事件簿02-4 面白い女
俺はフリードリヒ・グラディウス。
この国の三大名門貴族、「国王の剣」と名高いグラディウス家の跡取り息子で、国王直属の騎士団長を父親に持つ。自身も騎士を目指して特訓中で、放課後も日々自主訓練を怠らない。
精悍で男女から人気が高いフリードリヒは、今とてもげんなりとしていた。
先ほど同じクラスのギルバート伯爵令嬢から声を掛けられ、何か用かと待ってみたが、全く会話にならずに終わってしまったのだ。
ああいう面白くないやつは気に食わない。俺の貴重な時間を無駄にするな。マントをさらりと翻し、さっさとその場を立ち去ろうとする。
すると後ろから、再び誰かに――しかしさっきとは打って変わって、凛と意思の強い誰かに――呼び止められた。
「フリードリヒ様、よろしいでしょうか」
振り返ってみると、それはローレイン・アルマ辺境伯令嬢だった。優雅に波打つ見事な赤毛に少し釣り目気味の目。特段目を引くほど美しいというわけではないが、堂々と前を見つめる姿はなかなかに凛々しい。
フリードリヒは予想外の出来事に思わず目を見張った。
それもそのはず、フリードリヒにとってローレインは、社交もろくにせず田舎領地に引きこもる気弱な令嬢だという印象しかなかったからだ。
グラディウス家と同じく由緒ある名家に生まれたローレインとは、親同士が親しいおかげで何かと交流があった。そういえば物心がついてすぐは愛称で――確かローラと――呼んでいた気がする。
しかしそれもほんの僅かな間だけで、親に連れられて互いの領地を行き来することが少なくなると、彼女とはほとんど関わることがなくなった。
この学園に入学してからは、何が面白いのかかび臭い歴史書ばかりを読み漁っており、ろくに会話を交わすこともなかった。
クラスでも特に目立っておらず、とことん地味な印象だ。
放課後どこかにそそくさと消えていくのは知っていたが、どうせ寮の部屋にでも引きこもっているのだろう。人嫌いのローレインらしいことだ。そう思っていたというのに。
そのローレインが、今は眼光鋭くこちらを睨みつけている。フリードリヒは動揺を隠し、慌てて言葉を返した。
「なんだ? 俺に用か? ローレインから声を掛けてくるなんて珍しい」
「いいえ。あなたではなく、あなたがお持ちのハンカチに用がありますの」
ローレインがぴしゃりとこちらの言葉を否定する。その単刀直入な物言いに、いよいよ興味を隠すことができず、すぐさまハンカチがどうしたのかと尋ねてしまう。
「フリードリヒ様がヴァネッサさんから受け取ったハンカチですけれど、取り違えが起こっていてヴァネッサさんのものではないのです。元々の持ち主が返してほしいと言っていますので、私にお渡しになって」
辺境伯令嬢の威厳を込めてそう言われると、ぴりりと背筋が伸びる気がした。
「あー、これか?」
そういってヴァネッサからもらったハンカチを見せると、ローレインが明らかに食いついてきた。
あの特待生、ヴァネッサ・リリーは最近のお気に入りだ。このフリードリヒにも物怖じせず話しかけてくるし、ちょっとからかうと頬を染めてふくれっ面をするのが愛くるしい。なかなか面白い女だ。
ついこの前も、会えばからかわれるとわかっているだろうに、わざわざ剣術の練習を見にきてくれた。そしてこのハンカチを「返さなくていい」と押し付けていったのだ。
素直なのか素直じゃないのか、わからないところが面白い。
しかし、今は目の前の令嬢だ。
もう少し話がしたくて、ヴァネッサにするようにからかってみる。
「……じゃあ、元の持ち主に自分で取りに来いって言っておけよ」
これ見よがしにハンカチをしまい込む。
(困るか? 説得してくるか?)
誰かと話してこれほどわくわくするのはいつぶりだろう。期待に胸を膨らませてローレインの様子を伺うと、彼女の顔から一瞬表情が消え……
(え……)
……次の瞬間、これまでの人生で浴びたことのないような怒声が降ってきた。
「は? 何面白がってんの? 人が困っているのを喜ぶようじゃ、人を助ける騎士になんてなれっこないじゃん。さっさと返すか、返さないなら騎士になるのをやめてしまえ!!!」
令嬢が決して使うことのない――一般庶民の下町言葉かだろうか? ――言葉遣いが不快だったわけではない。
そこに込められた真実が痛くて、何も言い返せなくなる。
――人が困っているのを喜ぶようじゃ、人を助ける騎士になんてなれはしない。
全く持ってその通りだ。
頭を思い切り殴りつけられたような衝撃受けて、フリードリヒの中で何かが崩れ落ちた。
茫然自失とした中で、言われるがままにハンカチを返し、そのまま不機嫌に立ち去るローレインを見送る。
今まで誰も、あのヴァネッサでさえ、ここまで本質を突いてこなかったのだ。
それがどうだろう。何の面白みもない女だと思っていたローレインに、あっさりと打ち破られた。
ふと、幼いフリードリヒが父親と交わした言葉を思い出す。
『父上、ローラの家のように、ただ国境にへばりついて警備するなどつまらないですね。俺は武功を立てたいです。戦力を全て攻めに回してしまえばいいのに』
『アルマ辺境伯家は国王の鎧、この国を守る希望なのだよ。我らグラディウス家が思う存分剣を振るうことができるのも、彼らの守備のおかげだ。いいかいフリードリヒ、いくら自分が活躍しようとも、弱いものを救えなければ意味がないのだよ』
――弱いものを救えなければ意味がないのだよ
……ああ、人がどうだとか、そんなことは考えてもみなかった。
先ほど冷たくあしらってしまった黒髪の令嬢だって、もしかすると何か困っていたのかもしれない。
己の視野の狭さを感じ、じんわりと後悔の念が胸に押し寄せてくる。
もし地味でつまらないと決めつけずにローレインと向き合っていれば、もっと何かが違ったのだろうか?
ローレイン、ローレイン、ローラ。気づけば彼女のことで頭がいっぱいになっていた。
「ローラ……面白い女だ……」
見えなくなりそうなほど遠ざかった赤毛の令嬢に向かって、フリードリヒはぽつりとそう呟いた。
不思議なところにフラグが……。




