12-10話 揺るぎない、信念の仁王立姿
「悪いなテッたん。ずいぶん、待たせてもうて」
「カイちゃん!?」
ほほを叩かれたように鉄太が振り返ると、そこには、薄いピンクのダブルのスーツを身に着け、パナマ帽をかぶり、サングラスをした開斗がいた。
また、すぐその隣には金島もいる。
「雪で新幹線が止まってもうたんや。金島はんのお陰でなんとかなったけどな」
鉄太は口を開けたり閉じたりを繰り返す。
言いたいこと、聞きたいことが、後から後から湧いてきたために、言葉がノドの辺りで玉突き衝突を起こしてしまったようで出てこない。
代わりに蛇沼が口を開く。
「遅すぎなのじゃ。それより、えらく日に焼けとるようじゃが何しとったんじゃ?」
休憩中につき舞台袖奥にも照明が灯り、それによって開斗の肌が冬にも関わらず小麦色をしていることが認識できた。
「少々、エジプトまで行っとたんや」
『エジプト!?』
金島を除いてその場にいた者が同じように大声を上げた。もし休憩中でなかったら問題になっていたレベルだ。
自分たちの声に驚いた各々が、くちびるの前に人差し指を立てて注意を促す。
「何しに? って言うか、お金は?」
鉄太は小声で矢継ぎ早に尋ねる。格安航空などない時代である。借金まみれの開斗に工面できる額ではないはずだ。
「何しにって、修行に決まってるやろ」
「なんでエジプトやねん」
「意味分からんわ」
「ホンマは日サロ行っとたんちゃいますか?」
周囲から一斉に非難が入り混じったツッコミが入れられる。
「ちょっと、カイちゃん、コッチ来て!」
他の連中がいたのでは話が進みそうにないので、鉄太は開斗の手を引いて楽屋へ行こうとする。
「あ、コラ、待てい」
制止しようとする金島を無視して進むが、しかし数歩も行かない内に、開斗が床を這う電源ケーブルに足を取られて前のめりに転倒してしまった。
「すまん、カイちゃん。大丈夫か?」
幸いにも両手を付いたので大事には至らなかったようだ。
鉄太は床に落ちたサングラスを拾って開斗に渡そうとする。
「! カイちゃん……それ……」
絶句する鉄太。
異変を察知した蛇沼たちは開斗の前に駆け寄った。
彼の顔を見た者は一様に低い悲鳴を発した。
サングラスが取れて露わになったその部分は、まるで大火傷でもしたかのように爛れ、両の瞼は完全に固着していた。
鉄太は恐る恐る尋ねる。
「……まさか、エジプト行くために目玉売ったんか?」
「ちゃうわ! 事故や事故。金は刀を質に出したんや」
「もったいないコトしよってからに」
どうやら開斗は後生大事に持っていた日本刀を質入れして、エジプトまでの旅費を工面したらしい。後ろで舌打ちする金島だが、彼の言うもったいないとは、失われた目玉に対してであることはほぼ間違いない。
「で、漫才、出来んのかい?」
蛇沼が短く問う。
「つまらんこと聞くな。何のためにココに来た思うてんねん」
「何言うてんの!? 無理やて! 医者行こ。医者」
常識とも思われない返答に驚いた鉄太は、開斗の腕を取って大部屋の医療班の元へ行こうとする。しかし開斗にその腕を振りほどかれる。
「目ぇ見えんでも漫才はできる! 目ん玉無くして得たモンがあるんや。もし、リタイアなんかしたら、テッたんのこと一生恨むで」
鉄太は以前、開斗から「漫才は左腕のうてもでける商売」と言われた時のことを思い出した。
あの時は余りにも勝手な言い分に内心憤慨したものだが、いざ自身がハンディを背負った時にも同じことが言える開斗に、彼の漫才に対する愚直な思いを改めて知った。
鈴木ナパームと小林ボンバーは男泣きに泣き崩れる。
その揺るぎない信念の仁王立姿に感銘を受けたようだ。
「自分、感動しました!」
「兄さんのために、精一杯頑張らせていただきます」
一方、蛇沼は舌をチロチロさせながら愉快そうである。
「アホじゃ思うとったが、ここまでアホじゃったとはな。──よし、分かったのじゃ。どーせヌシら、〈どつき〉しか出来んのじゃろ? だったらワシらが客を慣らしといたるのじゃ。今の者らは、〈どつき〉の笑いを忘れとるからの」
「兄者! まさか、昔のスタイルに戻るつもりか?」
「そうじゃ。今夜は久しぶりに〈オロチ〉のどつき漫才を見せてやるのじゃ」
あれよあれよという間に〈満開ボーイズ〉に優勝を託される流れになってしまい、鉄太は戸惑う。彼は他の者と違い素直に喜べなかった。
なぜならば、開斗が修行に行った理由は、特殊笑対性理論の式を体現するためのツッコミを身に着けるためである。
そしてそれは、鉄太の左胸部を覆う特注のパッドに負けないことが大前提のはずである。
一体、エジプトで視力と引き換えにどのような技を得たのであろうか?
正直、身の危険を感じずにはいられなかった。
ため息をついて鉄太は何気なくあたりを見渡す。
そう言えば月田どうしたのだろうか?
「あの坊主はヤスと一緒に楽屋におるけぇ。まぁ、色々心の整理がつかんのじゃろ」
まるで鉄太の心の内を察したかのように金島が教えてくれた。軽く礼を言おうと思った鉄太であったが、よく見ると彼のトレンチコートはかなり濡れていた。
そう言えば、開斗を連れてきたのはこの男であった。
電車が止まるほどの大雪の中、目が見えない開斗をここまで連れて来るのは、並大抵の苦労ではなかっただろう。
たしか、彼の子分のヤスから聞いた話では、金島は昔、漫才師を志していたらしい。
鉄太は今まで金島のことを、銭ゲバで人の生き血を啜ることを喜びとする人間の皮を被った鬼だと思っていたのだが、ひょっとしたら根は悪くない鬼かもしれないと考え直した。
「社長はん。カイちゃん連れて来てくれて、ホンマ有難うございます」
開斗が獲得した新たな技に胸騒ぎを覚えるとはいえ、開斗と漫才できることが嬉しいのは偽らざる気持ちである。
深々と頭を下げる鉄太。
だが金島は、彼らしいドライな態度を取る。
「別に感謝はいらん。ワシのやっとることは、好きの方の〈好意〉じゃのうて、行うを為す方の〈行為〉じゃ。後で貰うモンはキッチリ貰うけぇの」
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つづきは明日の7時に投稿します。
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