3-2話 ライブが決定したからじゃ
「潮のええ臭いがしますわ」
月田は深呼吸をすると、ボストンバックを背負い速足で駅舎を出る。
彼は非常に上機嫌だ。それというのも、帰りにラジオ収録に同行して見学させてもらう約束を取り付けたからである。
一方、開斗と鉄太は愚痴りながら後に続く。
「やっと着いたか」
「ホンマ、もう少し近いとこにしてほしいわ」
彼らは、咲洲にある南港ポートタウン線の中ふ頭駅にやってきた。
咲洲というのは大咲花南港の別称である。
アパートのある守口市からは小1時間でこられるのだが、電車を4本乗り換えなければならないので面倒くさい。
三人は駅から南西の方角にある事務所に向かう。15分ほど歩いたところで、目的地にたどり着く。
目の前にはプレハブ二階建ての建物があった。
入口前には、道場のように木の看板が縦に取り付けられており、そこには、金島屋と書かれていた。
金島屋。
それが、鉄太らの所属するお笑い事務所の名前である。
名前にしても立地にしても、お笑い事務所に合っているとは思えないのだが、それも当然で、元々、金島屋は金融業を営んでおり、この事務所は負債を返済できなかった貿易会社から巻き上げたものなのだ。
金融業から娯楽業に転身した理由は、業界の先行きに懸念してとのことである。
金融と言っても金島屋は、サラリーマン金融、通称〈サラ金〉と呼ばれる高利貸しで、前々から社会問題となっていたゆえに、近年、当局の締め付けが厳しくなっていたのだ。
鉄太と開斗がこの事務所に所属している理由は、金島屋に借金をしていたからである。
月田に関して言えば、鉄太と開斗が所属したから付いて来ただけだろう。というか問題児の彼が入れるような事務所は他にないのかもしれない。
「月田っす。あと先輩方もいてます」
月田はインターホンのボタンを押してから呼びかける。
すると、「待ってくだせえ」と返答があり、しばらくしてから入り口から施錠の外れる音がしてドアが開かれた。
ドアを開けたのは、パンチパーマの若者。
名前は、安生椎也。皆からはヤスと呼ばれている。
ヤスは金島屋の所属タレントの一人であり、月田の相方だ。また、事務員も兼務している。いや、事務員のかたわら、月田の相方をやっていると言うべきか。
ヤスはサラ金時代からのここの社員で、漫才に関しては門外漢なのだ。
「奥へどうぞ」
ヤスに案内されて3人は応接室に向かう。彼が応接室のドアをノックすると中から、「応」とドスの効いた返事が返ってくる。
「失礼しやす」と、ヤスが断わりの言葉を述べてドアを開けるとすかさず「コンチワッス!」と月田がアピールするように挨拶した。
部屋の中には、テーブルを挟んでソファーが3つある。入り口側に近い方にはロングタイプ。その対面に1人用が2つ。
そして、1人用の奥側のソファーに男が腰かけており、タバコを吸いながら新聞を読んでいる。
その男は、ヤスと同じようにパンチパーマをしており、アロハシャツに金のネックレスと、見るからに堅気の人間ではない。
この男が金島屋社長の金島。金島譲である。
ちなみに現在、金島屋の構成員は、金島、ヤス、鉄太ら3人を含め合計5人である。
「まぁ、中に入って座れや」
金島はタバコの火を、灰皿の底で揉みつぶすように消すと、テーブルに広げられていた新聞を畳んでソファーの脇に置く。
「ハイッス」
月田は元気よく返事して手前のソファーの一番奥に腰かけた。
それを見て鉄太は開斗を誘導してソファーの真ん中に座らせた。金島の近くには座りたくないからだ。
「あっしはこれで」
「あ~~。待て待て」
出て行こうとするヤスを金島が留める。
「己も座れ」
金島がヤスに対して顎をしゃくる。
「失礼しやす」
金島の命を受け、ヤスは自分の腰を、鉄太の隣に強引にねじ込んだ。
(え!? コッチ座んの?)
鉄太は心の中で、オッサンの隣に座れやと思ったが、声には出さない。
そんなことを言っても誰も幸せにならないからだ。
3人掛けのソファーに4人がギチギチになって座っている。
金島は立ち上がると、ブラインドが下ろされた窓の前まで歩き、背を向けたまま語りだす。
「今日、己らを集めたのはな……」
金島はもったいぶって溜める。
「ライブが決定したからじゃ」
次回、3-3話 「やってられんわキャンセルや」
つづきは、6月12日、土曜日の昼12時にアップします。