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事件簿02-2 珈琲はほろ苦い

 ローラは猛烈に腹を立てていた。


 フリードリヒとヒロインのいちゃいちゃシーンを堪能していて、いつもより喫茶店にくるのが遅くなってしまったのは仕方がない。


 だが、ちょっと遅くなったからと言って、いつもの席に既にふたり腰かけているのはいただけない。


 まあ、依頼があるというのだし、いつもなら無愛想でも受け入れていたかもしれないのだが。それにしても……


(なんで、レイモンドとがっちり腕を組んでいるんだろうなあ??)


 ……目の前に座る令嬢は、もう離さないと言わんばかりレイモンドの腕を取り、がっちりと握りしめていた。


「ローラ。こ、これは」


 レイモンドが居心地悪そうに身じろぎするが、完全に無視をする。ローラは先ほど図書館で借りてきた本で再びバリケードを築き上げ、頭のてっぺんだけをちらりとのぞかせている。


「黙って」


 そう、別に言い訳なんか聞きたくない。いや、聞く必要もないではないか。レイモンドが誰と仲良く腕を組もうが、なおかつローラにそれを見せつけてこようが関係のないことだ。


 バリケードの隙間から依頼人を一瞥する。見覚えはあるようなないような、黒髪の大人しそうなご令嬢で、ネクタイとタイピンからすれば同じ学年のSクラスだろう。


 つまり同じクラスだ。


「ちっ」


「「ひえ……」」


 ローラがあからさまに舌打ちをし、わざとらしくガチャリと音を立てて珈琲カップをソーサーに戻した。いつも以上に険しい雰囲気のローラに、目の前のふたりは恐怖で凍り付く。


 令嬢がレイモンドの腕に置いた手にますます力を込めているのが腹立たしい。


(よりにもよって、同じクラスって! やっばい、バレる前に追い返さないと。本当に面倒くさいなあ!?)


「で、ご相談とは?」


 ローラが不機嫌全開の声で催促する。不良娘に詰められて、黒髪の令嬢は今にも泣きそうだ。おずおずと震える声で説明を始めると、レイモンドが励ますように頷いてやっている。なんだお前。


「わ、私はシルヴィア・ギルバートと申します。あの、とても大切なものを失くしてしまったので、探偵令嬢様に……」


「ローラです」


 ローラがぴしゃりと言い放つと、シルヴィアが慌てて言い直す。


「……! ろ、ローラ様に助けていただきたくて。どうかお願いいたします」


(あー、クラスにいたなー。ギルバート伯爵令嬢かあ)


 モブだな、モブ。教室風景に出てくるけど台詞はなし。そう思って明らかに興味を失くしていると、そんなローラの様子を察してシルヴィアが付け加える。


「亡くなった祖母に貰った大切なハンカチを、今日どこかで失くしてしまったんです。探しても探しても見つからなくて。お礼はいくらでもいたします。どうか! どうか探すのを手伝っていただきたいのです」


 この通りですと頭を下げる。菫色の瞳からは、ぽたりぽたりとついに涙がこぼれている。これではローラが泣かせたように見えるではないか。実際レイモンドが非難がましい目で見つめている。あー、あー、そうですか。


「どんなハンカチなの」


 寝起きのゴリラもびっくり、地を這う低い声で問いかける。それでも菫色の瞳は一筋の希望を見出して輝いた。


「薄い紫色で、祖母が私の瞳に合わせて見繕ってくれたものなんです。亡き祖母との思い出が詰まった宝物で……。スミレの花の刺繍がしてあります」


 ――ん? どこかで見たことがある。


「失くした場所に心当たりは?」


「今日は教室で授業を受けて、昼食はいつも通り食堂でとって、帰る前に図書館によってからもう一度教室に戻りました。そこで失くしたことに気づいて、食堂や図書館を探したのですが全く見つかりませんでした……」


 ――あー。どこで見たのか思い出したわ。


 ローラはあの時の違和感を思い出すと、バリケードのこちら側で思いっきり頭を抱え、はああああと盛大に溜息をついた。


 おかしいなと思ったんだよ。ヴァネッサさんの持ち物がピンクじゃないだなんて。これはまずい。まずいことになった。


「ローラ? どうかした?」


 レイモンドが心配そうにバリケードの中を覗いてくる。他人を心配する暇があれば、隣のお嬢さんを心配すれば??? ローラはレイモンドを睨みつけると――レイモンドがとても傷ついた表情で引っ込む――、シルヴィアに問うた。


「あなた、他人に荷物を触らせたでしょう?」


「い、いいえローラ様。そんなことはなかったかと」


「荷物を落として拾ってもらったこともないと?」


「……! まあ!」


 シルヴィアがパッと口元を押さえる。心当たりがあったようだ。


「わ、私、図書館で人にぶつかって、手に持っていた荷物を落としてしまったのです。お互い慌てて拾い上げて立ち去ったものですから、きっとその時に! 確か髪色がピンクの」


「特待生のヴァネッサ・リリー嬢でしょうね」


「ええ、たぶん。いいえ、きっとそうです!!!」


「すごいぞローラ! さすがだな」


「どこが?」


 やけにおだててくるレイモンドをぴしゃりと封じる。

だってローラは単に、落とし物をした場所を思い出させてやったにすぎない。何なら取り違える現場を見ていたし。まあ悪い気はしないが。


 しかし、問題はここからだ。だってあのハンカチは、既にヒロインのところにはない。この気弱な令嬢が、果たしてあの俺様男からハンカチを取り返せるかどうか。


この世界のことなら全てお見通しのつもりでいたが、さすがに攻略対象がモブ令嬢にどういった対応をするかまでは知らない。


 いや? ありかは教えてやったのだから、取り戻せたかどうかなんて関係ないか。


(今日はあんまり楽しくないな……)


 本と本の間から、いまだにレイモンドの腕に置かれた可愛らしい手を一瞥する。


 そうこうしていると、シルヴィアがよいしょと席を立つ。先ほどよりは随分元気になった様子で丁寧にお礼を言ってくれる。


「ローラ様、スコット様、ありがとうございます。明日リリー様にお話をしてみます!」


 ……スコット様


「ああ、すぐに戻ってくるよ。だからギルバートさんもあまり落ち込まないでね」


 ……ギルバートさん


「……」


 ローラはレイモンドとシルヴィアを交互に見ると、今日何度目だろうか、はあああと大きく溜息をついて言い添えた。


「……もしも明日ヴァネッサさんに、例えばえーとフリードリヒ様あたり? とにかく他の誰かにハンカチを貸してしまったと言われても諦めないこと。正当な持ち主はあなたなのだから、気後れせず事情を説明して返してもらいなさい」


「は、はい! 頑張ります!!」


 せっかくローラ様に手伝っていただいたのに、それを無駄にはしませんわ! と意気込むシルヴィア。ふっとレイモンドの腕を見やり、自分がずっと握りしめていたことに気づいて慌て始めた。


「まあ! ご、ごめんなさいスコット様。こんな場所初めてだから怖くって。申し訳ございません!!」


「いや、こういう場所が怖いんだろうなと思っていたから大丈夫だよ。お嬢さまは来ないような場所だからね。ローラは平気でくるけれど」


 ……ローラ


(べ、別に。私が一番親しげに呼ばれているとか、そんなことを思っているわけじゃ……!)


 そう思うと、胸がきゅっと苦しくなる。


「……。レイモンド、危ないからギルバートさんを寮まで送ってあげて。私はまだここにいる」


「え? あ、うん。わかった」


 無事にハンカチが返ってくるといいね。そして、もうここには来ないでちょうだい。珈琲色のほろ苦い気持ちを抱いて、ローラは窓から寮に向かうふたりの背中を眺めた。


とはいえローラも優しい。

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