10-5話 それはアカンって月田君
金島は、話始めてから十秒もしないうちに罵声をあびせて電話を切った。
「ここじゃ電波が弱いけぇ、ちぃと外に行ってくるわ」
携帯電話を手にしたままカバンを持ち、金島は部屋から出て行った。
鉄太はホッと一息つく。
おそらく電話の相手はヤスなのだろう。ということはあの人達は、携帯電話を二台は持っているという話になる。サラ金というのは儲かる商売なんだなと他人事のように思った。
「立岩先輩、立岩先輩」
月田が内緒話をするように声を潜めて話しかけてきた。
「金島社長、ごっつカッコええっすね」
「そ……そやな」
「ところで何やってはる人ですの?」
鉄太はズッコケそうになった。
だが考えてみれば、月田と金島は今朝が初対面であっただろうし、彼が何者であるかを話す精神的余裕がなかった。
とりあえず、どう説明しようかと迷っていたら、楽屋のドアがノックされた。
鉄太と月田に緊張が走る。
金島が戻ってくるには早すぎる。また彼ならノックせずに入ってくるだろうから、恐らくスタッフか他の出場者のどちらかである。
楽屋に誰か来た場合は『開斗は寝不足で仮眠をとっている』と、事前の打ち合わせで決めていた。
来訪者が開斗か月田のどちらかを見知っている場合、身代わりがバレてしまうのだ。
月田は急いでサングラスをかけ、座卓の奥で横になって、パナマ帽を顔の上に乗せる。
「お邪魔するのじゃ」
案の定、ドアを開けて入ってきたのは蛇沼と錦だった。
「あ、久しぶり。蛇のスーツよう似合うとるね。ところで何の用?」
鉄太は、彼らの前に立ちふさがるようして話しかける。
本来であれば、来訪者を追い払う役は金島が行うはずであったのだが、生憎といないので鉄太がやらざる得ない。
そんな、いつになく不自然な鉄太に、蛇沼と錦は面食らったような様子で顔を見合わせる。
「ただの楽屋あいさつなのじゃ。ところで、ポンはドコじゃ?」
「あ、ちょっと、カイちゃんは寝不足で仮眠とっとるとこや。だからまた後でな」
鉄太は、奥で寝ている月田を指して、蛇沼たちに出て行ってくれと頼む。
しかし、蛇沼は怪訝な表情を浮かべたあと、目をつぶって舌をペロペロ出し入れする。
《アカン!》
鉄太はあせる。蛇沼は笑気を嗅ぎ分ける能力に秀でているのだ。
「あ、あんな……」
言い訳をしようとした鉄太を蛇沼は押しのける。
よろけた鉄太を錦がその大きな体で後ろから拘束する。そして蛇沼は畳に上がると、寝ている月田の帽子とサングラスを剥ぎとった。
「誰じゃオマエ」
「…………」
月田は何も答えない。この期に及んで寝たふりを続ける。
「実はカイちゃん、笑戸からココに向かっとる最中やねん。もうちょっとで来るねん」
「何ぃ? 笑戸ぉ? 何でじゃ?」
「しゅ、修行や……ツッコミの修行や。……他の人には黙っとって。な? な?」
本当の所、開斗が笑戸へ何しに行ったのか聞いていないのだが、ともかく、こうなってしまった以上、頼み込むしかない。
そんな今にも泣きだしそうな鉄太に、蛇沼は意外なことを言った。
「まぁ、別に遅れとるだけなら構わんのじゃ。行くで、シゲ」
蛇沼は肩で風を切るように、錦を連れて去って行った。
入れ違いに金島が入ってくる。
「おう、何じゃアイツらは?」
「だ、大丈夫です……それよりカイちゃんどうでした?」
「まだ捕まらんようじゃ。それより雪がようけ降ってきてのぉ」
金島は、まだコートに付いてた雪をはらってから畳に上がると、座卓の前で胡坐をかき、タバコをくわえ、火をつけようとライターを取り出す。
すると、月田がそのそばに寄り、ゴマをすり始めた。
「いや社長、ええライター使うてますね。見せて下さい」
「分かるか? ジッポーの限定モデルじゃけぇの」
「いや、流石ですわ。センスよろしいですわ」
ライターを受け取った月田は、おべんちゃらを並べながら、そのライターを使って金島がくわえた煙草に火をつける。
「……ところで社長。もし、もしですよ。もし、万が一、霧崎先輩がここに来んかったら、そん時は、自分を代役に使うて下さい」
そう言うと、月田は金島に向かって土下座した。
それまで、漫然と彼らのやり取りを見ていた鉄太は驚いて止めに掛かる。
「それはアカンって月田君!」
「分かってます! でも、〈満開ボーイズ〉まで、順番回ってくる可能性はほとんど無いやないっすか。……ほんのちょっとだけでもええんです。自分に夢見させて下さい」
今朝、一度は出場を諦めると口にしたはずの月田が、なぜ今になって、出場したいと言い出したのだろうか? ひょっとすると、出場者の中に誰かライバルでもいるのだろうか?
いずれにせよ、月田の言う通り〈大漫才ロワイヤル〉、過去九年の歴史において、最後まで順番が回ったことはなかった。
土下座する月田の手は、袖によって半分隠れている。霧崎のサイズでオーダーされた服を着ているため、サイズが合っていないのだ。
そんな月田を一瞥すると、金島は煙草の煙を天井に向かって吐き出し、一言呟いた。
「……好きにせぇ」
「そんな、社長はん……」
「アザっす!」
月田の代役出場が、なし崩し的に認められてしまった。
鉄太にとって誠に不本意な展開であるが、彼ら二人相手に言い争いをする根性はない。それに月田の言うように、ラストまで出番が回ってくることは、まずないように思えた。
ただ最悪、開斗不在のまま、出番が来てしまった場合について考えておく必要はあるだろう。
それから、程なくして番組スタッフでADの一人が、ミーティングが始まることを彼らに告げにきた。
つづきは明日の7時に投稿します。