3-3話 地獄のようなカリキュラム
さて、厳しい修行とはいかなるものであろうか?
まず、笑林寺の学生は一級生と二級生で構成される。
入学すると二級生となり、男女問わず丸刈りにされ、ツッコミコースかボケコースかを選ばされる。
ツッコミコースの初期カリキュラムは、技を習得する素地とするため、ひたすら体力づくりである。
体育会系の部活みたいに、反復横跳びやダッシュなどを一時間ぶっ通しで行う。次の一時間は、〈喃照耶念〉と叫びながら裏拳ツッコミの素振りである。
これをワンセットとして終日行う。
二か月も過ぎる頃には、300名いた生徒も半数を割り込むまでになる。そうなってくると、カリキュラムは次のステップ、笑気の強化が追加される。
笑気とは、読んでのごとく、気の一種である。
ツッコミにおける笑気の強化方法は次の通りである。
水を張った洗面器を足元に置き、そこに向かって〈喃照耶念〉と叫びながら裏拳ツッコミを行う。
この鍛錬を気の遠くなるほど行うことで、やがて洗面器の水面に波紋を起こすことが可能となり、これはを〈笑打〉という。
ただ、これはあくまで基本技である。
そして、ロウソクの火を百歩離れた位置から〈笑打〉で消す〈百歩ツッコミ〉ができればツッコミ師の称号が与えられ、次年度に一級生へと進級することができる。
一級生になれば、同様に進級してきたボケ師の中から相方を見つけ、コンビ結成を行うことが許される。
進級できなかった者は、次々年度までに〈百歩ツッコミ〉ができなければ強制退学となる。
ツッコミコースの修行内容を知った人は、過酷すぎると思うかもしれない。しかし、それでもボケコースに比べればまだマシな方なのである。
なぜなら、ツッコミは訓練で伸ばすことが可能だが、ボケは素質がなければ何ともならないのだ。
毎年、ボケコースの志願者は、ツッコミコースの4倍、1200人近く集まる。
漫才においての花形は、ボケの方なのだ。
それゆえ、ボケコースは修行というより選別に近い。
その選別とは、入学初日に後ろの人から、頭を思いっきり叩かれることから始まる。
ボケに必要な素質の一つに、怒気を発さないことが挙げられる。こんなことで乱闘を始める者は即退学となる。
そして、彼らには理不尽で不平等な仕打ちが次々遅いかかる。
例えば、駅前に一人、ブリーフ一丁、女子はスクール水着で校歌を歌う。
例えば、警察犬とブリーフ一丁、女子はスクール水着で鬼ごっこ。
例えば、雪山にブリーフ一丁、女子はスクール水着で雪中行軍。
こうして、一年間のカリキュラムに耐えきった者たちには、笑気によって自己を守るための〈笑壁〉が備わる。
これは、攻撃性の高い者、自意識の高い者、苦痛を喜びとする者、感情の乏しい者では獲得するのは難しい能力と言われている。
ボケコースの進級はツッコミコースと違い、一年後、自動的に行われる。しかし、その数は、平均して毎年70名ほどにすぎないのだ。
次に、一級生について述べる。
一級生のカリキュラムは、笑気の鍛錬の他に、笑理学を学ぶための座学や、実技実演指導が新たに加わる。
笑理学とは、笑気によって笑いが生じる原理や、笑いの方程式などの授業である。
笑いの方程式は、三笑方の定理のW2= B2 + T2のように、笑いにおけるボケやツッコミなどの要素を数式で表したものである。
なにやら難しそうに思うかもしれないが、中学生程度の学力があれば理解は可能だ。しかし、漫才師を目指す者は、座学を苦手とする傾向が強いので、二級生の修行の方がマシだったとの声が少なくない。
実技実演指導は、現役の漫才師や一線を退いた漫才師から、生徒らに対する指導が行われるので人気の授業だ。
指導内容は、大別してスタイルとネタに分けられる。
スタイルとは、漫才を骨組みたいなもので、どづき漫才、しゃべくり漫才、楽曲漫才、ダンス漫才などがある。
そしてネタは骨格の中に入れるパーツである。
ネタというのは、漫才において一本の出し物という意味もある。スタイルを含めた総称でもあるが、ここでいうネタとは小ネタの方であり、大体以下のようなものがある。
ツカミ……登場直後に客の注意を引くもの。
マクラ……ネタを始めるにあたっての前振り。
ブリッジ……ショートコントとショートコントの合間にいれるもの。
スイッチ……キーワードなどによる条件反射的行動。次の行動を決める合図として用いられる。シメる前の「もうええわ」、「やってられんわ」などもこれに含まれる。
一発ギャグ……一言で笑いを取るネタ。ツカミやスイッチとして用いることもある。
自己紹介ギャク……一発ギャグの一種。登場時にコンビ名、もしくは自分の名前を、コミカルな動作をしながら叫ぶ。ツカミで使うのが一般的。
このような小ネタが沢山あると、ネタの時間調整に便利である。
その他、前説、前座の重要性、舞台は裏方も含めた全員で作り上げるなどと言った業界での常識も叩き込まれた後、舞台での実技披露などもある。
ただ、留年組を合わせても、ボケ師はツッコミ師の半数ほどしかいないので、ツッコミ師がコンビを組むことは容易ではない。
年間を通してボケ師の奪い合いが行われ、相方が見つからないまま卒業を迎える者も当然出てくる。
一級生たちは、年度末までに、スタイル、式、技を駆使して、ネタ見せ試験で合格がもらえれば、免許皆伝とされ、笑林興業所属の漫才師として即劇場デビューの権利が与えられる。
しかし、その栄誉が得られるのは、毎年数組程度である。かなり少ない数字ではあるが、免許皆伝は特別なのだ。
普通は卒業後、見習いとして笑林興業に所属し、営業などの仕事をこなして地道に経験を積んでいくことになる。
つづきは11月16日月曜日の7時に投稿します。
次回「三人で、六畳一間で同居する」
新キャラが1人登場します。