事件簿04-4 心がちょっと温かい
ちょっと短いです。
「あ、ぼーっとしてたらここまできちゃった」
授業をどうにか乗り切ってから、足が勝手にいつもの市場にローラを運んで行った。
赤毛のおさげをしゅんと背に垂らし、うわの空でぼーっと、しかし慣れた様子でするりと紺や褐色、黒い服をまとった雑踏をすり抜けていく。
ふと気づくと、目の前にはいつもの帽子屋があった。ここまで来たら仕方ないので足に任せてそのまま角を曲がると、やはりいつもの喫茶店の、どしりとしたオークのドアが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませえ~。あ、ローラちゃん! 先客がいるわよん」
マスターが指し示したのは春の陽気が差し込む窓際席で、ゆったりとした4人掛けのテーブルには既にレイモンドが座っていた。
「あ、レイモンドだ。また相談?」
「やあローラ。今日は探偵令嬢に依頼があるんじゃなくって、ただローラにお礼が言いたくて待っていたんだよ」
(レイモンドは私を待っていたんだね)
この世界での配役アルマ辺境伯令嬢でも、転生者ゆえにゲーム知識を持っている探偵でもなく、レイモンドは「ただのローラ」のことを待っていた。
じんわりと胸が温かくなる。この感情はいったい何なのだろう。わかるようでわからない。もやもやとするが決して悪くはない感情を抱えて、ローラはレイモンドに向きなおった。
「お礼はいらないよ」
「いいや、お礼をさせてくれ」
「えー、いらないって」
もう何回目だろうか。それからずっと、お礼を受け取れ受け取らないと言う問答を数十回と繰り返している。
「でも、あそこでローラが助けてくれなかったら、俺はどうなっていたかわからないんだよ?」
――どうなっていたかわからない
その言葉が無性に胸に刺さる。
これまでこの先どうなるかなんで、全部お見通しだった。疫病や不作で領民が大勢亡くなったって、大火で怪我人が大量発生したって、知っていたから動揺なんてほとんどしなかった。
(あんまり落ち着いているから、跡継ぎ娘として相応しい器だなんて褒められたっけ。ヒロインや攻略対象が経験したことだから、覚悟していただけなんだけどね)
でも、今回はわからなかった。失礼だがモブ中のモブの運命なんて知りようもない。予想がつかないから、自分で考えて行動した。ローラの行動がなければ「どうなっていたかわからない」
「……偶然よ」
「なあローラ。ローラのその偶然が、ローラの存在がなかったら死んでいたんだってば。お礼をさせてくれないと気が済まないよ」
――ローラの存在がなければ
ずっとこの世界に、いてはいけない存在だと思っていた。
存在して、いいのか。ゲームの世界を壊さないように、ずっとストーリーを優先して一歩引いていたけれど、自分の思いで行動していいのか。
ひたすら『どのユリ』の世界を傍観し続ける人生だと思っていた。世界観を乱さないように人間関係も当たり障りのない程度、できれば前世よりも長生きをして、裏設定を調べつくして、たくさんスチルを心に刻み付けたい、それだけだった。
でも、ちょっとくらいなら、例えばモブのレイモンドとなら、ローラ自身の人間関係を築いても良いのかもしれない。
また胸がぼんやりと温かくなって、気まぐれにお礼なるものを受け取ってやらんでもないという気持ちになってくる。
「うーんそうねえ」
ぐるりと店内を見回すと、カウンターの向こうにいるマスターと目が合う。マスターはバキュンとウィンクを飛ばしながら、手にしたプリンタルトを持ち上げて見せた。
「……プリンタルト。あなたの奢りで」
「へ? そんなものでいいのか?」
レイモンドが不思議そうに、まじまじとローラを見つめてくる。ローラがそうだよと見つめ返すと、何故だか急にもじもじしだした。トイレか?
「プリンタルトはいかがかしら? あらあ、あらあらあらうふふ」
見事に空気を読んで注文を取りにきてくれたマスターが、やたらめったら嬉しそうに、レイモンドとローラを見比べてくる。
「マスター、どうしたの?」
「えー?? レイモンドちゃんとお似合いだなあって思っただけよん」
「「お 似 合 い !?!?」」
ふたりの声がシンクロする。ローラが唖然としてどこがだと問い詰める一方、レイモンドは「お似合い、お似合い」と呟いて俯いてしまっている。
ゲームの世界の片隅で、人知れず繰り広げられるいざこざ。決してゲームストーリーには映らないし、知っているのはローラとレイモンドとマスターだけ。ぎゃいぎゃいと言い募るローラの表情がちょっと明るい理由だって、ローラしか知らないのだ。
そう、これは確かにローラが生きる世界の物語。
――転生令嬢は今日も密かに愉悦する。
前話に収まらなかったのでカットした部分です。なので中途半端に短くて申し訳ない。
頑張れローラ!!




