1-5話 今のはどっちが勝ったんや
「野球か!」
開斗が叫ぶ。
野球はお笑いと共に、大咲花人が好きなエンターテーメントの双璧だ。
開斗も多分に漏れず野球は大好きで、高校生の頃、野球部でエースにまでなった男なのだ。
「今日、大咲花球場で、デイゲームがあるんや。今から歩けば丁度ええ頃に着くんちゃう?」
五寸釘が言う大咲花球場とは難波にあり、正式名称は大咲花スタヂアムという。新世界と心咲為橋の中間に位置し、ここから歩いて30分とは掛からない。
「おおきにな。五寸釘」
「いややわ霧崎兄さん。たまたま手に入っただけや」
開斗からの礼の言葉を掛けられた五寸釘は、悶えるように身をくねらせる。
それを見て藁部は小声で毒づく。
「ウソこけ。メッチャ自分で買いにいってたやん」
今のは、大声でツッコんだ方がよかったのではないかと、口に出す寸前で鉄太は思いとどまった。
別に実技指導を請われているワケでもない。
しかも、藁部はツッコミサイドの人間なのだ。
ボケサイドの人間から、日常会話をダメ出しされていい顔をするワケがない。
危ない危ない。
反射的に笑いに結び付けようとするのは、漫才師という職業病というよりも、大咲花の風土病かもしれない。
鉄太はげんなりする。一体あと何時間耐えなければならないのかと。
「うわっ、コワッ」
一塁側スタンドへの出入り口から顔を出した鉄太は、あまりの急勾配に足をすくませる。
大咲花スタヂアムは市街地の狭い立地に突貫工事で建てられたので、そのしわ寄せがスタンドに顕著に表れていた。狭い空間に座席を詰め込んだため、内野席ではなんと40度近い傾斜になっているのだ。
スキーをしたことのある人ならお分かりになるだろうが、30度を超える傾斜は、人に絶壁のような錯覚を抱かせる。
すり鉢球場の異名は伊達ではなかった。
「座席どこやろ」
鉄太は、チケット片手に、恐る恐る席を探そうとするが、
「どこでもええやん」
五寸釘はお構いなしに、出入り口からすぐ横の席に開斗を連れて座った。
言われてみれば確かに……いくら試合前とはいえ、自分たち以外には前方のフェンス付近に数人いる程度。指定席とか気にする方がどうかしているようなガラガラ具合であった。
この時代、パ・リーグの人気はセ・リーグに大きく水を開けられ、デイゲームなどは無観客試合かと見紛うほどであった。
その不人気ぶりから、大咲花スタヂアムに本拠地を構えていたプークスは、オーナー企業の南下E鉄道からオーイェー百貨店に売り飛ばされ、大咲花スタヂアムは欣鉄ジャクヤークの準本拠地とされることになる。
この球場での欣鉄対オーイェー戦は因縁の対決と言えた。
惜しむらくは、その件に価値を見出す人がほとんどいないということであろうか。
鉄太らは一塁側内野席の中ほどに陣取った。
五寸釘、開斗、藁部、鉄太の順に並んで座っている。
これだけ誰もいないのならば、席を一つ二つ開けて座りたいところだが、そのような〝ある種の意味〟が発生する行為が出来るほど、鉄太は図太い神経を持ってなかった。
さて、マウンドでは始球式が始まろうとしていた。
五寸釘は逐一、グランドで起きていることを開斗に語って聞かせている。
目の見えない開斗がいるのに野球観戦はどうなのかと鉄太は思っていたが、そういうことなら問題ないだろうと安心した。
始球式とは、客寄せを目的とした試合前のセレモニーなので、有名人が行うものと思われがちだが、必ずしもそうではない。
今回の始球式に関しては、とある企業が行った販促の景品だったらしく、企業名や当選者の名前がアナウンスされたのち、一般人と思しき中年男性が、リリーフカーによってマウンドに送られる。
そして、バッターボックスに入るのは、〝インディー・フーネ〟欣鉄打線の五番を務める元メジャーリーガーだ。
「フーネと始球式か……ちょい羨ましいわ」
開斗が呟く。
有名人なのかと藁部が尋ねると、開斗は大きく息を吐き出しながら答える。
「元、咲神タイヤキズの四番や。ワイら世代にとっちゃ、ガギん頃のヒーローみたいなもんや。なぁ、テッたん」
「……あぁ、そやったな」
同意を求められて答えた鉄太ではあったが、漫才第一の彼にとって野球選手は憧れの対象ではなかった。
ただ、テレビ番組などでカタコトの関西弁を使い、笑いを取るフーネには一目おいていた。
大咲花において、お笑いのできる野球選手の彼は、神に近い存在であった。
しかし月日は流れ、なまじ日本語が上手くなってしまったばかりに、笑いはとれなくなり、さらに選手としてのピークも過ぎ、数年前にトレードされ欣鉄に移籍していた。しかも近々引退するとの噂もある。
鉄太は寂寥の思いを抱きながらバッターボックスを眺める。
また、フーネに憧れていた開斗が、今の彼の姿を直接目に出来ないことが良かったのか、それとも悪かったのかなど考える。
しかし、隣りからデリカシーのない言葉が投げられる。
「そう言えばあのオッサン、なんや昔テレビで見た気がするわ」
藁部のその言葉から彼女が野球に全く興味がないことが伺い知れた。
それに対して五寸釘は野球に詳しいみたいだ。
「うわっ。マウンドのおっさんキャッチャーの構えに首振ってる」
彼女は開斗のために実況を始めた。
「ようやくセットポジションに入って……投げた。遅っそ。しかもベースまで届かん。ボテボテのゴロをキャッチャーが捕って、フーネが空振りや」
始球式というのはセレモニーであるので、どんなにクソボールであろうと打者は空振りするというのが、暗黙の約束事になっている。
しかし知らない者にとっては、意味不明の行為に見えるらしい。
「今のはどっちが勝ったんや?」
藁部の疑問に他の三人は苦笑した。
次回、1-6話 「般若のような顔からは」
つづきは5月15日土曜日の昼12時にアップします。