5-6話 ガラの悪い巻き舌で
「先輩、姉さん、ありがとうございます」
千円札の束を押し頂いた月田は、鉄太、開斗、五寸釘、藁部の4人に礼を述べる。五人が囲むちゃぶ台の中心には、たこ焼きがが盛られた皿があり、まぶされた鰹節が揺らめいている。
開斗は、月田とヤスが親睦を深めるように1万円を提供しようとしたが、財布には6千円程度しか入っていなかった。
ゆえに鉄太の財布からも出さなければならなくなったのだが、彼とて状況は似たようなものだった。
鉄太は、計算に疎くても破滅型の人間ではなく、支出に関しては常識があった。
給料日までの日数を思えば、今、月田に1万円を渡すと、電車賃すらことかくことになり現場に行けなくなってしまう。
そのことを開斗に伝えたが、開斗は、明日事務所に行って給料の前借をすればいいと、前言を翻さなかった。
また話を聞いた五寸釘がカンパを申し出て、すったもんだした挙句、開斗と鉄太が4000円ずつ、五寸釘と藁部が2000円ずつの計12000円が月田に与えられることになった。
「このご恩は必ずお返しします」
「別に返さんでええ。オマエも後輩が出来たらちゃんと面倒見たれ」
大げさに感謝を伝える月田に、開斗は自分たちも先輩からよく世話してもらったことを教える。
月田が神妙な面持ちで了解の意を伝えると、「でも、先輩はちゃんと敬えや」と、藁部がチャチャを入れてきた。
「くそっ……」
月田が言い返えそうと口を開けた所で、五寸釘が大きく手を叩いた。
「ハイハイ、たこ焼き冷める前にはよ食べて食べて」
小さな卓を囲んで、たこ焼きパーティーが始まった。
トントン。
宴が始まって、すぐにドアがノックされる音が聞こえて来た。月田がドアを開けにいくと、そこには10号室の住人の鳥羽駆太郎がいた。
「メッチャいい匂いするやんけ。何食って……何や姉ちゃんら、今日も来たんか!」
部屋の中を覗き込んだ鳥羽は、五寸釘と藁部を見つけると嬉しそうに叫んだ。
トイレに行こうと部屋の前を通りかかったら匂いにつられてやって来たとのことだ。
「よかったら食べて下さい」
五寸釘がたこ焼き2つを小皿に乗せて鳥羽に渡す。
部屋に持って帰ると思いきや、鳥羽はその場で食べだした。
「メッチャ旨いな! 姉ちゃん店出せるで!」
「それほどでもないですわ。お世辞言わんとって下さい」
五寸釘は謙遜するが、火力の低い家庭用コンロにも関わらず、かなりカリッと焼けている。味付けに関しても出汁がしっかり効いておりかなりの腕前であることは間違いない。
「姉ちゃんええ嫁さんになるで。コイツらいっつもロクなもん食ってないんで、これからも頼むわ」
五寸釘に勝手なお願いを言う鳥羽に「オッサンには言われたないわ!」と開斗がツッコんだ。
確かに、ロクなものを食べてないのはお互い様だ。自分たちほどじゃないにしろ、鳥羽だって借金持ちなのだ。
部屋と廊下で大声のやり取りをしていると、新たな来訪者が現れる。
「どうかしたのですか?」
ドアの前には、五寸釘と鳥羽がいるため、鉄太らの位置から姿は見えないが、標準語のようなしゃべり方から、その男が9号室の住人、久頭阿久太であることが分かった。
彼は役者志望の中年で、コテコテの関西人であるが、俳優オーディションのために日々標準語でしゃべっているのだ。
「ここの彼女さんらがな、たこ焼き作ってくれてな。メッチャ旨いねん」
「でしたら、私にも分けてくださいよ」
鳥羽から話を聞いた久頭は、関西人特有の図々しさで、たこ焼きをねだる。
「アカンアカン。オマエ昨日の宴会、顔出さんかったやろ。そんなヤツには食わせられんわ」
「私、3カ月も何も食べていないんですよ」
「ヘッタクソな演技やな、大根役者。そんなワケないやろ」
ドアの前で言い争いが始まったが、五寸釘が仲裁に入る。
「今焼いてるとこなんで、出来るまでちょっと待ってて下さい」
そう言うと、彼女はコンロ前に足を運ぶ。鉄太らのコンロはバーナーが二つあるタイプであり、その二つのバーナーを使って、フライパンでたこ焼きを作っている。
ただし、フライパンといっても、たこ焼き専用のフライパンであり、丸いくぼみがいくつもあるやつだ。しかも銅で作られている。熱伝導率の高さから、家の低い火力でもカリッと焼くことができると、彼女は自慢げに説明していた。
「ゴッスンは八方美人やな」
ため息を吐いた藁部は、立ち上がるとキッチンへ向かおうとしたその時、怒鳴り声と共に何かを壁に打ち付ける音が廊下から響いて来た。
「一体何の騒ぎや! ぶち殺すぞゴルルァ!」
そのガラの悪い巻き舌で鉄太は、すぐに誰が発したのか分かった。
案の定、開いていたドアから現れたのは、ネギ坊主のような白髪頭の小柄な老人であった。
上半身裸でステテコ、左手には鞭を握りしめているその男は、6号室に住んでいる武智呉郎である。
ちなみに彼が手にしている鞭とはヒモのタイプではなく、先端に平たい皮の板がついている競馬で使うタイプだ。
聞いた話では元騎手らしい。
口癖は『ぶち殺すぞ』。アパート内でもダントツにヤバい男で、鉄太らは陰で〝殺ジイ〟と呼んでいる。
いつも夜が遅いので鉢合わせすることはあまりないのだが、運悪く今日は在宅していたようだ。
室内を一瞥した武智は開斗に向かって吼えた。
「霧の字、女連れ込んでドンチャン騒ぎたぁエエご身分になったもんやのぉ」
ただ、ヤバイと言っても幸いなことに鉄太は眼中にないようで、彼が絡むのはいつも開斗である。
「ジイさんすまんな。ちょっと静かにするから勘弁してくれ」
「ダボが! ナメとんのかワレェ!」
いつもなら、開斗が謝っておしまいなのだが、今日はなんだか様子が違う。まさか若い女を前にしてイキりたくなったのだろうか?
鉄太は、面倒くさいことになったと思ったが、彼女らを追い出すにはいい口実だと気づいた。
しかし、鉄太が言葉を発する前に五寸釘が動いた。
「おじ様ごめんなさい。お詫びの印といってはなんですけど、これ、召し上がってください」
凶器を持った相手に、物おじせず笑顔でたこ焼きを勧める姿に、鉄太は軽く感動した。
鳥羽の時もそうだったが、とんでもないコミュニケーション能力だ。
だが、今回の相手はキビシイかもしれない。
武智は懐柔しようとしてくる五寸釘に罵声を浴びせる。
「アホか。こんなんで騙されんぞボケェ」
「はい、ア~~ン」
「あ~~ん」
「……何やコレ。メッチャ旨いやんけ」
たこ焼きを食べた武智はあっさり陥落してしまった。
次回、第六章「キャッチボール」
6-1話「給料の、前借りについて切り出した」
つづきは7月24日、土曜日の昼12時にアップします。