7-1話 欣鉄の、フーネと勝負したるんで
開斗と鉄太は始球式に備えるため、収録などの仕事がない日は昼前から心咲為橋近くの公園に行って投球練習をするようになった。
鉄太はマスクとミットなどをしてキャッチャーになっている。
もちろん中古屋で買った物だ。
ただし普通のキャッチャーと違って何故か胸部や腹部を守るためのプロテクターをしていない。
金銭的な理由で買えなかったわけではない。鉄太の〈笑壁〉を鍛えるための訓練も兼ねているのだ。
鉄太はキャッチャーの経験などないので、しょっちゅう取り損ねたボールが体に当たり非常に痛い目にあっている。
たがそれはまだマシな方である。
キツイのは1日2、3回ほど、ミットを持った右手を頭の上に置かされ体で捕球させられることだ。
左胸のショルダーパッドで捕球することができれば楽なのだが、一度受け損ねて胸骨に当たり悶絶してからは腹で受けるように心がけている。〈笑壁〉を張っていなかったら冗談抜きで入院していたかもしれない。
そのためキャッチするフォームも相撲取りが四股を踏む時のように股を開いて腰を落とした独特の姿勢となっている。
背筋を伸ばして右手を頭に乗せているその姿は、野球を知っている人間からしたらきっと噴飯ものに違いない。
肉体的にも精神的にもキツイのだが命にはかえられない。
開斗のコントロールは日増しによくなっていった。
彼は笑気を鋭敏に感じられるので、投げた後の鉄太の動きからどこにボールが飛んで行ったのか判断し修正していったのだ。
ちなみに、用具一式はアパートから持ち運びするのが辛いと鉄太が駄々をこねたので、笑パブ〈下楽下楽〉の楽屋の押し入れに置かせてもらっている。
開斗も着替えの衣装と弁当を入れたバックと野球道具を入れたバックの両方を毎日持ち運ぶのは面倒くさいと思ったようだ。
鉄太としては、誰かパクってくれないかと思っているのだが、売ったところで二束三文にもならないボロボロの野球道具など誰も盗るはずもなく、楽屋で野球ゴッコや笑パブのコントで使われるのがせいぜいであった。
それと、まだ欣鉄から正式なオファーが来たわけではないことを付け加えておく。
さて、公園での練習を始めてから4、5日が経とうとした頃、いつものように拷問、もとい、キャッチボールをしていると、黄色い蛍光色のウインドブレーカーを着た若い女の子が近寄って来て開斗に声をかけてきた。
「すみませーん。ちょっといいですかー?」
「何や?」
鉄太は開斗の所に向かって駆け寄った。
その女の子は、ショートボブで化粧っ気のない素朴な容姿であったが、ある種の職業の者が持つ独特の雰囲気があった。
ショートボブの娘は開斗と鉄太を前にし、舌足らずの声で自己紹介と目的を告げた。
「私、えーびーすーテレビのADをしている増子と申しますが、もしよろしければ取材させてもらえませんか?」
彼女は鉄太が思った通りテレビクルーであった。
AD増子からの取材のお願いに開斗は「ええで」と即答した。
開斗の承諾を得たAD増子は、来た方向に向かって「オッケーですー」と大声を出した。すると、TVカメラやガンマイクを持ったロケ撮影クルーがゾロゾロと公園に入って来た。
分かっていたことであったがなんだか美人局に遭ったような気分になる。
「カイちゃん、事務所通さんでええの?」
「取り敢えず話きいてから判断すればええやろ」
それもそうだと思い鉄太は撮影クルーの方を見ると、何やら見覚えのある小太りの男が混じっていた。目が合うと彼は大声で呼びかけて来た。
「何や。誰や思うたら、カイとテツやんけ!」
「肉林兄さんやないですか! お久しぶりです!」
鉄太が兄さんと呼んだのは、漫才コンビ〈酒池肉林〉の肉林欲造。
鉄太と開斗に浅からぬ因縁を持つ人物である。
「あん時は迷惑をかけてしまってホンマ申し訳ないです!」
肉林を前にして鉄太は、まるで前屈のように深く頭を下げた。
あっけに取られる撮影クルー。
鉄太の言う〝あん時〟とは、第七回大漫才ロワイヤルのことである。
そして〈酒池肉林〉は、第七回大漫才ロワイヤルの大本命と目されていたコンビだ。
開斗が暴走して鉄太の腕を切り飛ばさなければおそらく優勝していたハズであり、自分たちによって人生を大きく狂わされたと言っても過言ではない。
いまだ頭を上げぬ鉄太。肉林が口を開いた。
「そっちのヤツは謝らんのかい?」
鉄太がギョっとして開斗を見ると、彼はふんぞり返っていた。
「何で謝らなアカンねん!」
「カイちゃん! 謝って!〈大漫〉で迷惑かけたやろ! 肉林兄さんらはワテらのせいで優勝できへんかったんや」
「もし、テッたんの腕が切れとらんかったら、優勝してたのはワイらや。どのみち兄さんらの優勝はない」
一触即発の空気に戸惑う鉄太と撮影クルー。しかし肉林はすぐに退いた。
「フン。別にええわ。悪いと思ってないヤツから謝られても気分悪いだけやしな」
「すんまへん! 兄さんホンマすんまへん!」
平謝りに謝る鉄太。
「テツ。オマエも苦労しとるのぉ。まぁ、スマンと思うんやったら取材に協力せい」
「分かりました兄さん。ところでコレ、何の取材ですの?」
「オーマガTVや。知っとるか?」
「すんまへん! ワテらテレビ持ってないんです!」
「しょーのないやっちゃのぉ……」
肉林の説明によると、オーマガTVとは、平日夕方に、えーびーすーテレビで放送されている情報番組だとのこと。
番組が始まったのが2年ほど前なので鉄太が知らないのも当然と言えた。
心咲為橋商店街の取材をしていたら、公園で変な2人組がいるとタレコミがあり、やってきたのだという。
「しっかし、公園でボールぶつけられて良がっとる〝どえらい変態〟がおるって来てみれば、お前だったとはな。新手のSMゴッコか?」
自分がどんな風に見られていたか知ってショックを受ける鉄太。
開斗は肉林に答える。
「始球式の特訓ですわ。欣鉄のフーネと勝負したるんで」
「それ面白そうな話でんな。ちょっと詳しく聞かせてもらえまっか?」
突如会話に入って来たのは、40代半ばと思しき赤ブチ眼鏡の男性であった。
「あ、申し遅れました。私、えーびーすーテレビの肥後と申します」
腰の低そうなその男から差し出しされた名刺には、ディレクター肥後竜玄と記されていた。
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次回、7-2話 「棚ぼたで、優勝できたようなもん」
つづきは8月8日、土曜日の昼12時にアップします。