窓際話01 両親に送る手紙
ここは市場のひとつ奥まったところ、ちょうど帽子屋の角を曲がったところにある、オークのドアの喫茶店。
夕日が差し込む窓際で、探偵令嬢は書き物に忙しい。
「『絶対に必要というわけではございませんが、できれば仕送りを少し増やしていただきたく』ってなんだ? 親への手紙か?」
ローラが顔を上げると、そこには手紙を向かいから覗き込むレイモンドと目が合った。好奇心旺盛な茶色の目を輝かせて、逆向きでも内容を読み取ろうとするガッツは認めてもいい。
「そんなに私に興味があるの?」
「え、あ、いや。うっ、まあその」
突然しどろもどろになるレイモンドを「はっきりしてくれる?」と嫌そうな表情で睨みつける。ただでさえこちらは作業を邪魔されているのだ。
「はい、あります」
「よろしいレイモンド君。でも、ただ領地にいる両親に手紙を書いていただけよ。あとはもっとパフェとか食べられる金額のお小遣いと書いただけ」
最近全く連絡をしていなかったから、そろそろ怒られそうなのと言うと、レイモンドが目を丸くして言葉を失っている。
「なによレイモンド」
「い、いや。ローラの家って領地持ちなのか? え? マジで?」
(あー、レイモンドに家のことを何も説明してなかったや)
「そんなふうには見えなかった、てっきり金持ちの平民かと。いや、ローラを馬鹿にしているわけでは!? でも同じクラスじゃないからてっきり」
「領地持ちって言っても破綻しかけているんだよねえ。経営がめちゃくちゃ厳しい」
「え……、そうなんだ」
「ところでレイモンドはBクラスだっけ?」
「そうだよ。男爵くらいの身分なら大体Bクラスだ」
学園のクラス分けはざっくりと身分別になっていて、ローラのSクラスは王族や一部の上位貴族、そして特待生が所属している。その下のAクラスには伯爵や子爵、Bクラスにはレイモンドのような男爵家が割り振られる。
CとDには主に平民、まれに落ちぶれた男爵家の生徒も所属している。Cクラスではやや資金に余裕がある商家の令息令嬢、Dクラスではそこまで裕福ではないが、それでも一般庶民よりは恵まれた役人の息子や娘が学んでいる。
(まあ、土地持ちはBクラスまでね。すごく落ちぶれた貴族がまれにCクラスにもいるけど。やっぱりクラス分けって寄付金の額なのかなあ)
そんなことをぼーっと考えていると、レイモンドが申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめん、ローラの家の事情を知らずに不躾なことを言った。そうか、辛かったな」
「いや、別に辛くはないわね。領地にいる平民の皆と同じような店に入ったり、普通にひとりで出歩くことが出来たり、気楽で好きだったな」
(ド田舎だから領主と領民の距離も近いし、一応辺境伯家の跡取りとして、国境軍を預かるに恥ずかしくない護衛術は身に着けているから、結構気楽に出歩けたのよねえ)
それを聞くと、何故だかレイモンドがますます気の毒そうな顔をする。
「平民とほぼ同じ生活……。なんでそこまで落ちぶれたんだ……」
「祖父母が何もしないで遊びまくったからね。何でもかんでも部下に任せっきだったみたい。私には優しいしすごく好きなんだけどねえ。今は両親が絶賛経営立て直し中、みたいな?」
(あんな広大な領地、部下が山ほどいるからって任せっきりにしていいものじゃないんだよなあ……。平和に慣れ切って、軍備も騎士団長に丸投げしちゃってるし)
「そうか……。小さい領地だと、執事に任せておいてもそれなりに回るものだからな。だけど、ローラのおじい様たちは上手くいかなかったんだろうな……」
そこまで話し終えると、マスターがローラにおかわりの珈琲を、レイモンドには紅茶を運んできてくれた。レイモンドがそわそわと「今日は奢るよ」と言うものだから、遠慮せず甘えることにする。
マスターが何だか笑いをこらえているのが気になるが、そういう日もあるのだろう。たぶん。わかんないけど。
珈琲で一息ついたところで、ローラがおもむろにぱちんと手を叩く。それからぐいっと便箋を引き寄せるものだから、レイモンドが訝しがって聞いてきた。
「なんだ? まだ書くのか?」
「そうなのよ。縁談の話を忘れて……
ゴフォンゲフンゴボッ!
……いてって、どうしたの! 大丈夫? レイモンド」
唐突に紅茶を吹き出したレイモンドに、慌ててハンカチを差し出す。それを受け取りながら片手を上げて大丈夫だと合図をしてくるが、紅茶まみれになった顔は青ざめている。なおかつせき込んだままのレイモンドは到底平気な様子には見えない。
ようやく落ち着いたレイモンドは、開口一番「えええええ縁談がきているのか!?」とどもりながら叫んだ。
「山ほどくるよ。1ミリも興味ないけど」
「その、実家が傾いていても山ほど縁談がくるものなのか?」
「お金と言うより私目当て? 私ってひとりっ子でしょう? だから婿養子を取らなきゃなんだけど、心底興味がないの。だからお父様には、適当に条件に合う人を見繕って決めておいてって書いておかないと」
(私と言うよりアルマ辺境伯家と縁づきたいというかなんというか。三大名家って看板、まだ需要はあるのよねえ)
「私目当て!?!? それは格下の家だから好きなようにできるとかそんな横暴な理由じゃないのか!? やめとけそんなやつ!」
「……え? あんまり聞いてなかった」
「うおい!?」
レイモンドが今日は何故かうるさい。いや、いつもうるさいが今日はことのほかうるさい。
「どうしたのよレイモンド。そんなにムキになって」
するとレイモンドは紅茶をぐいっと飲み干すと、カップをカチャンと鳴らしながら、乱暴にソーサーに戻す。
それから覚悟を決めた顔でびしりとローラに視線を合わせ――ローラは「何かロックオンされた?」と不思議な気持ちになった――、どすの効いた声で問うてきた。
「で、婿養子の条件と言うのは?」
「え? 長男以外」
「俺は三男だ」
「はい? あとはえーっと、領民の苦情を聞くのが上手いとか」
(騎士団のみんなって戦争から遠のいているのが気に入らなくて、やたらめったら魔獣狩りに行きたい暇すぎるって苦情を言ってくるのよね。調整するのが大変)
「あー、うちも商会をやっているから、クレーム対応はするぞ」
「ん? なんでレイモンドの話になるの? あとはそうね、お隣と交易をしたり?」
(国境の向こうの帝国との交易を取り次がなきゃいけないんだけど、これを部下に丸投げしたせいで、おじい様たちは失敗したのよね。帝国大使との交流なんかは、やっぱり辺境伯が直接やらなきゃダメよ……)
「それ、うちは得意だよ。物流とかの手配だろ? 簡単だよ」
「はあ、そうなの? あとはガタがきている領内の整備ね。あれが一番大変そうなんだけど、任せられる人がいい」
(辺境伯領って広大だし、建国当初からある道なんか年季が入っている分、あちこち修繕しないといけないし、国境だから下手に手が抜けないし。あれは面倒臭い。絶対お婿さんに押し付けるんだ……!)
「領地経営か……。父さんと兄さんに任せっきりだな……」
うーん? 何故レイモンドが考え込むのかわからないけれど、まあいいか。
気を取り直して手紙に文章を書き足そうとすると、理由はよくわからないがレイモンドがぎゃいぎゃいと騒ぎだした。
「ちがっ! そうだ、俺のことを書いてよ。その、仲良くしている男がいるからそういうのはいらないとか……」
いつも利発なレイモンドらしくもなく、ごにょごにょしすぎてもはや聞き取ることができない。
(はて…‥? あ、そういうこと!?)
「もしかして、私に友人がろくにいないことを両親が気にしているってばれちゃった? そうなのよね。社交をしなくても構わないけれど、せめて学園で友人くらい作れってうるさいのよ」
「……」
レイモンドが無言で見つめてくるのは何故でしょう。ただし、ローラはそんなことを気にする子ではない。残念でした。
「まあまあ、レイモンドっていう素敵な友人がいると書いておいてあげる」
縁談のことをすっかり忘れて、レイモンドという友人ができましたとだけ書き足したローラを、やれやれといった表情で――ただしちょっと安堵した様子で――見つめるレイモンド。
その頬は窓際席に遠慮なく差し込む夕日が当たり、ほんのりと桃色に染まっていた。
数日後、筆不精の娘から久方ぶりに手紙を受け取ったアルマ辺境伯夫妻は、便箋に踊るレイモンド・スコットという文字――それは最近飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を拡大し、いずれ国内随一の商会になると確実視されているスコット商会三男坊の名前――を目にして狂喜乱舞したのだった。
ここまでダメダメエピソードしか出てこないローラの祖父母ですが、腕っぷしは謎に強くて魔獣狩りの名手です。
それゆえ騎士団と意気投合しており、特に騎士団長は心からの忠誠を誓ってくれているので、軍備部門だけは丸投げしてもまったく支障が出ませんでした。