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窓際話03 教室にて

(うふふふふ……えへへへ…‥)


 ローレイン・アルマ辺境伯令嬢、つまりローラは、淑女教育の成果を思う存分に発揮していた。


 つまり、心の中ではにやけ顔なのに、ローラの顔面はすました令嬢フェイスを保っている。


 Sクラスのど真ん中でひとり優雅に鈍器のような分厚さの歴史書を読みながら、いや、読むふりをしながら、目はしかとヒロインの姿を追っている。


 ちなみに、ローラがこの国にある一般的な歴史書をほとんど読みつくした結果、今では専門の研究者しか読まないような歴史書を手にしていた。


(お……今日はライオネル殿下に行く? それとも最近お気に入りのマイケル様かな?)


 隙あらばヒロインをサポートしてやろうと、攻略状況も逐一把握しているプレイヤーの鑑である。


 皆と同じクラスでよかった。こういう時は「辺境伯令嬢」という名ばかりでも高い身分が心底ありがたく思える。


 ローラはこうしてヒロインと攻略対象を遠くから見守り、オタク冥利に尽きる日々を送っていた……


 ……はずだったのだが。


「ローレイン様、おはようございます」


 何故、攻略対象マイケルが自分に話しかけてくるのか。


「お、おはようございます」


 ローラは歴史書のページをめくる手を止めて、机の目の前に立つマイケルに目を移した。マイケルは人懐っこい余所行きの笑顔を浮かべている。


(な、なにが目的!? ヒロインのところに行ってよ!!)


 自分はこの世界の人間じゃない、プレイ側の人間だ。だからキャラクターたる攻略対象をはじめ、クラスメイトとはできるだけ関わらないようにしていた。


 クラスメイトだって、物静かなローラを尊重して――ローレイン・アルマ嬢がおいそれとは話しかけられない高位貴族だったことも幸いして――、愛想よく挨拶を交わす程度の関係で納めていた。


 自分と話す時間をヒロインとの好感度上げに使ってくれええええ!


 下手に口を開くと負ける気がする。マイケルが用事を切り出すのを微笑みをたたえて待っていると、マイケルはさらに子犬のような愛くるしい様子で切り出してきた。


「ローレイン様は、風魔法がお得意ですよね? 成績も優秀でいらっしゃるので羨ましい限りです」


「まあ嬉しい。でも、マイケル様だっていろいろな属性魔法を使いこなしていらっしゃるでしょう? 将来魔法大臣になられるのではと、私の父も申しておりましたわ」


 はい、この話は終わり。そんな空気をガンガンに醸し出す。帰れ……立ち去れ……。だがそんな抵抗の甲斐もなく、マイケルがにこにこと続けた。


「ローレイン様は、風魔法で通信を行うすべをご存じですね?」


「……」


(何故聞かれているのか意味わかんないけど、正直に答えたらやばい気がする……)


 ゆるりと微笑んで時間を稼ぐ。


 だが、ずっと黙っていることはできないだろう。


 沈黙が胃にずしりとのしかかってくる。マイケルの笑みが深まり、ローラを包む空気がだんだんと重くなってくる。


 もう耐えられないと観念したその瞬間に、後ろから声がした。


「おい、ローレイン。マイケルと話しているだなんて珍しいな」


「フリードリヒ様……」


 ややこしいのが増えたぞ? 


 青色の髪の青年が颯爽と登場するのはとても格好いいようにも思えるが、早く話を切り上げたいローラは内心頭を抱えた。


「やあ、フリードリヒくん。今まであまり話してこなかったから、今日は少しね」


「おう、なんの話をしていたんだ」


(おおおおおい? これはどうやって脱出したらいいんだ???)


 目を白黒させるローラに気づくわけもなく、フリードリヒはどさりと隣の空いた席に座ってしまう。



 これ以上攻略対象が増えて、しかも囲まれたらたまらない。しかもマイケルに至っては、さきほどからやけにローラのことを知りたがっているのだ。


 通信魔法について聞かれるだなんて、もしかしてたまに盗み聞きして楽しんでいるのがバレた!?


(いやいや、あれは出来心なんです。ちょっとヒロインとの会話を聞いておきたいなーって。うおおおおばれたらやばいい)


 助けを探してふよふよと視線を漂わせていると、何故か金髪王子のライオネルと目が合ってしまう。ライオネルはローラ、マイケル、フリードリヒという謎の組み合わせに思わずはてと首を傾げ、あろうことかこちらに近づいてくる。


(おおおおお悪化するねえ??? もう無理ムリムリムリ)


「珍しい取り合わせだね?」


「まあ、ライオネル殿下まで」


 ローラは辺境伯令嬢の威信をかけて動揺を飲み込み、豊かな赤毛をふわりと揺らして、なんでもない表情でライオネルを歓迎する。すっと優美に立ち上がって制服のスカートを少し摘み上げ、軽く会釈をした。


「ローレイン嬢、学園ではそんなにかしこまらないでおくれ」


「ふふふ、殿下。そんなわけには」


 にこやかに会話を続けるが、ローラは何故か立ったままだ。しかもじわじわとライオネルに近づき、そのままなんとなくライオネルのところを通り過ぎようとしている。


「ちょっと失礼?」


「「「あ?」」」


 攻略対象3人組がそれに気づいたときにはもう遅く、ローラはするりと教室の扉に手を掛けていた。


 パタン


「ああ、ひどい目にあった……」


 ローラは扉を手早く閉めると、誰かが追いかけてこないうちに、休憩時間をつぶせる場所を探してすたすたと廊下を歩き始めた。


 オタクには刺激が強い強すぎる。こっそり見守りたいのだから、話しかけてこないでほしい。あんなキラキラに囲まれたら息が詰まる。


 パタン


(い、今、また『パタン』って聞こえた???)


 振り向いたのがバレないように、目の端でさっと今出てきた扉を見てみると、あろうことか攻略対象3人組が連れ立ってローラを追いかけてくる。


「おーい、どうした。大丈夫か?」


 フリードリヒは突然席を立ったローラにちょっといらだったのだろうか。それに対してライオネルは心配そうな様子で、そしてマイケルはにっこりと優しげな笑み――この状況でその笑顔は闇が深すぎる……――を浮かべて足早に近づいてきた。


 ローラは淑女に許される範囲ではトップスピードで廊下の角を曲がる。その先に人がいないのを見計らうと、両開きの大きな窓をバンっと開き、少しも迷うことなく窓枠に足を掛けた。


(こういう時は、ド田舎で遊びまわっていてよかったと思うの)


 そう、アルマ辺境伯領のド田舎特有の雰囲気のおかげで、領主の娘が騎士や使用人の子に交じって遊ぶことに抵抗がなかった。


 だから同世代の少年少女と一緒に野山を駆け巡り、ちょっとした木や壁なら平気で登り降りしていた。


 ローラ自身も前世に比べて体力も瞬発力もある今の身体――令嬢らしく細身な割に、がっつりと辺境伯家の血を引く屈強なボディ――が気に入っていて、せっかくならばと積極的に外に出るようにしていた。


 2度目の人生、せっかくならエンジョイしたい。


 前世では全くといって良いほど運動神経がなかったので、人一倍俊敏な自分に嬉しくなってしまった、というのが正直なところだ。


「今じゃこんなこともできるんだ、よっと!」


 赤毛の令嬢はひょいと窓から飛び降りる。


 同時に緑の魔法がローラを包み、風が吹き上げて落下速度がぐっと遅くなる。


 紅葉がふんわりと舞い落ちるように、ローラは地面に軟着地した。それからパタパタと得意げな足音を立てて、その場から駆け去った。


 ローラが飛び降りた直後に廊下にたどりついた3人組は、もちろん開いた窓など気に留めない。何故ならここは4階だからだ。


 キラキラと輝く3人は、すぐ先にいたはずのローラの姿が見えなくなってしまったことに困惑するだけだった。



 ***



 さあさあ、ヒロインはお馬鹿そうだから大丈夫だとして。


「男性陣に注目されないようにするにはどうしたらいいかなあ」


 その日の授業を乗り切り、なんとか攻略対象のことも避け続けたローラは疲弊していた。何とかいつもの窓際席にたどりつくと、ぼすんと椅子に倒れ込んだ。


 珈琲カップをふるふると揺らし、水面が揺れるのをぼんやりと見ている。


「えええ、モテて困るってこと?」


「そんなことは言っていません」


 ぴしゃりと否定すると、「おう」という顔をレイモンド。


「それ、どういう感情の顔?」


「そうだ、婚約者がいるから、とかは?」


「いないもん」


「そそそそれは、俺とこ……。いやいやいやいや」


「だからそれどういう感情の顔?」


 当たり前のように向かい側に座るレイモンドは、今度はぎゅっと顔をしかめて、ぐぬぬと呻いている。謎の百面相を見ていると、悩み事が馬鹿ばかしくなってくるから不思議だ。


(さあて、明日はどんなシーンが見られるかな? そろそろあのシーンかなあ)


 ――転生令嬢は明日も元気に愉悦する。

辺境伯領の人たちは皆「これくらい普通にできるけど?」って言いだすゴリゴリの人が多いです。だから気づかないんですね、王都でこれができる人が特定できるレベルで少ないことに。



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