12-9話 カイちゃんや。カイちゃんがおらんのや
「兄者!」
優勝を諦めるという蛇沼の発言に、鉄太より先に錦が反応した。
「何でじゃ? ワシら〈大漫〉で優勝するためズッと頑張ってきたんと違うんかい? 第一、コイツらには無理じゃ!」
「頑張って来たんはワシらだけちゃうのじゃ。その皆に前座になってくれ言うたワシらが一か八かで勝負できるか? まぁ、〈ぶろーにんぐ〉がマシな働きしとったら話は別じゃったろうが、〈丑三つ〉と〈ストラト〉だけで客席暖めきるんは無理じゃな」
「蛇沼さん。オレらの評価ずいぶん低いんとちゃいます? って言いたいとこですが、その通りですわ」
「くやしいけど、あの妖怪ジジイ相手に、10分のツーステージで暖めきるんはキツいやろな。いらん休み時間、与えてもうてるし」
さすがに、鈴木ナパームと小林ボンバーは、優勝候補筆頭と目されていただけに、自分たちの力量をわきまえているようである。
一方、錦は蛇沼から顔を背け、諦めきれない気持ちを隠さない。
蛇沼はそんな錦に語りかける。
「確かに、ワシらは〈大漫〉を目標にしてきた。でもそれはあくまで通過点としてじゃ。ワシらの目標は日本一の漫才師じゃ」
「その日本一の漫才師になるために〈大漫〉優勝の金看板がいるんじゃろ? それに言い出した者が責任とらんでどうする? 兄者のやろうとしとることは責任の押し付けじゃ!」
「待って、待って」
あわてて鉄太は、彼らの対立に割って入る。
と言うのも、皆に重大なことを伝えていなかったからである。
それを知れば蛇沼と錦が争う理由はないはずだ。口論を中断した二人に、密かにしていた決意を伝える。
「ワテらリタイアよう思ってんねん。だから……」
しかし、鉄太が全てを言い終わらない内に、蛇沼に襟首をつかまれ締め上げられる。
「ナメるのも大概にせい!」
鉄太の目前に顔を近づけられた蛇沼の顔は、見る見る真っ赤になる。
視界の端に映る、彼の掲げた右手の拳は血がにじんでいた。
さきほどコンクリートの柱を殴っていたのだ。
「ワシだって、優勝出来るもんならキサマらに譲ったりせんわ。でも、どう考えても届かんのや……。実際ワシらが前座に徹したとこで、キサマらが優勝出来る可能性は高ない。でも、リタイアだけは絶対許さん!」
興奮しているからか、普段のキャラ付けの語尾を使わず捲し立てる蛇沼であったが、顔を背けて黙り続ける鉄太に対して、ややトーンを落として語り続ける。
「ワシらは、笑林寺八期生の代表じゃ。ワシらが安い金で漫才勉強できたんは、途中で辞めてった連中の入学金や授業料のお陰じゃろ。そいつらのためにもリタイアはすな」
それに対して鉄太は、そっぽを向いたまま反論する。
「そんなん蛇沼君の勝手な思い込みや。辞めてった連中は何とも思ってへんわ。 とにかく、無理なもんは無理なんや」
「何が無理なんじゃ? ワケを言うてみい」
追及する蛇沼に、鉄太は不貞腐れたように呟く。
「……相方がおらん」
「はぁ? そんなら丁度今、戻ってきおったのじゃ」
蛇沼は舌をペロペロ出し入れすると、出入り口に向かてアゴをしゃくる。
「ちゃう! カイちゃんや。カイちゃんがおらんのや!」
月田と漫才したところで結果は知れている。普通の漫才でもやっとこなのに、即興漫才では、阿吽の呼吸がなければ大恥を掻くのは目に見えていた。
襟首から蛇沼の手が放される。
つま先立ちから解放された鉄太は、乱れたワイシャツを直しながら考える。
蛇沼にしろ、金島にしろ、どうして自分がリタイアすると口にしたら、一様に怒りの反応を示すのだろうか。少しオカシイのではないのかと。
だが、そこではたと気づく。
オカシイのは自分だと。
彼らだけではない。月田だって、開斗だって、〈大漫才ロワイヤル〉に出るのに必死になっていた。他の出場者だってそうだろう。三年前の自分だってそうだったはずだ。
自分は漫才師として何か大事なモノを無くしてしまったのではないか?
放心状態で立ち尽くす鉄太。
と、そのとき、鉄太の肩に誰かの手が置かれた。
つづきは来週月曜の7時に投稿します。