モブに生まれた私は
連載中の作品が思ったより長くなりそうなので、箸休めのつもりで投稿しました(自分の)。できればどんどん書いて慣らしていこうと思います。
この世界が前世嗜んでいた乙女ゲームの世界だと気づいたのは、学園の入学式当日だった。
けれど、前世の記憶を思い出したのはそれよりずっと前、私の六歳の誕生日だ。
現在の私の名前は、ユーリア。
ユーリア・トスタルティ。
中堅の伯爵家である我が家に生まれた私は、六歳の誕生日、家族や使用人に祝われ、私のために料理長が腕によりをかけて作ってくれたケーキに載った六本の蝋燭を吹き消そうとした時に、前世の記憶を思い出した。
豪奢な部屋の中央に置かれた、これまた豪奢な食卓に所狭しと並べられたご馳走と、結婚式でしか見たことのないような三段重ねのケーキ。それらを取り囲む、まるで中世の映画に出てくるような人たちを見て、何だこれ、私場違いだな、と思ったことが切っ掛けだ。
急に溢れてきた前世の記憶に戸惑いながらも、蝋燭の炎をすべて吹き消した私は偉かった。
私が炎を吹き消した後の、母や父や使用人達の笑顔を見て驚きのあまり気を失ったりしなくて本当に良かったと思ったものだ。
それからの私はさしたる抵抗もなく、前世の自分と今の自分の置かれた状況を受け入れ、せっかく生まれ変わったのだから存分にこの世界を楽しもうと実に前向きな考えに至った。
唯一驚いたことと言えば、生まれ変わる世界が異なっていたことくらいか。
前世の自分は生まれ変わりを信じていたが、もし生まれ変わるとしても今いる世界の未来だろうと疑うことなく思っていた。
しかし、今いるこの世界は、明らかに以前の世界とは異なった。何故なら、この世界には魔法が存在するからだ。
そして、幸運にも私には魔法の才能が備わっていた。
魔法を使える人間はそう多くはない。私に魔法の才能があると知った時、父と母はそれは喜んでくれた。トスタルティ伯爵家は貴族の位としては中くらいだが、商売上手なご先祖様と恵まれた領地と民を持っていたため、下手な王家よりも財があった。しかし、魔法の才能には恵まれない家系だった。
長い歴史を持つトスタルティ家だったが、魔法を使えた人間の話は聞いたことがなかった。
トスタルティ家で唯一、そして初、魔法の才能を発揮した人間が私だったのだ。しかし、そこで私の出生を疑わないのが父の人の良さを如実に表しているだろう。私の持つ色彩が、父と同じものだったことも、疑いを持たれなかった理由ではある。
私の髪色は、濃い蜂蜜にミルクを混ぜたような不可思議な色をしている。瞳もまた、ほとんど見ることのない、ラベンダー色をしていた。この色彩はトスタルティの家に稀に表れるもので、父と私、二代に渡って現れるのはとても珍しいようだ。
この世界にはDNA鑑定がない。血縁の関係の証明は、顔つき、体つき、髪や目の色彩、本人の証言によってしか測れない。
私は幸運だった。このめずらしい色彩は、私をトスタルティの血筋であることを証明してくれた。しかし、もし、私の髪色が父と同じでなかったとしても、父は私を自分の子として疑うことなく育ててくれただろう。
そう確信できるほどに、父は優しく、一途に母を愛する人間だった。そして母も、父のその気持ちに応え続けてきた。
そんな愛し合う両親の下すくすくと育った私は、十五歳になって学園に通うこととなった。
魔法の才能ある者のみが集う学園、インフィニット学園へ。
名前をはじめて聞いた時、何故か既視感があった。インフィニット学園の名は以前に何度も聞いたことがあるからきっとそのせいだと、その時はそれで納得した。
しかし、その学園の門の前に立った時、六歳の誕生日以来の衝撃が私を襲った。
目の前にそびえ立つ、羽を広げた鷲の姿が刻まれた大きな門を目にした私の頭の中に、どこかで聞いたことのある軽快な曲が流れてきた。キラキラと星の飛びそうな効果音、壮大なオーケストラと男性アイドルグループの歌声のハーモニー。
気づいたら私は歌っていた。
「~君の心、に、届け~こ~の魔法~るんるん」
そして思い出した。前世で唯一プレイしたことのある乙女ゲーム『星がきらめく魔法学園』のことを。
私は膝が震えるのを止められなかった。そんな馬鹿なという思いはあったが、思い当たるふしがあった。中世風のこの世界で、トイレは何故か水洗だったし、使っている言語も明らかに日本語だ。シチューもグラタンもカレーライスだってこの世界にはあった。それらは庶民の食べ物だったので、私はたまにしか食べられなかったが、以前の世界と同じような食事情のこの世界に、私は常々感謝したものだ。
そして極めつけはこの学園の存在。思い出した今なら、この学園に対して抱いた既視感も理解できる。オープニング曲はこの門が開くところから始まる。何度も見たことがあるのだから、間違う筈がない。
こうなると、もはやこの世界が、『星がきらめく魔法学園』、略して『星めく』の世界だということは確定なのかも知れない。が、
「そんなばかな…」
転生は信じていたが、ゲームの中への転生はまるで信じていなかった私は、衝撃を隠せない。むしろ乙女ゲームよりも、異世界転生小説の方をより多く嗜んでいたのだが、あくまでエンターテインメントとして楽しんでいたのであって、本気でそんな人知を超えたことが起こるとは思ってもいなかった。
「いやいやいや」
たとえば、まんまこの世界が『星めく』のゲームの中ではなく、あくまで『星めく』に似た世界であったとしても、私はご免こうむりたい。なぜなら私は今後のこの世界の展開を知ってしまっているからだ。
言うなれば、それは予言。未来視。先見。呼び名は数多あれど、神の視点でもって、この世界の行く末を私はすでに見てしまっている。そんなの面白いわけがない。人生余裕しゃくしゃくだ、とはならない。だって、そんなの面倒ごとに巻き込まれるに決まってる。
例えば、誰かが不幸になることを知っていたなら、私はきっと手を差し伸べてしまう。だってこの世界は私にとっては現実なのだ。苦しむ人を前にして、きっと主人公が助けてくれるよ、とは思えない。もし、主人公がゲーム通りに動かなかったら、その人に救いは訪れない。
自分を助けることが出来るのは自分だけ。それは分かっているし、理解しているつもりだが、そこに辿り着く前に力尽きてしまう人もいる。ほんの小さな他人の手助けで、自らの力を思い出し未来を切り開いていく人もいるのだ。
ここが『星めく』の世界と決まったわけではないから、まだ希望は捨てきれない。けれど、もしも、『星めく』の世界と確定したならば、私はすぐに行動しなければならない。
「あの子」を助けるために。
私はこの世界が『星めく』の世界であるのか否か確かめるために、教室へは行かず、そのまま門の近くに佇んでいた。ゲームでは、これから主人公がお約束通り、遅刻ギリギリに登校してくるからだ。
何もせずに門の近くに立っている私を、通り過ぎる人たちが奇異の目で見てくる。居心地は悪いが仕方ない。私は見てくる者に、敵意はありませんよ、変な人ではありませんよ、といった意味を込めて微笑んだ。しかしほとんどの者はあわてて目を逸らしてしまう。
「…私の学園生活大丈夫かな?」
他人のことよりも自分のことを考えた方が良いのかもしれない。いや、しかし、せめて主人公と、「あの子」がいるかどうかだけは確認しておきたい。私は気を取り直し、主人公が来るのをじっとまった。
数分後、走りながらこちらへと向かってくる、ふわふわとした薄ピンク色の髪をした女の子を見つけた。近くまで来たその子がそのまま私の前を通り過ぎた時、私は確信した。ああ、ここは本当に『星めく』の世界なのだと。
女の子はキラキラとした藍色の目を輝かせて、頬を上気させていた。どこから走って来たのだろうか、息は完全に上がっているが、口元には笑みを浮かべていた。これからの学園生活を想い、期待に胸をときめかせているのだろう。
ああ、彼女はやっぱり主人公だ。主人公のアリエスだ。では、やはりこの世界には「あの子」もいるのだろう。
私はアリエスの後に続き門を後にしたが、校舎には向かわずに別の場所を目指した。
校舎の裏手にある手入れのされていない温室で、今まさに、「あの子」は殺されようとしていた。私は大声で静止をかける。
「だめ!やめて」
ナイフを手に持ったその人物は、私の声に大きく身体を揺らした。その拍子に「あの子」は自分を捉えた手から見事逃げ出す。
「ふみゃあ!」
黒猫が、私の横を通り過ぎた。どこも怪我はしていないようだ。私は安心して深く息を吐いた。
「…どうして」
手からナイフを落とし、彼女はその場に膝を突く。彼女の足元には、魔法陣が描かれていた。
「っどうして止めたの!」
「罪もない命が殺されるのを黙って見てはいられないから」
私の言葉に彼女は声をあげて泣き出した。号泣、という言葉が相応しいそれは、聞いているこちらまで悲しくなるものだった。
私は彼女が泣き止むまでずっとそばにいた。かける言葉は見つからない。ただ、彼女の悲しみや寂しさが、少しでも薄れるようにと願った。
しばらくして泣き止んだ彼女は、恐る恐る私に声をかけてきた。
「…どうして、あなたはここに来たの?」
彼女の問いに、本当の事は答えられない。私は誤魔化すように微笑み、彼女に嘘を吐いた。
「たまたま、迷い込んだだけ」
私の答えに、やっと泣き止んだと思った彼女はまた泣き出してしまった。適当過ぎただろうか。でも仕方ない。この世界には魔法がある。そして魔法の一種として、未来視も存在するのだ。
私に未来視の力はない。わかるのは『星めく』に関することだけ。『星めく』に出てこない出来事は私にはわからない。だから、未来視を思わせる言動は慎まなければならないのだ。しかし…
「ねえ。あなたには才能があるわ。ここにいられないなら、別の場所で生きればいい。あなたほどの才能があるなら、学園を出ていなくても、魔法士になる道はいくらでもあるでしょう?」
泣いていた彼女が、はっと顔を上げる。長い前髪の間から見上げるその瞳は漆黒。強い魔力を秘めた輝きだ。魔眼と呼ばれるその瞳は、畏怖の対象となる。彼女はクラスの生徒から嫌われ、遠ざけられ、絶望した末にやがて死を選ぶ。小さな命を巻き添えにして。
才能ある彼女が命を賭して敷いた魔法陣は、この学園を呑み込んだ。誰にも気付かれぬよう、気付いた時には手遅れになるよう、綿密に編まれた彼女の復讐の糸は、彼女のクラスメイトの卒業式に発動するよう組まれていた。しかし、それは主人公たちによって阻まれる。
だが、その時に発動したのは先ほどの黒猫の命を使った魔法陣によるものだった。彼女は復讐が失敗した時のために、二重の魔法陣を敷いていたのだ。そして今度は主人公たちを新たな敵と認識し、最後の魔法陣が発動するというわけだ。あれには参った。魔法陣の解除の方法が最後の最後まで分からないのだ。ラスト、もはやこれまで、というところでようやく解決策が見いだされる。彼女の魔法陣は破壊され、彼女の魂は永遠の闇の中を彷徨うこととなるのだ。
しかし、それも五分五分の勝負だった。ゲームでは何度でもリトライすれば良いが、この世界でそれが出来るかはわからない。ループものや逆行ものの小説もたくさん読んだが、この世界でそれがまかり通るかは、死んでみないと分からない。とんでもないギャンブルだ。ならば、憂いの元は根本から絶つべし。これに尽きる。
ラスボスであり黒幕でもある彼女が居なくなるわけだから物語には多大な影響があるだろうが、背に腹は代えられない。真っ当な青春学園物語でもいいじゃないか。どうせこの世界がゲームの世界だったなんて知っているのは、私しかいないのだし。そう考えたところで、不意に嫌な予感がした。
「これ、フラグってやつじゃないよね?」
私の問いかけに、彼女は首を傾げた。まあ、彼女が知る由もないことだろう。きっと考えすぎだと自分に言い聞かせ、私は彼女の手をとって立ち上がらせた。
「ねえ、そろそろ帰ろう?私今日入学式なの。大遅刻だよ?先生への言い訳一緒に考えて」
そう言うと、彼女は手で涙を拭い、任せて、と晴れやかに微笑んでくれた。
彼女が考えてくれた、「具合が悪く蹲っている彼女を私が介抱していて入学式に出られなかった」という言い訳は、あっさりと通った。もともと彼女がいつも一人でいることや、あちこち体に小さな怪我をしていることを心配していた教師たちは、今回のことも、まさか遅刻の言い訳とは考えなかったらしい。多少の罪悪感はあったが、話の内容としては事実とそう乖離していないため良しとした。
驚いたのは、彼女が私のいる前で、学園を辞めることを教師たちに宣言したことだ。彼女は今までのことを教師たちに話し、学園を辞めることを了承させた。
この世界には身分制度があるため、高位の貴族が低位の貴族や平民に対し、謂れもなくきつく当たることはままある。
彼女の家は子爵家。家格でいえば下から二番目だ。彼女がクラスで孤立していることは、周りも薄々分かってはいたようだが、まさかそこまで酷いとは思っていなかったようだ。教師たちは優秀な彼女を惜しみ引き留めたが、彼女はこのままここにいても自分に未来は無いとはっきりと言い切った。その時の彼女は、とても晴れやかな表情をしていた。
彼女が学園を辞める日、彼女を見送るために私は門へと出向いていた。今は授業中だったが、知ったことではない。腹痛を訴えて教室を抜け出すことに成功した。
「ユーリア!」
私の姿を見つけた彼女は、両手いっぱいの荷物を地面に置き私に駆け寄った。長かった前髪はすっきりと切り揃えられ、彼女の美しい瞳を際立たせている。露になった面長の顔は大人っぽく、目の端にある泣き黒子が色っぽかった。
「元気でね」
無難な言葉だったが、私の本心からの言葉だ。いつでも、どこにいても彼女には元気でいて欲しい。何しろとてつもない力を秘めているのだ、彼女は。ゲームの中で、学園始まって以来の才能、と後に語られた彼女は、力の使い方さえ間違わなければ、きっと多くの人間を助ける素晴らしい魔法士になるに違いない。
「ありがとう。私の女神」
そんな台詞を恥ずかしげもなく口にしてはにかむ彼女は、年相応に可愛らしかった。
ああ、良かった。彼女はきっともう大丈夫だ。彼女と握手をしていると、「みゃあ」と聞き覚えのある声が聞こえた。足元を見ると、荷物のひとつからあの時の黒猫が顔を出している。私が驚いていると、彼女は少し照れくさそうに言った。
「この子、連れていくことにしたの。あの時のお詫びに、一生大切にするわ」
あれから彼女はこの黒猫をずっと探していたらしい。ようやく見つけた時には怖がられて威嚇されてしまったけれど、時間をかけて仲直りしたの。そう言って彼女は笑った。
彼女もこの子も救われた。これで私の今後の最大の憂いがなくなった。実に喜ばしいことだ。
モブに生まれた私には、もう『星めく』の世界は関係ない。あとは素直にこの人生を楽しめばいい。前世にはなかった魔法の勉強に勤しみ、良い友人を作り、良いお婿さんを探そう。
いや、友人はすでに一人出来た。
「カメリア、手紙待ってるからね」
『星めく』においての黒幕―カメリアは、今までで一番、美しく微笑んだ。