1-6話 般若のような顔からは
その後、アンパイアがプレイを宣言し、試合が始まる。
しかし、こちらの観客席においては恋愛と言う名の試合がとうに始まっていた。
野球好きアピールする五寸釘に対して、藁部は質問することで気を引こうとする真逆の戦法を取る。
最初は帰りたい一心だった鉄太であったが、彼女ら様子を観察しているうちになんだかちょっと面白く感じるようになっていた。
喫茶店やお好み焼き屋のように相手が真正面に座っていないので、心理的圧迫がないというのが大きいのかもしれない。
試合の方は特に見どころのないまま0対0で進む。やはり観客がいないことが選手のモチベーションを下げているのか、素人目にしても覇気のないプレーに感じられる。
一方、鉄太の左隣では競り合いがさらにヒートアップしていた。
五寸釘は選手名鑑を片手にラジオの野球中継さながらの実況をし、藁部は質問の他にアメやお菓子を繰り出し餌付けを狙う。
双方ここが人生の天王山と言わんばかりの気迫を見せるが、ただ、残念なことに三回を過ぎる前には優劣が明らかになっていた。
そもそも実況の五寸釘と質問の藁部では手数が違うのだ。
そして、野球観戦に関して開斗から五寸釘に尋ねることはあっても藁部に尋ねることはない。
相手の好みを調べてきて野球観戦を勝負所とした五寸釘。
自分の好みを披露しお好み焼き屋を勝負所とした藁部。
仮に、お好み焼き屋のジャンケンで勝ってアドバンテージを取っていたとしても、結局は逆転されたと思われる。
ただ、藁部がここで負けたとしても彼女らの勝負は終わりではないはずだ。試合が終わって、開斗が五寸釘に即交際を申し込むなら話は別だが、いくらなんでもそれはないだろう。
と、ここまでは気楽に〝彼女らの試合〟を観戦していた鉄太であったが、劣勢を悟り藁部がイラつき始めると警戒心を呼び起こされる。
下手に目が合ったりしたらどのような因縁を吹っ掛けられるか想像つかないのが恐ろしい。
それまで皆の方を向いていた体の軸をゆっくりと逆方向にシフトする。
呼吸音すら悟られないように気を使いながら鉄太は右側のスタンドに視線を向けた。
すると、どうでもいいことかもしれないが若干観客が増えていることに気づく。
ただ、純粋に試合を楽しみに来た客よりもあきらかに営業をさぼりにきたサラリーマンの方が目立つのが悲しいところだった。
その他ストレスを発散するために来たとしか思えないダミ声でヤジを飛ばすマナーの悪い客もいる。
先ほどから後ろより、耳を覆いたくなるような罵詈雑言が飛んで来ていた。
ロクに呂律が回っていないので酔っぱらっているに違いない。
あまり近かよってほしくないタイプの人間だ。
鉄太はトラブルが起きないようにと心の中で強く願ったその瞬間、
「さっきからウルサイんじゃ、ボケー!」
信じられないことに藁部が後ろを向いて、ヤジを飛ばしていた酔っ払いに対し怒号を飛ばしたのだ。
「なんやとコラ、このガキ、もういっぺん言うてみい!」
野球帽に法被、首からはメガホンをさげ、ワンカップを片手に持ったオッサンが喚きながら近づいてきた。
その姿を見た鉄太は青ざめる。
欣鉄対オーイェー戦にも関わらず、なぜかその男は、咲神タイヤキズのグッズで身を包んでいたのだ。
それは頭のネジが飛んでしまっている絶対に関わり合ってはいけないタイプの人間だった。暴力沙汰になりそうな予感しかしない。
もし、暴力を振るわれた場合、片腕の鉄太が取り押さえられるわけがないし、目の見えない開斗に期待することも出来ない。
また、例え殴り合いにならなくても急勾配のこのスタンドでは酔っ払いが勝手に足を踏み外して大けがをする可能性もある。
にも係わらず藁部は酔っ払いに罵声を浴びせる。
「ガキちゃうわ。レディーや。クソボケ!」
これ以上相手を挑発させないように藁部を止めようとした時、鉄太は違和感を感じた。
イラついていた時に発していたような怒気が彼女からほとんど感じられなかったのだ。
そして、彼女の口角が上がっているのを見て確信した。
(コイツ、ワザとや)
五寸釘との勝負で著しい不利を悟った藁部が、一か八かで酔っ払いにケンカを売ったに違いない。
衝動的というならまだしも、計算でケンカを売るそのサイコ具合に鉄太は恐れをなし声を掛けるのをためらった。
逡巡する鉄太の代わりに五寸釘が立ち上がると藁部を注意する。
「アンタ何言うてんの! オッチャンに謝りや」
口調は粗相をした子供を窘める母親のようであったが、眉間にシワをよせ歯を剥くその般若のような顔からは、開斗とのいい雰囲気を邪魔されたことに対する怒りが如実に伺えた。
しかし、大人でもチビリそうな威嚇を受けても藁部は怯まない。
「でも折角、ゴッスンが実況してくれてんのに、ヤジがうるさて聞こえへんやん。霧崎兄さんも迷惑やろ」
「……それにしても言い方があるやろ」
藁部は展開を予期してあらかじめセリフを考えていたらしい。皆のために自分は怒ったのだというアピールをして、五寸釘の矛先を鈍らせた。
開斗はというと、一生懸命聞き耳を立て状況を把握しようとしているみたいだ。
一方、酔っ払いは怒鳴り込みに来たものの、自分そっちのけで言い争いを始めた連中に戸惑っているような様子だったが、しばし鉄太や開斗の顔を交互に眺めると、「あぁ!」と叫んで指をさした。
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次回、1-7話 「彼女らが、競い合ってくれるなら」
つづきは明日の昼12時にアップします。