019 逃亡失敗?
「はぁ、はぁ、はぁ――っ!」
『ガウ!』
『ワォン!』
『ウォン!』
あれから少し歩いた所で、私の前に狼の魔物が姿を現した。川が流れていたから、多少の水分補給が出来ると考えたのが運の尽きだ。誘われるように川へ向かった矢先、待ち構えていたかのように魔物に襲われた。
川にあった石で一体は行動不能にする事は出来ても、それで魔物の怒りを買ったのだろう。絶対に逃がさないと言わんばかりに、私は足場の悪い森の中を駆け回っていた。息も絶え絶えで、もう体力も残っていないというのに……まったく運の悪い事だ。
「くっ!(って、他人事で言ってる場合じゃないだろ、私っ!!)
もう魔物が普通に出没する位置まで来ているという事は、簡易結界の範囲外まで進んだという事になる。街からも離れる事が出来ていると判断しても良いけれど、このまま逃げる足を止めれば、もれなく魔物の餌に早変わりだ。
それだけは何としても避けなくてはならない。そんな事を考えた私の前に、森が開けている景色を見つけた。もしかすれば、森の出口まで辿り着いたのではないか?そう考えた私は、森の出口と思われる方向へと足を動かした。
急な方向転換により、魔物は地面を滑りながらも私の後を追い続ける。しかし、もう止める訳にはいかない。そう思いながら足を動かし、森を抜けた瞬間だった。
「ははは、笑えない冗談だわ」
目の前に広がった景色を見て、私は思わずそんな言葉が出てしまった。だってそうだろう?今までずっと奴隷商の雇った傭兵から逃げ、魔物から逃げ、命を奪いながらも森の中を駆け回り続けていたのだ。
それは何の為か、自分の命を守り続けて生きる為だというたった一つの目的があったからだ。曖昧な記憶の中でも、ある程度は考えないようにしていた事が目の前に現れた時、それは希望から絶望へと一瞬で移り変わってしまう。
『グルルル』
「っ!?……そうよね。獲物の動きが止まったんだもの、警戒しつつも追い詰めようとするわよね。賢い魔物さん達だこと……」
『グルルルル』
魔物の唸り声が聞こえて振り返り、私は渇いた笑みを浮かべながら後退る。だがしかし、これ以上は下がる事は不可能だ。何故なら、私の背後にあるのは崖だからだ。平地な地面に森が続いていると思っていたが、どうやら森の抜けた先は崖だったらしい。
途中に川があったのは、川の先が滝か何かがあったという事なのだろう。本当に運が無い。あの時、休憩しなければ……いや、そんな事を考えても仕方が無いな。このまま何もしなければ、魔物の餌となって終わってしまう。
「(せっかく二度目の人生を歩もうとしたのに、こんな幕引きなんて……つまらないわね)」
あの傭兵達があれ以降、追って来なかったのは魔物が出没するから?魔物が出没する場所だから放置しても肉片しかならないから、商品としても成り立たなくなるから?私を商品しなくても、他に商品の当てはいくらでもあるから?
考えれば考える程、可能性はいくらでも出て来るものだ。こうして魔物と睨み合っているのが、果てしなく長く感じてしまう。それは恐らく、自分がこれから死ぬと理解しているからだ。
――あの時こうしておけば良かった。奴隷になっても選べた生き方があったかもしれない。
そんな事が走馬灯のように頭の中を巡り浮かぶ。けれど、もう遅い。私はここで死ぬ。どうせ死ぬのなら、魔物の餌になるよりも吹っ切って、割り切るように豪快に死んでやろう。
「フッ……ははは、ごめんね?ルイズレッド。私は、貴女の代わりにはなれなかったわ」
そう呟いた私は魔物を嘲笑いながら、ゆっくりと後ろへ倒れ込んだのである。そのまま衝撃を待ち焦がれるようにして、ゆっくりと目を閉じるのだった。まるでそのまま眠るように……。
「(あれ、痛くない?私はどうなったの?死んだのかな?)」
衝撃が来ないという不信感を抱いた私は、閉じた目をゆっくりと開いた。
「大丈夫かい?ルイズ。怪我は無いかい?」
「っ!?(エルハルト兄様、何でっ?)」
するとそこに居たのは、私を抱えて顔を覗き込む実兄のエルハルトの姿だったのである。そんな訳も分からない事態の中で、私は酷い頭痛に襲われながら理解した。片手で顔を覆った私は、声に出さずに先程言ったばかりの愚痴を溢したのだ。
――笑えない冗談だ。