事件簿02-1 迷子の迷子の
クリージェント魔法学園の図書館は、この国でも有数の蔵書数を誇っている。
壮麗な建物の中には無数の本棚が森のように立ち並び、隙間には自習用の机がぽつぽつと並べられている。
四方の壁からは至る所からバルコニーが突き出しており、そこにある本棚はとりわけ貴重な蔵書で埋まっている。
そのバルコニーのひとつでローラは自習机に座り、周囲にうず高く本を積み上げてバリケードを作っていた。そのバリケードには器用にのぞき穴がこしらえてあって、そこから興味津々といった様子のつり目が見え隠れしている。
視線の先には、ヴァネッサ・リリー。この世界のヒロインだ。
今はピンクの髪を揺らしながら、ひょこひょこ上の段の本を取ろうと頑張っている。
(放課後まで勉強熱心ね……さすが特待生……うほほ……)
お手製のバリケードに囲まれているのを良いことに、ローラの顔面は完全に崩壊している。
ヴァネッサはしょっちゅうこの図書館に来て、レベル上げ……いや、勉強をしている。最初はどの本を読めばいいのかわかっていなかったから、ヴァネッサが選んできたものにこっそり追加で本を載せて置いてやるなど、ゲームが……いや、学園生活が快適に進むように手助けをしていた。
(最近は上手く図書館を使えるようになってきたようだから、しっかり魔法を習得して好感度を上げてほしい……えへへ)
そして願わくば、全てのシークレットスチルを解放しておくれ。見にいくから。
そんなことを考えながらピンク頭を眺めていると、ヴァネッサがぴょこんともうひと跳びした拍子に、ちょうど後ろを通り抜けようとした黒髪の女子生徒とぶつかった。
「「わっ! ご、ごめんなさい!?」」
ふたりともドスンと尻もちをついて、腕に抱えていた本やハンカチ、筆記用具をばらばらと落としてしまった。
「よく見ていなくて! ごめんなさい!」
ヴァネッサがぺこぺこと頭を下げると、荷物をかき集め始める。相手の女子生徒も慌てて荷物を拾い上げると「こちらこそごめんなさい」と、もう一度丁寧に謝って去っていった。
(おっと、大丈夫だったようね? で、そろそろ移動してちょうだい……)
ローラはわくわくと期待に胸を弾ませて、慣れた手つきでバリケードを片付ける。ヴァネッサも必要な本を集め終わったのか、図書館を出ていこうとしている。
(この時間だと接触できるのはあのキャラかなあ!)
さあ納めに行こうか! 心のフォルダに素敵なスチルを!!
ローラはえいやあと気合をいれて立ち上がった。それから、腰まで届く優美な赤毛をさらりと払い、辺境伯令嬢の仮面を取り付ける。
バリケードを取り払ったら、もう下手な顔はできない。
すれ違う生徒たちが口々に挨拶をしてくる。皆アルマ辺境伯令嬢とお近づきになりたくて必死だ。それに対して律儀に目礼を返しながらも、既に心はここにあらず。
ド田舎領地唯一の娯楽、魔獣狩りで鍛えた脚力を活かして足早にヴァネッサの後を追う。図書館裏の木立を抜けると、予想通りの光景が広がっていた。
――手には剣、少し汗ばんだようすの鮮やかな青い髪の青年と、おずおずとハンカチを差し出すピンクの子。なんて絵になる眺めだろう。
「フリードリヒ様、どうぞ」
「なんだよ? 特待生殿は俺のことを狙っているのか?」
「そ、そんなつもりじゃ!」
ヴァネッサがムキになって言い返す。
(おほうっ! 俺様キャラはいいよねえ!!!!)
今日のローラは適当な木にへばりつくようにして身を隠しながら、大興奮で様子を見守る。
そう、彼は『どのユリ』攻略対象のひとり、フリードリヒ・グラディウス。父親は国王直属の騎士団長で、本人も騎士志望だ。
(俺様なフリードリヒに振り回されるのも楽しいし、ツンケンしているわりに優しいのにはキュンとくるし、実は努力家なところも刺さるんだあ……)
もはや木と一体化せんばかりに張り付くローラ。だらしのない顔からは今にも樹液……、いや、よだれがこぼれそうだ。
「ま、使ってやってもいいけど」
フリードリヒはそういうと、ヴァネッサの手から薄紫色のハンカチ――ん? 今日はヒロインカラーのピンクじゃないんだな……? ――をぱっと奪って満足げに笑う。
「ちょ、ちょっとお! なんなのよ、フリードリヒ様!」
「おいおい、お前が渡そうとしたんだろう? ふはは! 面白い女!」
ヴァネッサがぺちぺちとフリードリヒを叩きながら抗議している。
「嬉しいだろう?」「嬉しくなんかないんだからっ」と言い合うふたり。その姿をきっちり目に焼き付けると、ローラは感謝の気持ちを込めてそっと合掌した。
(ああ、いいシーン。ああ、ああ。このシーンを見られた私は勝ち組……。叫びたい。この気持ちを叫びたい)
ローラは胸に湧き上がってくる勝利の雄叫びを必死に堪え、そそくさとその場を立ち去った。
***
レイモンドは今日も市場にいた。
商会の仕事絡みで労働者階級の人々と関わることも多いから、商人や職人、労働者でごった返す市場にそれほど抵抗はない。
それはあの子も同じのようだ。領地がド田舎――たぶん貧しい土地なんだろうな――だから、領民とは身分を気にせず交流すると言っていた。
今日もあの子は喫茶店にいるのだろうか。
「いや、別にローラ目当てってわけでは!? いやそうだけど!! いや! 別に」
ローラだらけでどうしようもない思考をすっきりさせようと、急にぶんぶんと頭を振る。
周りの人がほんの一瞬だけ怪訝そうに見てくるが、自分のことで忙しいもの同士、特に追及せず通り過ぎてくれる。
そのまま喫茶店を目指して人混みを上手にすり抜けていくと、急に「邪魔だ!」「お嬢様がこんなところに来るんじゃないよ!」「突っ立っていると迷惑だよ!?」という怒声が聞こえてきた。
そちらの方向を見やると、レイモンドと全く同じ制服をまとった黒髪の令嬢が棒立ちしている。活気づいた市場ではさぞ邪魔だろう。なんなら押しつぶされかねない。
関わり合いにならないでおこう。そう思った矢先に、例の令嬢とばっちり目が合ってしまう。
――タスケテ
彼女の口がそんなふうに動いた気がして、レイモンドは悶絶した。
同じ制服、同じ緑色のネクタイ。タイピンにはSクラスの証、ユリのかたちにダイヤモンドが埋め込まれている。きっととんでもないお嬢様だ。労働者街にいたら、余裕で死ぬ。
絶対にこんなところに来てはいけない人種だ。
「……くっ! ほっとけないよなあ、もおお!」
レイモンドは頭を抱えたい気分で人を掻き分け、令嬢に近づく。「大丈夫か?」という言葉とともに腕を差し出すと、彼女は泣きそうな表情でしがみついてきた。
いつもの時間よりちょっと遅くなったとしても、あの子はまだ窓際に座っているだろうか。
今日も会おうと約束したわけではない。約束したいだなんて言い出せるほど勇敢ではない。約束もせず偶然喫茶店で会えたとしても、なんで来たのかと問われるだけだろう。
それでもいいのだ。「暇なの?」と冷たく言い放つあの子の目は、言葉とは裏腹にいつも温かい。
(あーあ……)
どんよりとした曇り空を見上げて、レイモンドはひとり溜息をついた。
レイモンドはとてもいい子です。とてもいい子です。(大切なことなので2回)