005 疑問、そして来客
「んん……」
どうやら私は、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。寝転がっていた状態から寝返りを打つと、そこにはヒビの入った鏡が置いてあった。それを見た瞬間に眠る前の出来事を思い出し、あれが夢ではなかった事だというのを実感する。
だがしかし、もう一度鏡を見ても自分の姿が映されているだけ。ヒビの入った鏡に映る新しい自分の姿を見て、何故こんな事が起きているのか疑問でしかなかった。私自身の記憶が曖昧なのも、彼女が言ってたある方によって封じられていると仮定したとしても……どうして私なのかが理解出来ない。
何の変哲のない日常、変わり映えのない世界、建前を演じるストレス……。
様々な記憶はあれど、実際にこれが私自身の記憶なのかと問われると自信がない。彼女の記憶を引き継いだからだろうか、それともまだ実感が湧かないのか。いずれにしても記憶の整理中だと思えば、なんとかなりそうな気もしなくもない。
だがやはり、ここが曖昧な記憶にある世界と別の世界であるならば、一つだけ……いや、たくさん気になる事がある。もしかすれば、それこそが私が最初から抱いていた違和感。――疑問だったのかもしれない。
自分の名前は?家族は?友人は?恋人は?何をしていた?男か女か?
そんな様々な疑問が、私の中でぐるぐると浮かんでしまうのだ。そして、最大の疑問。これがもしかしたら、一番の疑問と言っても過言ではない。曖昧な記憶の裏付けは、彼女の持っている知識から予測は立てられる。
だがしかし、やはり考えるなという方が無理な話だろう。最大の疑問、それは……
「――わたしは、記憶の世界でどうなったの?」
という疑問だった。生きているのか、死んでいるのか。前者であれば、肉体だけが残っている状態になっているのか。後者であれば、魂だけが彼女の肉体に憑依したのか。
現状を考えれば、明らかに後者である事は間違いないと思う。しかし、それを考えるのは少し後回しにした方が良いだろう。何故なら、考え事をしていた所為で遅れてしまったが、この物置部屋に近付く足音が聞こえたのである。
「っ」
彼女の記憶を振り返る限り、このカーティス家に信頼出来る人間は少ない。傍仕えで仲良くしてもらえていたメイドの姿がチラつくけれど、この部屋に来てから一度も会いに来た事はない事から過度な期待は出来ない。
徐々に近付く足音が大きく聞こえる程、私は冷や汗が伝う程に全身が強張っているのが分かった。これは恐怖だ。彼女の記憶と体を引き継いだ事で、彼女が受けて来た精神的苦痛がそれを思い出させるのだろう。
人間が嫌な事から無意識に避けるのと同じように、私も彼女と同調して警戒心が強くなっているようだ。これだけでも、私は理解せざるを得なかったのだった。彼女、ルイズレッドは完全に消滅してしまったという事を。
『ルイズ、入っても良いかい?』
「っ!?」
二度のノック音と共に聞こえた声に対し、私はドクンと大きく脈が跳ねる。その声の主を私は知っている。私ではなく、彼女の記憶が教えてくれた。喉元まで出掛かった言葉は、恐怖の所為で枯れ果てて出て来ない。
だがしかし、このまま無視しても前に進む事は出来ないだろう。恐怖心が消えないまま、私は無理矢理にその感情を押さえ込んで深呼吸をしてから、もう一度ゆっくり声を出した。
「ど、どうぞ」
その声に応えるように開かれた扉。そこに居た人物は彼女の実兄――エルハルト・カーティスだった。私の姿を見つけた彼は、ニコリと笑みを浮かべて告げたのである。
『やぁルイズ、こんばんは』