6-1話 給料の、前借りについて切り出した
たこ焼きパーティーの翌日の午前9時過ぎ。
鉄太と開斗と月田は、またしても金島屋の事務所に来た。
ちなみの昨晩は、たこ焼きが焼きあがるほどに人が集まってきて、気が付くと4号室の羊山貢と5号室の醐味粕男など、全ての住人が集まり、昨日みたいに宴会が始まっていた。
終電の無くなる前に、二人にはなんとか帰ってもらえたが、かなりのドタバタであったため、たこ焼き道具などはそのまま置き去りにされ、また来る口実を彼女らに与えることとなっている。
また、住人たちはすっかり餌付けされてしまい、彼女たちが帰るときには、ホストの日茂の指導の下、住人一同が玄関から門まで両脇に並んで花道を作り「姫様! またのお越しを」と声をそろえて送り出していた。
さて、昨日の今日にもかかわらず、鉄太らが事務所に来た理由はいくつかある。
まず、月田とヤスの親睦を深めるため、今日一日ヤスに休暇を与えて欲しいとお願いをすることが1つ。
休日を待ってからでもいいかもしれないがライブは来月である。コンビ名さえ決まっていない彼らにとって、3日というのは馬鹿にならない日数である。
次に、島津から紹介されたイベンターの連絡先を、金島に伝えることが一つ。
そして、給与の前借りの申し出が1つの、計3つである。
現在、事務所の応接室には鉄太と開斗、そして金島の3人だけがおり、奥のソファーに金島がふんぞり返って座っており、手前のソファーには、鉄太と開斗が腰を掛けている。
金島は左腕をソファーの背もたれに伸ばし、天井を見上げるような姿勢で煙草を吸っている。
月田とヤスが事務所を出て行ってから、無言の時間が5分ほどすぎている。
「何や、もしかして余計なコトしたと怒ってんのかい」
開斗の言う「余計なコト」とは、月田とヤスの親睦を深めるため、ヤスの臨時休暇を頼んだ件である。
金島は彼らが遊びに行くことを了承し、ヤスに2万円の小遣いを渡した。
月田に小遣いとして1万2千円を渡したことを開斗から聞いて張り合ったと思われる。
事務所運営が決してうまくいっているとは言い難い中、支出は出来る限り抑えたいだろうから、機嫌が悪くなることはあっても、良くなるとは思えなかった。
にもかかわらず、金島を煽るような発言をする開斗に鉄太は肝を冷やす。
基本、金島との交渉は開斗が受け持つことになっているので、鉄太は口出ししないのだが、怒鳴り合いの場に居合わせたくはない。
それに、これから給料を前借りのお願いをしようとしてるのだ。変にへそを曲げられては、貸してもらえなくなるかもしれない。
すでに移動の電車賃すら事欠く状況なので、もし、断られたら次の給料日まで非常に苦しいことになる。
ただ、心咲為橋までの定期券はあるし、心咲為橋までたどりつけば、商店街から賞味期限切れなどの施しをうけることが出来るので、文無しでもなんとかなると言えばなんとかなる。
開斗に問われた金島は、たっぷり時間を掛けてタバコを吸った後でこう言った。
「ヤスを舞台に立たせろと言うたのはワシじゃけえ、必要経費じゃな」
「ところでオッサン。なんでアイツに漫才させるんや。向いてるようには見えへんけどな」
「向いてるか向いてないかは、結局やってみんと分からんじゃろ。向いてないと思っても出来ることもあれば、向いてると思っても出来んこともある」
昔、金島が漫才師を目指していたことを、ヤスから聞いたことがある。今の発言は挫折した自分に対する嘲りなのかもしれない。
「で、向いてへんかった時はどうするんや? まぁ、向いてたとしても売れるかどうかは別の話やで」
笑林寺で厳しい修行を耐えきった者でさえ、売れる保証のないのが漫才界である。仮に向いていたとしても、それだけで何とかなるほど世界は優しく出来ていない。
「そん時は、また別のことをさせればええじゃろ。たまたま今回は漫才だったたけじゃ」
「分かった。アイツにおかしな期待かけてないなら、そんでええわ」
開斗なりにヤスを心配しての発言だったようだ。その真意を汲んだからか、金島は、心の内を明かすかのように付け加える。
「ワシらみたいな裏街道に来る連中は、子供の頃から人に褒められた例がないんじゃ。一度でええから、拍手を浴びさせてやれたらとは思っとる」
そう言い終えると彼は、新たなタバコを取り出して自分で火を付ける。そして、立ち上がるとタバコを吸いつつ窓際まで行き、ブラインドの隙間から外を眺めだした。
金島は、話はこれで終わりだと思っているようだが、こちらにはまだ話さねばならない事が2つある。
「オッサン。ライブの件やけどな……」
開斗は、来月開催のライブについて、島津から教えてもらったイベンターのこと、そしてラジオでCMを流すならば急ぐ必要があることを伝える。
しかし、金島の反応は、「おう、分かった」と一言発したのみで、そっけないものであった。
素人ゆえに、いまいちピンと来てないのかもしれない。開斗は念を押すための説明をする。
CMは兎も角としても、イベンターは必須である。
ここの事務所は5人しかいないのに、その内4人が演者なのだ。今回ライブを行うのは、10人、20人程度の小さなライブハウスではない。3000人の大劇場であり、最低でも音響や照明機器などを扱う専門性の高いスタッフが求められるのだ。
ただ、開斗からの説明を聞いても、金島の返事は同じであった。
暖簾に腕押しのような手ごたえの無さであるが、開斗はこれ以上言ってもしょうがないと思ったのだろう。最後の案件である給料の前借りについて切り出した。
次回、6-2話 「野球部でエースナンバー背負ってた」
つづきは7月25日、日曜日の昼12時にアップします。