2-3話 吸盤を一つづつむしり取る
酒宴の準備が整ったところで、鳥羽がコップを持って立ち上がった。
「本日は足元の悪い中、お集まりいただき誠にありがとうございます」
「そんなんええねん」
「本職の前でしょーもないボケすな」
結婚式のようなスピーチを始めた鳥羽に、集まった他の住人からヤジが飛ぶ。
「じゃかましいわ。黙って聞いとれ。…………え~~。皆様ご存知の、我が笑月パレスが産んだ大スター〈満開ボーイズ〉の二人が彼女を……」
「ちゃうちゃう! 彼女ちゃうわ!」
今度は鉄太が鳥羽のスピーチを遮る。
「照れんでええがな」
「照れてない!」
「はい、それでは彼らの前途を祝し、カンパーイ!」
『カンパーイ!』
鉄太の抗議を受け流して鳥羽の乾杯の音頭に皆が応じて宴が始まった。とはいっても、中産階級の宴席と違い、酒の量が限られているため、一気飲みが始まったりはしない。
各自が持参した肴も、長く愉しむこのができるイカ、コンブ、貝ひもなどの、硬い乾き物ばかりなので、飲み会は開始早々にして比較的静かな時が流れる。
(なつかしいな)
芋焼酎の水割りをチビリと口に含みつつ鉄太は思い出す。そういえば〈大漫〉で優勝した時も、同じように祝ってもらった。
つい半年前のことであったはずだが、なんだかもっと前だったような気がする。
あの頃は、借金がコンビで2000万円あったので、三造酒と言われるクソみたいな安酒を、さらに水で薄めていた。
現在は、経済状況がやや改善したため、そこまでせずに済んでいる。ただ、芋焼酎はガソリン臭いので鉄太はあまり好きではない。
さて、飲み会は、場を伺うような時間を通り越すと、徐々に盛り上がり始める。
すると、五寸釘は開斗のそばを離れ、皆にお酌をして回る。
その際、自分たちのコンビ名を告げ、名前だけでも憶えて帰って下さいねと、愛想を振りまくいている。実に如才ない。
しかし、相方の藁部は、他の住人へ挨拶にいくこともなく、また、開斗にアプローチできるチャンスにも関わらず、ゲソの吸盤を一つづつむしり取るという気色の悪い作業に没頭している。
彼女を放っておくのもどうかと思うが、気色悪いし、ヘタにちょっかいをかけると裏目に出るような気がするし、何より気色悪いので、鉄太は月田に話しかけることにした。
「そーいえば、月田君。ヤス君とはどうや? うまくやってる?」
ヤスとは月田の相方である。元サラ金の取り立て屋で、色々あって月田とコンビを組んでいる。
「どうもこうも、ムチャクチャですわ」
月田は肩をすくめる。
「アイツなんも分かってへんし……てかツッコミよけるとかありえんこと平気でやりおるんですわ」
「無茶言うたらアカンで。ヤス君は笑林寺出てへんしな」
笑林寺というのは、笑林寺漫才専門学校のことで、笑気や笑いの方程式を用いた漫才を教える学校である。
「まぁ、漫才したいんなら、せめて笑林寺卒業してこいって話っすわ」
「いや、オマエ卒業してへんやろ」
開斗が月田にツッコんだ。
鉄太や開斗は笑林寺の卒業生であるが、月田は中退しているのだ。
「え? そうでしたっけ? でも、四捨五入すれば卒業したようなもんっすわ」
月田はファイティングポーズを取って、拳を回転させながら突き出す。彼が得意とするコークスクリューツッコミである。
だが、相方をKOするこのツッコミのせいで、誰ともコンビを組めなくなり、笑林寺を中退することになったわけである。
(そら、こんなキビしいツッコミされたらよけたくもなるわな)
鉄太はヤスに同情する。
彼自身も相方の開斗のトンでもないツッコミで左腕を失っていた。
「霧崎先輩。最近、しょーもない漫才が多いとか思いません?」
「オマエは何様のつもりやねん」
「少なくとも、笑林寺に行ったこともない漫才師よりは、自分の方がよっぽどオモロイっすわ。霧崎先輩だってそう思うでしょ?」
評価されてないという鬱屈した気分がそうさせるのであろう。
月田の酒癖は、絡み酒である。
「そもそも、笑林寺で勉強もしとらん奴らが、笑いの方程式使うのはズルいと思いませんか?」
無視されても、なお絡む月田であったが、それに答えたのは開斗ではなかった。
「……はぁ? 笑林寺出た奴はそんなにエライんかい!」
その言葉に、場の空気が一瞬止まった。
次回 2-4話 「精神をゴリゴリに削られた」
つづきは5月30日、日曜日の昼12時にアップします。