事件簿01-3 ローラ、ローラ、ローレイン
これは、今みたいに本格的に寒くなる前の、秋のこと。
『どのユリ』の世界で屈指の名門校、クリージェント魔法学園。
学園では身分の区別なく平等であると謳っているが、周知の事実として大体の身分別にクラスが分かれている。
制服のネクタイの色で学年が、タイピンの装飾――ユリの花を模したエメラルドやサファイアなどの宝石――でわかるようになっている。
なかでも王族や一握りの上級貴族、そして国内にふたりといないレベルで高い能力であれば選ばれる特待生が集う最高峰のSクラス。生徒たちのタイピンにはダイヤモンドが輝いている。
その教室の窓側後ろの方に、豊かな赤毛を背にたらした女子生徒が、ぽつりと優美に座っていた。
ちょうど授業の間の休憩時間で、他の生徒たちは外に行くか友達同士で雑談をして盛り上がっている。
「エレアナ様、庶民の市場に行ったことはおありでして?」
「まあ、リリアーネ様! 労働者階級の区画にはお父様が絶対に行ってはいけないとおっしゃるわ」
エレアナと呼ばれた生徒が、そんなとんでもないと首を横に振る。それから気取った調子でさらに付け加えた。
「それに、うちの学園でもあの辺りに出入りするのは一番下のCかDクラスの生徒くらいではなくて? 成金の商家か、役人の子でしょう?」
「けれどもエレアナ様。最近あの辺りに入り浸って、探偵だなんて呼ばれている女子生徒がいるらしくて……」
そこまで言うと、ちょうど後ろからガタンッと椅子が倒れる音がした。雑談に花を咲かせていたエレアナとリリアーネは、びくっと肩を震わせて音がした方向を慌てて振り返った。
「「まあ、ローレイン様!?」」
すると先ほどの見事な赤毛の女子生徒が、驚きのあまり立ち上がりましたという状態で硬直している。相当慌てていたからか、椅子がすぐそばでひっくり返っている。
なかなか返事が返ってこないので、ふたりはもう一度声を掛ける。
「ローレイン様? お加減でも悪いのでしょうか? よろしければ誰かお呼びいたしましょうか?」
「何かお困りでしたら、どうぞお申し付けくださいませ?」
「……! え、あ、私? あ、私ですわね? いいえ結構よ。ありがとう」
(うわーー!! やっば! 最近ローラって呼ばれる方が多いものだから、自分がローレインだって忘れてたあああ)
ローラが心の中で冷や汗をかきながら、それでもにっこりと令嬢らしく微笑んで二人を安心させようとする。しかし心の中は阿鼻叫喚だ。
(あっぶな! それ自分ですって絶対に言えないわ)
「虫がいましたの。驚かせてしまってごめんなさい。でももう心配はいらないわ」
そういうと、ローラは先ほどまで読んでいた分厚い本を開き、さっさと会話を終わらせた。
本を読むふりをしながらふたりの様子をそっと窺ってみると、そういうことならと安心した様子で、また別の話を始めている。
そう、ローラはローレインの愛称で、領地の外では喫茶店で知り合った人たちしかそうは呼ばない。
いや、呼べないのだ。
はるか昔に王家とともにこの国を興し、未だに三大名門貴族として絶大な影響力を持つアルマ辺境伯家のひとり娘、ローレイン・アルマのことを愛称で呼べる者は、このSクラスであってもそうはいない。
そんな国内屈指の名家に生まれたローラだが、実のところアルマ辺境伯領という王都から離れた領地――正直めちゃくちゃド田舎――で育ったせいで、一般的な貴族が好む王都での煌びやかな生活に全く親しみがなかった。
なんなら前世の記憶があるものだから、ド田舎なまりの領民と触れ合ったり、この国を骨の髄まで知り尽くしたいと歴史書を読み漁ったりと、領地に引きこもりのんびりと暮らす方が性に合っていた。ちなみにこの世界では、前世に近い砕けた話し方が庶民言葉や田舎なまりだとされている。
しかもアルマ辺境伯家というのが厄介で、千年続く名誉だけはあるのだが、領地経営は数年前から盛大に傾いていた。
ローラの祖父母がなかなかのポンコツで、ここ数百年国境が平和なのをいいことに、領地経営も軍備も人任せだった。
そうして自分たちだけのんびり遊びまくるという生活を送った結果、呆れ果てた部下や領民に強制的に隠居させられ、今やローラの両親が経営を絶賛立て直し中だ。
そんなこんなで思ったよりも生活に余裕がないものだから、ローラの両親は娘がやれ夜会だ、やれドレスだと、年頃の他の娘のように無心することなく、静かに本を読んで暮らしてくれることに安堵していた
学園と寮にならたくさんの本があるし、転生前は庶民だったのでそこのところは何の不満もない。
厳しいと言いつつそれなりの小遣いは送ってくれるので、こうして喫茶店で毎日珈琲を飲むことも可能だ。
……珈琲だけならば。
悲しいことに、毎日ケーキやパフェを頼んで食べる余裕がない絶妙な仕送り金額。財布を気にしながらメニューを考える日々。
そんなローラにとって、探偵だとか言われながらもゲーム知識をちょこっと教えてやるだけで、相談料として美味しいものを奢ってもらえるのは幸運だった。
「ただ、噂が広まるのはいただけないわね」
教室なので、念のため砕けた口調を改めて呟く。
名門中の名門で王家でさえ顔色をうかがうアルマ辺境伯令嬢が、庶民向けの喫茶店で毎日推理を展開している。こんなことを知ったら両親が卒倒……
(……しないわね。皆、頭の中はド田舎基準の考え方だから)
護衛なしにひとりで普通に出歩けて、「よお、ローラお嬢ちゃん!」と声を掛けられながら、身分も何も関係なしに店を見て回れるアルマ辺境伯領。
平和ボケしているとはいえ国境の要となる場所なので、ローラも含めてほとんどの人が、護身の技術を身に着けているからなせる業だ。
(これ、転生した場所が最高だったわあ……)
『どのユリ』のゲームでは一瞬名前が出るだけのアルマ辺境伯家などではなく、せっかくならヒロインにと思ったこともあったけれど。
やはりアルマ家に生まれたことを感謝しつつ、絶対にばれないようにしようと心に決める。
身分がわかるネクタイとタイピンを外して、髪も適当に編んで印象を変えておけば大丈夫……なはずだ。
ゲームのキャラクターたちは触らず見守るだけ! と決めているものだから、幸いなことにクラスメイトとそこまで密に関わってこなかった。社交もろくにしていないので、そうそう勘づく人はいないだろう。
「で、そろそろかな?」
先ほどから教室前方をちらちらと気にしていたローラが、ついににんまりと満面の笑みを浮かべた。
それは、先ほどからそわそわと落ち着かない様子のピンク髪の特待生、ヴァネッサ・リリーが覚悟を決めたように立ち上がったのと同時だった。
(さてさて、今日の王子さまは元気がなかったぞ? 追いかけるんでしょ、ヒロインさん?)
この先の展開を知っている。ああ、なんて楽しいんだろう。絶対に見届けて、心のシャッターで素敵なスチルを記録するんだ!!
まずは王子の場所を確認して、その帰りに花壇で鍵を拾わないと、好感度アイテムのクッキーが作れないぞ? ヒロインは上手くできるだろうか。そんなことをニタニタと考えながら、ローラもすぐに席を立つ。
それに気づいた周囲の生徒が媚を売るように挨拶をしてくるから、すました微笑でやり過ごしてはいるが、心の内は喜色満面だ。
赤毛の辺境伯令嬢は視界の隅に消えたピンクのあとを急いで追いかけた。
続きが気になると思っていただけたら、下にある【☆☆☆☆☆】を多めにつけてくださると励みになります。ブラウザによっては物凄く下にあります。
そうでもなかったな……と言う場合は少なめで。
感想やブックマークも大変支えになります!お待ちしております!