5-1話 そしたらチャラにしてやるわ
「ありがとうございました~~。絶対ライブ見に行きま~~す」
16時をやや回ったあたり。
ラジオ収録が終わり局の出入り口で、鉄太らは朝戸から別れ際に声を掛けられた。
「ありがとうワテもイズルちゃんの写真集買うわ」
自分たちに写真集などどいう生活必需品からかけ離れた嗜好品など買う余裕などないのだが、出来れば買いたいと鉄太は思った。
「笑パブ行こか」
「せやな」
現在彼らの主な仕事は、笑パブでの漫才である。
笑パブとは、漫才やコントなどお笑いを見ながら酒が飲める大人の社交場である。
笑林興業やらの運営する劇場などが数多くある心咲為橋周囲には、幾多の笑パブが集まっているのだ。
そして、えーびーすー放送がある笑比寿橋と、心咲為橋はすぐ隣なので、歩いて10分とかからない。
彼らは本日出演予定のある笑パブ〈下楽下楽〉へとに向かった。
〈下楽下楽〉の楽屋に入った鉄太と開斗。
そこは個室ではなく、10畳の畳敷きの大部屋である。
大勢が待機するための場所であり、部屋には机もなく、壁に取り付けられた時計と、全身を映せる大鏡が一枚あるのみである。
窓はあるものの、そこに備えられているのは網の入ったすりガラスであり、その上、外には鉄格子が取り付けられているので、まるで牢屋のような印象を受ける。
楽屋にはまだ誰もいない。
それも当然で、店が開くのは18時であり、前座の芸人でも17時を回らないとまず来ないのだ。
「カイちゃん。明日事務所に行くんか?」
楽屋の押し入れから取り出した座布団の上に開斗を座らせながら鉄太は尋ねる。
「なんでや?」
「なんでって、ゴワっさんに、イベンター紹介してもらったやん」
鉄太と開斗は収録が終わった後で、ライブを開催するために役立ちそうなイベンダーの連絡先を、ラジオディレクターの島津から教えてもらっていたのだ。
「もしかして電話使うつもりやった?」
口に出してから鉄太は、それは良い考えだと思った。
あの社長には出来れば顔を合わせたくない。何より電話で話すのであれば自分は番号を押すだけで、あとは開斗に任せればよいのだから。
鉄太が問うも、開斗はすぐには答えなかった。
やや無言の時が流れた後に、彼は口を開いた。
「……それなんやけどな。どうしよう思ってな。別に教えんでええんちゃうかって……」
「ん?」
「あのオッサン、経営責任がどーたら言うてたやろ。ライブが失敗して大赤字になったとしても、別にワシらの借金が増えるワケやないしな。一度痛い目見た方がええんちゃうかと思ってな」
「……カイちゃん。性格悪いな。事務所倒産せえへんかな?」
「そんなん知らんわ。いや、もし倒産して金島のオッサンがトンズラこいたら、ワイらの借金チャラになるんとちゃうか?」
つまり、鉄太と開斗が借金をしている相手は金島だけであるため、彼がいなくなれば借金を返す先がなくなるという理屈である。
「……カイちゃん。性格悪いな」
二度目となるその言葉は先ほどより低く発せられた。しかしそれを聞いた開斗は溜息を吐く。
「あのなぁ、テッたん。ワイらがナンボピンハネされてんのか知ってるか? おそらく半分近く抜かれてるはずや。テレビとかの仕事バンバン取って来てくれるなら話は別やけど、笑パブだけならアイツらいらんねん」
ヒートアップする開斗。とそこへ、派手目なアクセサリーをジャラジャラさせながら一人のオバチャンが顔を出した。
「何や? お前さんら今日はえらい早いやんか。まさか前座から出せ言うつもりか?」
オバチャンと言ったが、年齢的にはお婆ちゃんに近い。また、そのハスキーボイスは酒焼けが原因であろう。
彼女の名前は下楽笑子。この笑パブのオーナーである。
鉄太はこの手の押しが強い人の相手は苦手なので、暗黙の了解的に開斗が応対する。
「ちゃうわ。ラジオ収録が早よ終わったからや。時間潰す金もないしな」
「ウチを喫茶店替わりに使うなら金もらうで」
「アホか。こんな牢屋みたいなとこで金取るとか鬼か」
「目の見えんお前さんにとっちゃ、牢屋もお座敷も似たようなもんやろ」
開斗と憎まれ口を叩き合うオーナーであったが、開店前の暇を持て余していたのか楽屋に上がり込み、自ら座布団を取り出すと壁を背もたれにして胡坐をかいた。
「何ぞオモロイ話でもしいや。そしたらチャラにしてやるわ」
「こっちはプロや。ただでオモロイ話するわけないやろ。オモロない話ならしたるわ」
開斗はオーナーに、昨日事務所に呼び出され、来月ライブが決まったこ事、ライブはデュエルシティの大ホールで行う事、ライブの時間が3時間もあること。また、問題児と素人のコンビもライブに出演させなければならない事、チケットすら発注したないことなどの不満をぶちまけた。
オーナーは顛末を聞くと、膝を打って豪快に笑った。
「ガハハハハハハ。オモロイ男やないかい。そんな大博打を打てるヤツなかなかおらへんぞ」
「オモロイことあるかい。それに、博打ってのはもっと考えてからやるもんや」
「ガハハハハハハ。流石、経験者の言葉は重さが違う」
大漫で大失敗したことや投資詐欺で大損したことを当てこすられて、開斗は二の句が継げない。
「オイ。ところでソッチの。問題児と素人のコンビ名は何んて言うんや?」
彼女は開斗をやり込めたことに満足したのか、今度は鉄太に話を振って来た。
自分が相手をすることはあるまいと高をくくっていた鉄太は、いきなり呼びかけられて体がビクンとなる。
「え!? ワイらのコンビ名ですか?」
「アーホーかー。お前さんらの後輩のコンビ名や!」
「さよですか。てっきり、もうボケが来たんかと思いましたわ。ハハハハハ……あれ? カイちゃん。アイツらのコンビ名、何やった?」
「ボケが来たんはお前さんの方や」
次回、5-2話「下品なネタを専門に」
つづきは7月4日、日曜日の昼12時にアップします。