9-3話 そらやるしかおまへんわ
その日の夜遅く、アパートで緊急会議が開かれた。
いつもと違い、ちゃぶ台の上には酒もツマミも置かれていない。代わりに〈大漫才ロワイヤル〉の合格通知が置かれている。
ただ、それを見つめる鉄太と開斗は、合格を祝すような顔をしていない。粗方の事情を聴いた月田も同様だ。
開斗がちゃぶ台に乗せた右手の人差し指でトントン叩きながら言う。
「問題はどうやったら幻一郎兄さんを笑わせられるかっちゅーことや」
しかし、それは自分自身への問いかけであって、別に意見を求めてのことではない。
なので、このような時、適当に相槌を打つのが鉄太の仕事になる。
「幻一郎兄さんを笑わせよう思うたら、意表を突かんとイカン」
「せやな」
「……笑いの方程式を変えるか」
「せやな……えぇっ!?」
鉄太は驚く。〈大漫才ロワイヤル〉の放送日は大晦日だが、事前に収録されるものなので、彼らに残された時間は実質一か月ぐらいしかないのだ。
「カイちゃん。そんなん時間足らんて」
「そうですわ。それに、変えたからって意表突けるんすか?」
鉄太に賛同した月田が、その問題点を指摘した。
幻一郎のいう事が本当であれば、いくら笑いの方程式を変えたところで、既知のものである限り結果は同じだろう。
「まさか、今から新しい方程式、考えるとか言わんといてや」
そんなこと始めたら構成の変更どころの話ではない。
しばしの沈黙の後、開斗は意を決したように鉄太に告げた。
「テッたん……三年前のアレ、もう一回やってみいひん?」
「!」
鉄太の呼吸が止まった。開斗の言う『アレ』が、彼の忌まわしい記憶を呼び起こしたからだ。
「特笑をもう一回やってみいひんか?」
重ねて開斗が決断を促した。
しかし鉄太は強くかぶりを振る。
「いやや! ……ってか無理や!」
それは、第七回〈大漫才ロワイヤル〉の決勝戦で、彼らが挑んで失敗したいわく付きの方程式であった。
「あの……先輩方……今言った式、なんすか?」
会話から一人置いてけぼりの月田が、おずおずと尋ねる。笑林寺中退とは言え、月田も一級生の授業はおおよそ受けていたのだ。その言葉に聞き覚えがないことが気恥ずかしかったのだろう。
しかし、月田が知らないのも無理はない。特笑とは、亞院鷲太が病床で執筆しようとしていた論文、〈特殊笑対論〉のことであるのだが、そこに記載されていた方程式、W=BT^2は走り書き程度に記されていたものなのだ。
「特笑はな、亞院先生からの宿題やねん」
「なるほど……。そらやるしかおまへんわ」
「いや、やらへんよ絶対。前、失敗してるやん」
なんとなくやるような流れになっているのに対して、鉄太は断固拒否の構えを示す。彼は失敗した結果、左腕を失っているのだ。
冗談ではなく命が懸かっていると言っていい。軽々に応じることなどできない。
すると、開斗は鉄太の隣に移動し、互いに正面を向き合うように座る。そして、両手で鉄太の肩をつかみ語りかける。
「ワイらの漫才、昔よりオモロなくなっとるの気づいとるやろ」
「……せやろか? まだ、本調子じゃないだけちゃうん?」
「そやないねん。テッたんの特注の防具が硬すぎて、ワイのツッコミが負けとんねん。これじゃ、どつき漫才やのうて、ただの漫才みたいなもんや」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。開斗がどんなに手刀ツッコミをしても義腕に付けられたショルダーパッドのお陰で、鉄太は痛がるどころか微動だにしないのだ。
これでは、どつき漫才としての面白みがほとんどない。
「でも、ただの漫才でもええんとちゃう? 最近は子供がマネするとかなんとかで、色々ややこしいし」
「何言うてんねん! ただの漫才で幻一郎兄さんを笑わせられると思っとんのか! 子供がマネする? だったらマネできひんぐらい高めたらええねん!」
「ちょ、待って、待って。近い、近いねん」
熱く語るあまり顔を至近距離まで近づけた開斗を、鉄太はのけぞりながら右手で押し返した。
二人は座り直す。
開斗がやや落ち着きを取り戻したところで、月田が質問をした。
「霧崎先輩。その、特笑の式って、そんなスゴいんすか?」
つづきは明日の7時に投稿します。