5-3話 あの娘から、笑気はほとんど出てへんねん
「いや~~。最後のツッコミ、コンマ5秒遅かったか」
「オチも弱いんちゃうか」
ステージから戻った〈メテオ☆ストライク〉の二人は、周囲に聞えよがしに反省会を始めた。
前に会ったときは、ステージ後はそそくさと帰っていったので、何かしらいいことがあったのかもしれない。
とは言え、特に客席から爆笑が届くこともなかったし、客入りは大したことないはずである。
彼らは聞いて欲しそうな雰囲気を醸していたので、鉄太は話しかけてみた。
「どないした? スカウトっぽい人でもおったんか?」
「いやいや立岩兄さん、聞いてください。実は客席に若い女の子がおったんですよ!」
『マジか!』と、楽屋が田中メテオの言葉にどよめくと同時に、「ウソつけ」とか「どーせオカマやろ」とのヤジも飛ぶ。
それもそのはずで、鉄太らが、この笑パブで仕事をするようになってそこそこ経つが、若い女性客など見たことがなかった。
それはこの下楽下楽に限ったことではなく、低ランクの笑パブが立ち並ぶこの通り全体に言えることである。
もしかしたら若い女を立ち入らせないように市の自警団が巡回しているのではないかと思うほどである。
しかし舞台袖に偵察に行った連中が戻って来て、確かに若い女がいるとの報告をすると楽屋は見たこともないくらい活気づいた。
「おっしゃ、一丁かましてくるわ」
金髪のカツラを被り、つけ鼻をした〈靴下クンカクンカ〉が立ち上がると、服の上から赤い縄で亀甲縛りをした男が立ち上がって「自分が先に行く」と言い出した。
次順の芸人〈マゾ西錠〉だ。
彼曰く、「下品なネタで女性客が帰ってしまう」とのことである。
他の芸人もそれに加わりやや揉めた結果、下品すぎるネタはしないとの約束をさせられて〈靴下クンカクンカ〉がステージに向かった。
そもそも〈マゾ西錠〉のネタが〈靴下クンカクンカ〉と比べて上品とは誰も思っていなかった。
ネタを終えた〈靴下クンカクンカ〉がドヤ顔で楽屋に戻ってくると、開口一番こう言った。
「オッパイのデカイ、ベッピンさんやったわ。もしかしてワシのファンちゃうか?」
『〈喃照耶念〉!』
ツッコミ師たちから一斉に百歩ツッコミを受けて〈靴下クンカクンカ〉のカツラと付け鼻が吹き飛んだ。
〈マゾ西錠〉は「どうか自分が出るまで帰りませんように」と祈っている。普通、笑パブのステージは劇場とは違うので、ある程度インターバルを開けるのだ。
一体どんな女の子なんだと周囲が騒めく中、鉄太には心当たりがあった。
直近で出会ったオッパイの大きなカワイイ女の子、即ち、グラビアモデルの朝戸イズルを思い出したのだ。
彼女とは今日初めて出会った仲であるが、同じ日に他の若い女性が、女人禁制にも等しいこの笑パブに訪れる偶然などあるだろうか?
いや、あるわけがない。
そうなると、ラジオ収録直後から後を付けられていたことになる。
若い女性が一人でこんな場所に来るとは危ないような気もするが、自らを小悪魔と称する彼女であれば、大抵の男は軽くあしらえそうではある。
一体、彼女の目的は?
最も可能性が高いのが、開斗に興味を持ったという線だろう。
自分が朝戸に好意を抱いているのは確かだが、だからと言って朝戸が自分に好意を持っているはずなどと己惚れたりはしない。
鉄太は、それなりにモテてはきたが、彼の真価はトークをしないと発揮されないので、一目惚れされた経験はないし、されるとも思っていなかった。
と、そこへ第二次偵察隊の〈マウス小僧〉が戻って来てさらなる戦果を報告する。
「女の子は二人! 繰り返す。女の子は二人や!! しかもメッチャカワイイで」
どうやら二人目の子は遅れてやって来たようで、一人目の子と同じ最前列のテーブルの前に座っているとのことである。
詳細がもたらされるにつれ、ワケもなく腕立て伏せを始める者が現れたり楽屋は騒然となる。
〝なるほど〟と鉄太は思った。
おそらく、朝戸はモデル仲間の女の子を呼んだのだろう。
やはり、こんな場所に一人でいるのは不安だったに違いない。
呼ばれたのがあのマネージャーじゃなかったのはラッキーだ。ステージの後に食事に誘いやすい。
というより、こちらが誘いやすいようにマネージャーを連れてこなかったと考えるべきだろう。
仮に朝戸が開斗狙いであったとしても、トークできる環境に持ち込めば逆転する確率はゼロではない。
例えダメでも女の子はもう一人いるのだ。
そして、その子が朝戸よりカワイイ可能性だってある。
鉄太のテンションは爆騰がりした。
さて、時間が進み、客席が埋まる頃、いよいよ〈満開ボーイズ〉の出番が来た。
彼らは若輩者であるが、〈大漫〉優勝という実績があるので、この三流芸人以下の集う笑パブではピークタイムを任されている。
ステージに向かう途中、鉄太は開斗に小声で話しかける。
「カイちゃん。もしかして、客席の女の子ってイズルちゃんちゃうか?」
「そんなワケないやろ」
あまりにも断定的な口調に、鉄太は軽く驚く。
「もしかして、客席からイズルちゃんの笑気が感じられへんのか?」
開斗は視力を失った代償として、壁を隔てても笑気を感じられる鋭敏な感覚を持つようになっているのだ。
その開斗がイズルの笑気が感じられないと言うのであれば、彼女がいる可能性はほぼなくなる。
しかし、落胆する鉄太に開斗は付け加える。
「ちゃうねん。そもそも、あの娘から笑気は、ほとんど出てへんねん。だから、いても、おらんでも分からんのや」
言われてみれば、修行をしてない素人が、常時笑気を放つのは難しい。
だが、開斗にも分からないのであれば、イズルがいる可能性だってあるはずだ。
鉄太は「彼女と出会った同じ日に、店に若い女が来る偶然はない」と力説すると、開斗も「そうかもしれへんな」と同意した。
そして、彼らはステージ前で閉じられているピンク色のカーテン布の前に立った。
次回、5-4話 「晩御飯、作る言うて張り切って」
つづきは、7月11日、日曜日の昼12時にアップします