で「マジ!?」と問いかけてきた。あまりの反応の良さに噴き出しながら頷くと何かを言いかけて止め、グッと口を引き結ぶと半ば自分に言い聞かせるようにきっぱりと言った。


「なんかもったいないから今日はやめとく。プリンはまた今度」


「11月7日までの期間限定だから、それまでに来てね」


「……わかった」


 有里子はスマホのカレンダーをチェックすると力強く頷いた。よし、来客一名確保だ。


「ホントはお菓子だけじゃなくてもっと色々やりたかったんだけどねぇ、店長がへそ曲げそうだから我慢したの」


「ふぅん……あ、そうでもないんじゃない?ほら、これ」


 私の話を聞きながらショーケースを眺めていた有里子は飾られているジュエリーの一番端のを指さした。


 見てみると大きさが1cm弱の、翼を広げて斜めに向き合った対照的なコウモリのピアスで左が金色に翼膜が銀色、右が銀色で翼膜が金色をしており、足の形を模した輪っかからコウモリと同じくらいの雫形の、内部で無数の星が瞬いているような黒い石がぶら下がっている。


 やだ、カワイイ……けど、初めて見る。確か昨日はなかった。店長に問いかけの眼を向けるとふわふわした笑顔を浮かべながら言った。


「うん、昨日の夜できたばかりだよ。君がハロウィン、ハロウィン言うから、頭に残ってたんだろうねぇ。気が付いたらコウモリを作ってた」


 改めてピアスを見た。表面がつるりとして適度にディフォルメ化した姿が、悔しいけど結構かわいい。


──欲しいけどコウモリかぁ、使いどころがなぁ……


 見ると有里子も結構気に入っているようだ。目をときめかせてピアスを見ている。


「買おっかなぁ……。こんど祐子らとハロパ行くから、そのとき着けるのにいいかも」


「いや、コウモリだよ?ハロウィンの時はいいかもだけど、それ以外では着けづらいって」


ぼそりとつぶやく有里子に私が言うと「そうでもないよ」と店長が口を挟んだ。


「私は上手く発音できないけれど、中国語で蝙蝠が変福──福に変わると言葉が似ているとして中国では縁起がいいとされているんだよ。服は選ぶかもしれないけれど、持っておく分にはいいと思うよ」

 店長の説明で途端に欲しくなった私が買おうか悩んでいる間に有里子が「買います!」と手を上げて即決し、あれよあれよと代金を払って購入してしまった。


 ……まぁでも私にはフクロウがいるし、有里子にコウモリを譲ってあげれたから、それで良かったのだと思う。


 不意に有里子が何かを思いついた体で私に話しかけてきた。


「そうだ、ミドリもパーティいかない?」


「いつ?」


「今度の月曜日」


「あー……ごめん。バイトだし火曜に発表する研究の資料をまとめないとだから行けないわ」


「そっかぁ」


 有里子はホントに残念そうだった。いや私も行きたいけど、店長一人にするとすぐに店閉めようとするし、ちゃんと資料まとめとかないと突っ込まれた時にきちんと答えられないとヤバいし。


「まぁ今度クリスマスの時にでも店に来てよ。店長きっと素敵なイベントやってくれるし」


 私は無責任に何の予定もないイベントの話を持ち掛けた。店長が眉を寄せて嫌な表情をしているのは顔を観なくても分かるが、有里子が可笑しそうに笑ってるからきっとそうなのだろう。でも、きっと何かやらせてみせる。


 閉店時間になり、店長がレジ締めしてる間に有里子に手伝ってもらいながら店内を掃除し、白地に青いラインで湯気の立ち上るカップと背の高いポットの絵が描かれた小さな看板を片付けて明かりを消す。


 店長が点検して扉の鍵を閉めるのを有里子とおしゃべりしながら待って、三人で私の家まで歩きだした。


 念のため後をつけて来る気配がないか警戒していたけど、なにもなく無事に私のアパートにたどり着いた。


 店長は念のため周囲を見て回ってから帰ると言うので私は店長に礼を言って別れた。この夜は有里子とのおしゃべりが止まらず夜明け近くまで話し込んでしまい、翌日の昼になって有里子を家まで送り届けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 翠のアパートに泊まってから二日、相変わらずしつこくナンパしてくるヤツはいるけど、特に不審な視線を感じることはなかった。


 今日は高校からの友人の祐子と、同じ学科の智美、恭子と一緒に、都心部繁華街にある総合アミューズメント店のハロウィンイベントに行くため、店の近くのデパート前で待ち合わせて四人で店に向かった。


 店に到着し、受付で名を告げて予約の確認をすると店員から聞いた番号の部屋に入った。それぞれ飲み物を頼み、曲を入力して料理と飲み物が来るまで歌って過ごす。


 入り口のガラス戸がふっと暗くなったので店員が飲み物か食事を運んできたのだろうと戸口を見ると、前に飲み会の時に見た男が立って中を覗き込んでいた。


 男はわたしを見てにんまりと笑い、扉をすり抜けて入ってこようとするのを見てわたしは背筋が凍りついた。


「有里子?」


「え?」


 隣に座る祐子の訝しげな声で我に返り、裕子に戸口の男のことを伝えようと一瞬目を離したすきに男の姿は消えていた。


 それからは男のことが気になって食事ものどを通らず、気分が悪くなったわたしは祐子に付き添ってもらいながらトイレに席を立った。


「“そっちにいっちゃだめ”」


トイレに向かう廊下を歩いていると女の子の声が聞こえてきた。


「いま何か言った?」


「え?」


立ち止まってわたしが聞くと、裕子は驚いた顔で首を振った。


「ううん、なんでもない。そこの部屋の人の声が聞こえた」


「ふぅん」


 曖昧に笑ってごまかすと祐子は不思議そうな顔で聞き流した。小学2年の時に父の運転する車で交通事故にあって生死をさまよって以来、体調を崩したり精神的にまいっていると幽霊のようなものが見えるようになり、小学3年の時にクラスメイトに見えたもののことを話して気味悪がられてからは誰にも話さなくなった。


 今まで見えることはあっても何かが聞こえてきたことはなかったので気のせいだったのかもしれない。


「“そっちは、だめ”」


 扉を開けてトイレに入る直前に再び少女の声が聞こえてきたが、それに気が付いた時には遅かった。


 そこは目の前にかざした手のひらすら見えない暗闇だった。手探りで壁を探してもそれらしいものはなく、まるでだだっ広い空間に放り込まれたようで、入って来た扉もカラオケコーナーの廊下の明かりすらなくなっている。


 恐怖にかられながら辺りを見回していると、どこからか男の声が聞こえてきた。


「トラエタ」


 暗闇の中であちこちから何かに見られている視線と、何かが近づいてくる気配を感じてパニックに陥りそうになった時、また少女の声が聞こえてきた。


「“こっち、はやく”」


 声の方を見ると暗闇の中に淡い光が見え、今はただすがるようにその光と少女の声に向かって駆け出そうとしたが、なにかひやりとしたものにガシリと肩を掴まれた。


「っ!?」


 声にならない悲鳴を上げ、半狂乱になって強引に肩を引きはがし、少女の呼ぶ方へと再び走り出した。


 やがて白い靄のようなものが見えてきて、光が吸い込まれるようにその中に入っていくのを見たわたしも夢中で白い靄に飛び込んだ。飛び込んですぐにもやはなくなったが、そこは見慣れていながら見たこともない景色だった。


 そこは繁華街のアーケードなのにうっすらと靄がかかる色のない灰色の世界で、行き交う者たちのなかで人の姿をしたものは半分透けており、はっきり見える大半のモノは様々な姿のヒトならざるものばかりだった。


 目の前の光景に驚いて立ちすくんでいるとすぐ背後から人の気配を感じ、振り返ると目の前にあの男が立っていた──いや、部屋を覗いていたあの男だと認識しているのに、目に映るものは到底ヒトとは言えないものだった。


 あばらの浮いたどす黒くやせこけた体に薄汚いぼろをまとい、見開き血走ったギョロリと大きな瞳は私を見据え、耳まで裂けた大きな口は獲物を目の前にしてニタリと笑っていた。


 私は悲鳴を上げると人混みをかき分け、ぶつかりながら無我夢中で逃げだした。恐怖でおかしくなりそうだった。


 切れそうな理性の糸をなんとか保ち、夢中で光の後を追って走っているとやがて遠く靄の中に石の鳥居が現れた、そして鳥居の下は、この空間には不似合いな暖かく、白く淡い光を放っていた。


「“あそこからでられるよ”」


 少女の声がし、鳥居の近くまでたどり着いて安堵するわたしの手首を骨ばってざらついた手が掴み、強い力で後ろに引っ張られたわたしはバランスを崩して地面に叩きつけられた。


 何が起こったのか分からないまま掴まれた手首を引っ張り上げられ、痛みに呻きながら引きずり上げられたわたしの目の前に不気味に笑う男の顔があった。


「ツカマエタ、モウハナサナイ、モウオレノモンダ」


 倒れた際に強く打った所と掴まれた手首の痛み、そして肉が腐ったような不快な息に顔をゆがませながら、拘束から逃れようと身をよじるけどびくともしない。


 引っ叩こうとしたもう片腕もつかまれ、身動きできないわたしの首元に噛みつかんばかりに男の顔が近づいたとき、小さな黄色い光が現れて男の顔に勢いよくぶつかった。


 不意を突かれた男はののしりながら掴んでいた私の腕を放すと、執拗に襲い掛かる黄色い光から顔を庇った。


「“いまのうちに、はやく”」


 少女の声に私は頷き、白い光の中に入ろうとした時、男が苛立たし気に叫ぶと片手を振り上げて黄色い光を叩き落とし、地面に叩きつけられた黄色い光はネズミのような悲鳴を上げて動かなくなった。


 黄色い光が弱々しく消えるとそこには力なく横たわった金色の蝙蝠がおり、男がそれを踏みつぶそうと片足を高く上げるのを見たわたしは、咄嗟に飛び込んで金色の蝙蝠に覆いかぶさった。


 背中を男の足に踏みつけられ、脇腹を蹴られて蝙蝠から引きはがされそうになっても地面にしがみつくように踏ん張って蝙蝠を護った。蝙蝠を両手で拾い上げ、両腕で抱きしめながら起き上がると、男はわたしの腕を掴んで引きはがそうとしてきた。


 私が蝙蝠を奪われまいと懸命に抗っていると。人の頭ほどの大きさの眩い黄金の光が白い光から飛び込んできて男の顔に襲い掛かった。


 男は悲鳴を上げて両手で顔を覆うと苦しそうに地面を転げまわり、呆然とそれを見ていたわたしの肩に腕が回されたかと思うと、視界が真っ白になってわたしは眩しさに目を閉じた。


「有里子!だいじょうぶ!?」


 肩をゆすられながら名前を呼ばれて目を開けると、そこはアーケード内にある神社の鳥居のそばで、翠が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。


「……ミドリ?」


「そー、あんたの可愛い友達のミドリちゃん……鳥居のそばでうずくまってるのを見つけて来てみれば、夢見てるみたいになんかボーっとしてるしさぁ……ホント、大丈夫?」


 頭が混乱した。うずくまってボーっとしてた…?じゃあ、さっきまでのあれは何?気分が悪くなってトイレに入ろうとしたら妙なところにいて──。


 訳が分からず記憶を整理しようとしていると、翠が「そういえば」と何かを思い出したかのように聞いてきた。


「有里子、今日ハロウィンパーティ行くとか言ってなかった?もう終わったの?」


「……あ」


 何があったかはともかく、裕子をトイレの前に置いてきてしまった。他の二人もわたし──わたしたち?が戻らなくて心配してるかもしれない。


──あれ?


「ミドリこそ、こんなところで何してんの?バイトは?レポートは?」


わたしが聞くと翠はバツが悪そうに笑って言った。


「バイトの方は、今日は資料をまとめる時間に使えって店長が早めに店閉めちゃったんだけど、なんか気分が乗らなくて気晴らしに本屋をハシゴしてました」


 苦笑したわたしは翠を誘って店に戻った。その道すがら、翠に指摘されて耳に着けたピアスの、金のコウモリにぶら下がっていたはずの黒曜石がなくなっているのに気が付いた。


 11月最初の土曜日。かぼちゃのプリンを食べるついでにピアスを直してもらえないか相談しに自転車で”ブルーポット”に行った。


 大通りに面した壁沿いにロードバイクを停めると翠が慌てて店から飛び出して来て、早口で道に置いておくと自転車をとられるから自分のアパートの駐輪場に置いて来てくれと言ってきた。


 持っていかれそうになったら窓から見えるからわかるとは思ったけど、確かにお気に入りの愛車で割と高かったから、万が一にも盗られることになったら非常にまずい。


 翠のアパートに自転車を置いて店に入ると今日は比較的空いていた。翠が言うにはこれが平常運転らしい。


 前と同じカウンターの一番端の席に座ると、かぼちゃのプリンとカフェ・オ・レを頼んだ。待ってる間、カフェ・オ・レを淹れる店長さんの横顔を見つめる。


 やっぱり他の人とは違う、独特な気配を持った不思議な人だ。特に何をするわけでもないのに、そばにいるとすごく落ち着く。


──だから翠はネックレスのお金を払い終わってもここで働いてるのかな……?


 そんなことを考えていると、なんだか翠がとても羨ましくなった。


「ねぇミドリ、このお店ってまだバイト募集してたりする?」


 わたしが何気なく聞くと店長さんと翠の様子が変わった。店長さんはサイフォン?の上のガラス容器の珈琲をかき混ぜる手がなんだかぎこちなくなり、翠は犬が尻尾を振らんばかりに喜色満面だった。


「なに?なに?有里子、ここでバイトしたいの?」


「え? あ、うん……そ、んなところ……え? あれ? いいの? ダメなの?」


店長と翠の反応の温度差に、わたしが戸惑うのも無視して翠は興奮気味にまくし立てた。


「いーに決まってんじゃん!ねっ!店長っ!!」


 翠に力いっぱい返答を求められた店長さんは、カップに珈琲と温めたミルクを注ぐと困ったような顔でしばらく宙を見つめていたが、カフェ・オ・レのカップを翠に渡しながら「そうだね」と、ゆっくり頷いた。


「二人が店のことを粗方出来るようになったら、私ももっと時間に余裕が持てるようになるからね。シフトはミドリちゃんと相談してくれるかい」


 翠はガッツポーズをとると、「これからよろしく」と満面の笑みでカフェ・オ・レとプリンをわたしの前に置いたが、わたしはさっきの店長さんの表情が気になって素直には喜べなかった。


 店長さんは私が預けたピアスを見ながら何か思案している……修理、大変なんだろうか……?


 少し心配になりながら、私はパンプキンプリンにスプーンを差し入れ、一口(すく)って口に運んだ途端に頭の中がプリンのことで一杯になってしまった。


 砂糖も入っているだろうにかぼちゃの甘さを邪魔しておらず、それでいてすごく甘い。すごく甘いのに脳に突き刺さるようなガツンとした甘さではなく、ゆっくりと口の中に広がるような優しい甘さ。掬い取ったときにはしっかりと形を保つほど硬めだと思ったら液体であるかのように滑らかで、あれよという間に舌の上でとろけていく。飲み下した時には体中が包み込まれるような幸福感に満たされ、ついため息が出た。


 気持ちを落ち着けようとスプーンを置いてカフェ・オ・レを口に運んだが、珈琲とミルクの合わさったほのかな苦みと甘さがプリンの余韻を残す口の中で広がり、それらが合わさってさらに幸せなハーモニーを奏でて、この上ない幸福感で体中がとろけてしまいそうだった。


 スプーンを手に、再びプリンをいただこうとした時、店長さんの声で我に返った。


「──修理は出来るけれど、残念ながら黒曜石の替えがなくてね。別の石に替えるのでも良ければ直せるけれど……?」


そう言ってフェイクスウェードのトレイにピアスを戻した。


「そうですか……」

 元には戻せないと聞いて少しがっかりしたけど、石がないと金色の方がなんだか生き返らないような、なんだか妙な感じがして、どうにか治って欲しかった私は頷いた。


「それで結構です。この子に似合う石をお願いします」


 そう言うと、店長さんはにっこり笑って「承知しました」と言ってトレイを引き取った。そして慈しむようにピアスを見つめながらぼそりと。


「ずいぶん頑張ってくれたんですね……ご苦労さま」


 ほとんど聞こえない小さな呟きだったけど、それを聞いた私はハッとした。あの時のこと、そしてわたしのこと、店長さんになら話してもいいかもしれない。


 なんだか胸のつかえがとれたような、温かな気分で店長さんの淹れてくれた美味しく、それでいてちょっぴり苦みが主張しているカフェ・オ・レの味を楽しんだ。


───────────────────────────────────────────


今回のジュエリー・アクセサリー

コウモリのピアス

地金:925スターリングシルバー、一部18金メッキ処理

石:オブシディアン(細めペアシェイプカット)


またのお越しをお待ちしております

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