事件簿01-2 見通せないことなんて……ある
「いらっしゃいませえ~~」
ローラが今日もオークのドアを開くと、にこやかに微笑むマスターに出迎えられた。
がっしりとした筋肉質の巨体で、いかにも強そうな男性ではあるが、とても可愛らしい花柄のエプロンと、それと同じくらい柔和な空気をまとっている。
そう、いわゆるオネエキャラだ。
「マスターはいつも素敵だねえ……」
(ギャップのあるオネエキャラからしか摂取出来ない栄養もあるのよ……)
ほんわりとした気持ちでそう言うと、マスターがちょっとちょっとと話し掛けてくる。
「ローラちゃんっ! 昨日会っていたお兄さんたちがローラちゃんに会いたいっていうから、いつもの席に座らせちゃった! よかったかしら?」
「あー、エリックさんたちか。いいよ、ありがとうね」
「やん! お安い御用よお。注文はいつものやつね?」
すぐに持っていくわねえ! と可愛らしく言ってから、マスターはいそいそとカウンターの方に去っていった。
ローラが初めてこの喫茶店に訪れたときから、マスターだけは何故だかずっとよくしてくれている。
マスターのちょっと濃いけれど親しみやすい性格のおかげで、この喫茶店はとても居心地がよく、老若男女問わず常連客がついている。
庶民向けの市場から近く、労働者階級の客も多いのだが、もめ事を起こしそうな様子があればすぐにマスターが仲裁してくれるので、騒ぎになってこともない。
正直あそこまでゴリゴリのマッチョに凄まれたら――しかもあの口調で花柄エプロンである――いろんな意味でパンチが効いていて、誰でも一旦冷静になる。
そういうわけで、放課後に寮を抜け出して本を読むのにぴったりの喫茶店なのだが、今日はお気に入りの席に先客がいた。
「遅かったなローラ!」
「やあローラさん」
いつもの席のちょうど向かいに陣取るレイモンドとエリックを見て、ローラは嬉しそうに微笑んだ。
「ふたりとも、昨日より随分と機嫌がよさそうね。言った通りだった?」
ローラが席に着くと、エリックが勢い込んで話し始める。
「本当に驚きました! まさか特待生のヴァネッサ・リリー嬢が入り込んでいただなんて!」
「でしょう? で、ヴァネッサさんはどんな様子だった?」
「ローラさんのおっしゃる通り、予備の鍵を紛失した事務員がいました。リリー嬢はそれを偶然拾って、こっそり厨房に入り込んでいたそうなんです! リリー嬢が謝りに行ってくれましたので、私への疑いが晴れましたよ」
「……だから、ヴァネッサさんの様子はどうだったの?」
嬉しさと驚きで一気にまくしたてるエリックを、ローラが遮る。テーブルを人差し指でコツコツと叩いて、若干苛立っているのがわかる。
「え? リリー嬢ですか? ま、まあ、噂通り明るい天使のような方でしたよ。今回もどうしてもクッキーを作りたかったから、余り物の材料を拝借したかったようで。一生懸命謝る姿が、なんです? 可哀想というより、えーっと?」
「庇護欲をそそるというか、小動物みたいで助けてやりたくなったよな」
言葉に詰まったエリックに、レイモンドが助け舟を出した。エリックがそれです! と頷き、そのまま続ける。
「リリー嬢って、特待生として入学していますけれど、ご実家は貧しいみたいで。いろいろお話を伺っていると本当に頑張り屋さんなのがわかって、皆同情しちゃって。
これからは材料費の代わりに簡単な掃除をお願いすることにして、引き続き厨房を使っていただくことになりましたよ」
「ほうほう。説得の選択肢は全部クリアと。さすがね……」
「ローラ、なにいってんだ?」
訝しがるレイモンドには、こっちの話よと適当にごまかしておく。
マスターが運んでくれた珈琲を飲みながら、ふと思い出したことを口にする。
「そういえば、ヴァネッサさんはエリックさんのことを褒めていたんじゃない? 毎日時間を守って戸締りしにくるのはエリックさんだけだもの」
「……! そんなことまでお見通しなんですね! さすが探偵令嬢と名高いだけあります。おっしゃる通り、忍び込むには都合がよかったそうなのですが、私に迷惑を掛けることになって申し訳ないと泣いて謝ってくださいました」
「疑いも晴れたし、謝ってもらったからもういいんだとさ。エリックさんは心が広いよなあ」
「いや、付き添ってくれたレイモンドくんこそ。本当にありがとうございました」
「確かにレイモンドは世話好きよねえ……」
そう、レイモンドは何故だかとっても世話好きだ。
初めて出会った日からそうだった。他人のために散々心を砕いていて、ローラのところにたどり着いた。
突然ローラの目の前に立ったレイモンドは、「労働者階級の喫茶店に、探偵をやっているうちの生徒がいるって聞いた。君か?」と相当警戒して話しかけてきた。
そんなに警戒するならやめておけばいいのに、人のためになるのなら話しかける。そういう優しくて強い人だ。
ローラが目を見張って、「な、なんでうちの生徒がこんなところに! 貴族連中は嫌がって来ないような場所だよ!?」というと、そっくりそのまま返すと言われ、それから一瞬無言で見つめ合った後、ふたりで盛大に噴き出したのを覚えている。
『どのユリ』の世界に転生したと気づいて以来、この世界のあらゆるものを心のフィルムに焼き付けたり、遠くから攻略対象やヒロインたちを観察したりと楽しく過ごしてきた。
ただ、その特に誰とも近づきすぎない生き方では、自分がこの世界の人間ではないという感覚、疎外感が強くなる一方だった。
そこにきてレイモンドだ。彼はモブ、いやモブですらない。正直学園シーンに出てくるキャラクターを思い返してみても、全く記憶にない。
学園シーンにいた学生などではなく、単純に「ローラ自身の友人」として付き合うことができる。そんな存在を手に入れた衝撃か、ただ単に噴き出した拍子に喉に何か引っかかったのか、無性に胸が熱くなったのだった。
レイモンドは「不良娘を家に帰す」とかなんとか言いながら、暇さえあればちょうどローラが寮に戻る頃合いを見て、喫茶店まで迎えに来てくれる。
「暇なの?」
「はあ!? 最近暗くなるのが早いから、ひとがせっかく心配して……、いやいい。暇です。すごく暇です」
「ちょっと! 急に面倒臭くなるのやめて!?」
夕焼けで真っ赤に染まった道を、ぎゃいぎゃいと言い合って帰るのも嫌いではない。
そんなことを考えながら、ぼーっとレイモンドの方を眺めていると、ぱちりと目が合ってしまう。
「なな、なんだよ」
「いや? レイモンドは優しいなあって思ってた」
思い出した内容をそのままに、ふわりと柔らかい微笑みをレイモンドに返した。つんと凛々しいローラにしては珍しく、マシュマロみたいな表情をする。
するとどうしたことか、レイモンドがみるみるうちに赤くなった。
「おおおおおおい??? 急にどどどどうしたあ!?」
「別に何もないけど」
予想以上に慌てふためくレイモンドと、はてと小首を傾げるローラ。そのふたりをしばらく交互に見てから、エリックが「あはは!」と笑い声を上げる。さながら思わずと言った調子だ。
「ローラさん、これは全然わからないんですね? 私はお会いするのが2度目でもわかりましたけど」
「おい、エリックさん!? マジで! マジで余計なこと言わないで!!」
いろいろ変になるから! とかよくわからないことを叫ぶレイモンドの耳が、見知った優しい夕焼け色に染まっていた。
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