8-6話 とりあえず、口を噤むことにした
街を歩く黒いスーツとドレスの男女のツーペアがいた。前の二人は背が高く、後ろの二人は背が低い。
一見すると、ダブルデート中のカップルのように思えるが、男二人のショルダーバックはデートに似つかわしくないアイテムである。また、そのバックがパンパンではち切れそうなのも違和感を感じさせる。
彼らはデートをしているわけではない。
デートの定義には多少の幅はあるだろうが、この四人の内、少なくとも一人は、これっぽっちもデートと思っていなかった。
その一人とは鉄太である。
彼の隣を藁部が歩き、前には開斗と五寸釘が歩いている。男女のツーペアとは彼らのことである。
鉄太の認識では、自分たちはこれから家に帰るところであり、たまたま彼女らと帰る方向が同じだっただけである。
オホホ座に呼ばれた漫才師がステージに立つのは、1日に1回だけだ。出番が終わればすみやかに楽屋を退去しなければならない。
また、オホホ座出演の当日は、他の笑パブや劇場のステージはおろか、テレビやラジオなどのメディアに出ないことも契約の内である。
鉄太らが裏口を出た所、彼女らが待ち伏せていた。
正直すぐ帰って寝てしまいたい気分であった鉄太は、この後、事務所で打ち合わせがあるからと、嘘を言って彼女たちと別れようとした。
しかし、開斗に「そんな予定ないやろ」と、裏切りの言葉を吐かれ、鉄太の目論見はあっという間に打ち砕だかれたのだ。
「なんで落ち込んでんのや。今日のはオモロかったやん」
隣りを歩く藁部から慰めの言葉を掛けられる。
「……オホホ座クビになるかもしれへんのや」
歩きながら鉄太は、落ち込んでいる理由を藁部に語る。
漫才の出だしがアドリブになってしまったため、スタッフから厳重注意を受けてしまったのだ。
ちなみにバックがパンパンなのは、ケータリングのお菓子やお弁当を可能な限り詰め込んだからである。
さながら甲子園で敗れた球児が砂を持ち帰るように。
「……もしかしてウチらのせいか?」
「当たり前や。さすがに二度目やったから、まだショックが小さかったけどな。オホホ座はワテらにしたら大事な仕事やねん。クビになったらどないしてくれんのや」
「別にNGワード言うたワケやないし、多少、アドリブしたくらいでクビにならんやろ」
「何でそんなこと言い切れんねん」
「ウチらもオホホ座に出演してんねんで。シシシシシ」
そう言うと藁部は、歯の隙間から息を漏らすような笑い方をした。
鉄太はこの笑い方は好きではない。聞くと神経を逆なでられるような気分になる。
ただ、そのことで気分が悪くなるより、〈丑三つ時シスターズ〉が、オホホ座に出演していることに驚いた。コンビ名から分かるように、彼女らのネタは呪いをベースにしているので、笑いとしてはマニアックな部類だ。
お上品を旨とするオホホ座にふさわしいとは思えなかった。それとも、ドレスを着て別のコンビ名と芸風で活動しているのだろうか?
鉄太が黙っていると、何かを言いたげにこちらを見ている。
「どうしたんや?」
口に出してからしまったと思う鉄太。反射的に言ってしまったが、どうせ聞いてもロクな話じゃないハズだ。
鉄太の後悔をよそに、藁部が意を決したようにこう言った。
「あんなぁ、今度行く時、連絡するわ。だから……電話番号教えてくれる?」
「いや、電話ないから」
やはりロクは話ではなかった。
金銭的な事情から、鉄太らの住む部屋には電話はないしアパートにも共同電話はない。
電話が無くて初めてよかったと思った。
連絡を取ろうと思えば事務所から支給されているポケベルを使う方法もあるのだが、これ以上聞かれないように鉄太は強引に話を切り替える。
「そう言えば、あそこ会員制やろ? なんでオマエらがおんねん」
「バイトやバイト。あんな高級クラブで前の席が空席やったらみっともないやろ? 急にキャンセルとかあった時、呼ばれんねん。シシシシシ」
「え!? 何それ? そんな仕事があるならワテもやりたいわ!」
漫才を見ながらご馳走を食べてお金を貰う。
世の中にそんな、美味しい仕事があるとかと鉄太は驚愕する。しかし、はにかんだようにささやいた藁部の言葉にさらなる驚愕を味わう事となる。
「それ……もしかして、ウチとデートしたい言うてんのか?」
「言うてへん!」
鉄太は、自分が藁部から完全にロックオンされていると認識した。
別に優しくした覚えはないのに、好意を寄せられていることに恐怖する。
チョロイというより当たり屋というレベルだ。
これは見合いでもなんでもして、さっさと彼女を作らないと取り返しのつかないことになりかねないと強く思った。
一行は地下鉄への入り口まで来た。
しかし、前を行く五寸釘は立ち止まることなく開斗と共に階段を下りていく。
「もしかして付いてくんの?」
鉄太は恐る恐る藁部に尋ねると「当たり前やん」と返された。決して当たり前ではないはずだが、有無を言わせぬ圧があった。
しかし、そう簡単に屈するワケにはいかない。
鉄太は追い払う口実を見つけるため、脳ミソをフル回転させた。
「せや。お前さっきバイト言うてたやん。勝手に抜けてきたらアカンやろ。早よ帰らんと」
「オホホ座のテーブルの予約は時間制や。次のお客はキャンセルしとらんから今日のウチらの仕事はお終いなんや」
(ホンマか?)
妙に説明臭いセリフにウソ臭さを感じるが、それを指摘するのは危険な気がした。
もし、本当にウソであったならば、ウソをついてまで一緒に帰るという強固な想いを認識したという事実を彼女に与えることなるからだ。
そんな鉄太の苦悩など知らぬように藁部はご機嫌な様子で言葉を続ける。
「どうせ、あれからロクなモン食ってないんやろ? 今度はウチがお好み焼き焼いたるわ」
「今日は、オホホ座のケータリングの弁当あるから大丈夫や」
パンパンのショルダーバックを藁部に見せる鉄太。
「……それにドレス着てるやん。そんなんでお好み焼き焼いたら汚れてまうで」
「もしかして、心配してくれてんの? エプロン持ってきてるから平気やで」
白いトートバッグを鉄太見せる藁部。
中にはエプロンが入っているのだろうが、バックの口の端から棒状の物体が飛び出している。フライパンも持参するようだ。
もしかしたら、五寸釘がフライパンを置いていったように、どんどん物を置いていくつもりなのかもしれない。鉄太は恐怖を覚えた。
「そんな問題ちゃうやろ。ドレスで料理とか大丈夫か言うてんねん」
「え? まさか、遠回しに裸エプロンで作れって言うてんの?」
なんとかお引き取り願いたいと思うものの、今は何を言っても曲解される気しかしないので、とりあえず鉄太は口を噤むことを選択した。
不幸中の幸いなのは、彼女がオーマガTVの件を知らなさそうだということだった。
次回、8-7話 「遮られ、断ることを封じられ」
つづきは9月11日、土曜日の昼12時にアップします。