6-4話 鉄太らに、向かって深くお辞儀した
夜0時前、笑パブでの務めを終えた鉄太と開斗が帰宅すると、部屋の中から話声が聞こえ、月田以外の誰かがいることが感じられた。
鉄太は恐る恐るドアを開く。
部屋の中にいたのは月田とヤスだった。
鉄太は、〈丑三つ時シスターズ〉がいなかったことに胸をなでおろす。
「おじゃましてやす」
「かまへん、かまへん」
「それじゃ、あっしはこのへんで」
居間に開斗と鉄太が入ってくると、ヤスは帰ろうと腰を浮かせる。
開斗は彼を呼び止めた。
「もう終電ないやろ。泊ってけや」
「ご厚意ありがたいのでやすが、小遣いようけ頂いてるんで、タクシー使って帰りやす」
「……さよか。ほな気ぃつけてな」
ヤスは、ちゃぶ台を片付けようとしたが、その上にはコップやら皿やらがいくつもあり、時間がかかりそうだったので、鉄太はコッチでやっておくからと断った。
ヤスは「おじゃましやした」と一礼をして出て行き、月田は見送りについていった。
鉄太は、ヤスが泊らなかったことにホッとした。別にヤスに含むところがあるわけではなく、ただ単純にこの部屋が狭いからだ。
現状、6畳間に鉄太と開斗が寝て、キッチン前に月田が寝ているのだが、すでにキツキツである。
開斗をちゃぶ台の前に座らせたあと、鉄太はグローブとボールの入った手提げ袋を枕替わりにして、畳の上で横になった。
ちゃぶ台のせいで寝転ぶには窮屈だが、昼間の特訓で体がボロボロなのだ。
「アイツら上手くやっとるみたいやな」
「せやな」
家に入れて、見送りにまで行ったのだ。犬猿の仲と思われていた彼らが、半日程度でそこまで進展したのは驚きだった。
「ただいま戻りました……って、えぇ!? 片してくれるんと違うんっすか?」
部屋に戻ってくるなり、何も肩付けられていない部屋の状況をみて、月田は鉄太に抗議した。
鉄太は天井を見たまま答える。
「何がや?」
「いやいや、さっき片付けようとしたら、コッチでやっとくて言うてくれましたやん」
「あれはヤス君に言うたんやで。君はコッチの子や」
「……じゃあ、片しますんで、どいてくださいよ」
片付けようにも居間の前で横たわる鉄太が邪魔で、中に入れないのだ。
「月田君起こして~~」
鉄太は自由の効く右腕だけを天に向かって伸ばす。
「今日は一体、何ん何すか?」
月田は呆れつつ鉄太を引き起こし、枕替わりにしていた紙の手提げ袋をどけようと手に取った。そして、その中身を覗き込んだ月田は、二人に尋ねた。
「野球コントでもするんっすか?」
「はははははは」
「違うんや。月田君、ちょっと聞いてくれる?」
開斗が笑う中、鉄太は涙ながらに訴える。開斗が始球式のために、自分を投球練習の的にしたことを。
「おかげで、体中アザだらけや」
「いや的って、人聞きの悪いコト言うなや」
「ツッコミを受ける訓練やとか言うて、グローブ使わずに体で受けろ言うたやん。このボール見て。石みたいにカッチカチや。こんなん頭に当たったら死んでまうわ」
鉄太は、手提げ袋から硬球のボールを取り出して、ちゃぶ台でガンガン叩いてから月田に手渡した。
硬球ボールを手にした月田はしげしげと眺めた後に、こう言った。
「これ、ええんとちゃいます?」
「はい?」
「野球ボールでツッコミとか新しいんとちゃいます?」
「なるほど、バットでツッコミとかあるけど、ボールはまだ見たことないな!」
月田の言葉に、開斗は手を叩いて盛り上がるが、鉄太としては冗談ではすまされない。
「いやいやいやいや! そんなテンポの悪いツッコミ笑われへんわ!」
もしボールを投げるのであれば、それなりに間隔を取らねばならない。ツッコミのタイミングは、コンマ数秒の精度が求められるのだ。投球をツッコミに使うのは現実的とは思えなかった。
「何マジになっとんねん。そんなん洒落やろ洒落」
「え? そっすか? 自分は結構アリやと思うっすけど」
正気とも思えない発言をする月田だが、高校の部活でボクシングをやっていた彼は、コークスクリューというパンチをツッコミの技としているのだ。
たぶん大真面目に言っているのだろう。
「だったら、月田君のコンビでやってみたらどうや? もちろん月田君が受ける側やで」
鉄太が提案すると、月田は「自分はツッコミなんで」と逃げの発言をして、ちゃぶ台の上を片付け始めた。
「そう言えば月田。今日一日どやった?」
「そっすね。色々とアイツの話聞きましたわ。笑戸出身ちゅうこと。勉強ついてかれんと中学中退したこと……親と大喧嘩して家出して、大咲花まで流れてきたこと……食い逃げ繰り返してたらとうとう捕まって、ボッコボコにされて死にそうになってたトコを社長に助けてもらったこと……ほんで、社長に拾ってもらって仕事させてもらってること……アイツ、漫才のことは分からんけど、社長に恩返ししたい言うてました」
月田はキッチンで洗い物をしながら、ヤスについてのことを話してくれた。
「まだ、コンビ名もなんも決まってへんのですけど、できるだけ毎日会おうって話になりました」
洗い物を済ませた月田は、鉄太らに向かって深くお辞儀した。
「霧崎先輩、立岩先輩。ホンマ有難うございます。自分が今まで失敗してきたんは、相方のこと知ろうとせんかったことやと気づきました」
「月田。相方は自分をオモロクする道具やないんや。そのことをよく覚えとけ」
何だか良いことを言って締めようとする開斗。相方に硬球を容赦なくぶつけて来た男が言ったとは思えないセリフだ。
「月田君、カイちゃんのことで今日初めて知ったことがあんねんけどな。カイちゃん昔な、漫才師と野球選手に……痛った! 痛った! ヤメテ、カイちゃん!」
鉄太は、昼間に聞いた開斗の昔の夢を月田に教えようとしたら、開斗から百歩ツッコミの乱れ打ちを浴びせられた。
次回、第七章「肉林」
7-1話 「欣鉄の、フーネと勝負したるんで」
つづきは8月7日の土曜日、昼の12時にアップします。