9-2話 決勝戦は辞退せい
開斗が玄関の引き戸を開けると、そこには黒い着物に黒い笑気を漂わせた初老の男性が、魔界から現れたように傲岸と構えていた。
「何の用や……幻一郎兄さん」
幻一郎こと、笑林興業社長ぬらり亭憑乃介は、開斗を一瞥するとボロアパートの玄関内をぐるりと見渡した。
「……なかなかええ所に住んどるやないか。安心したわ」
「皮肉のつもりか?」
「皮肉でもなんでもあらへん。ワシが昔住んどったんは、バラックと呼ばれるような掘っ建て小屋や」
「だから何やねん。貧乏自慢でもしにきたんかい」
「まあ、まあ、まあ。幻一郎兄さん。玄関で立ち話もなんやし、上がってって下さい」
一触即発の空気が漂い始めたのを察した鉄太が二人の間に割って入る。
しかし幻一郎はそれを断る。
「今日、ココに来たんは、一つはコイツを届けるためや」
そう言って袂から取り出したのは、封筒であった。
それには宛先の後に通知票在中と印刷されている。〈大漫才ロワイヤル〉の結果通知表だ。受け取る鉄太は手の震えを抑えることができない。
「何やっとんねん。さっさと封、切らんかい」
「カイちゃん……無理や……開け、開けてコレ」
鉄太は封筒を破ろうとするも手が震えすぎて上手くいかないのだ。
「その中に入っとるんは、合格通知や」
幻一郎の言葉に顔を見合わせる鉄太と開斗。
開斗は、鉄太の手から封書をひったくると雑に封を破って中身を取り出す。そこには合格の文字がしっかりと記載されていた。
力が抜けたのか鉄太は廊下にヘタり込む。
開斗もホッとした表情を見せるものの大げさに喜びの感情を表したりしない。事前に結果を聞かされてしまったので、その分喜びが減ったのだ。
ただ、警戒感をより鮮明にした。
幻一郎が合格を祝いに来たわけではないのは一連の言動で分かる。
「そう言えば、さっき、封筒を届けるのが目的の一つや言うてたけど、二つ目はなんや?」
「辞退せい」
幻一郎は短く言い放つ。
その瞬間、玄関の空気は一気に張り詰めた。
「聞こえんかったんか? 〈大漫〉の決勝出場を辞退せい言うたんや」
「やかましい。聞こえとるわ! 誰が辞退するかっちゅーねん! アレやろ。ワイらが〈大漫〉で優勝すると困るんやろ。笑林寺が潰せんようになるからな」
「何やそれ? 意味分からんわ。笑林寺を潰す潰さんは会社の役員会議で決めることや。――それに、お前らが優勝するのは絶対無理や」
「……まさか、出来レースで、すでに優勝者が決まっとるとか言うんやないやろうな」
無くはない話だ。
例えば笑戸テレビが推す芸人を優勝させる決まっているので、鉄太を傷つけたくないと思う幻一郎が、辞退するように説得しに来たとするならば話の辻褄はあう。
しかし、それはアッサリ否定される。
「ちゃうわボケ。〈大漫〉の審査員はワシ一人だけや。ワシが笑わんかぎり誰の優勝もない。お前らにワシを笑わせられるか?」
幻一郎の言葉に応じるかのように彼を取り巻いていた黒の笑気が渦を巻く。
普段の開斗であれば、楽勝とか簡単などという返事をすぐに口にしそうであるが、この時は、その困難さを感じ取っているのか口を噤んだままだった。
代わりに鉄太が応じる。
「そ、そんなもん、やってみいひんと分からんやん」
「……鉄坊。ワシも鉄坊の漫才笑ってやりたいのは山々やねんけど、笑われへんねん」
鉄太は自分たちの漫才の評価がそんなに低いものであったのかと思い肩を落とす。
その様子を見た幻一郎は慌てて訂正する。
「ちゃうで、勘違いせんどいて。鉄坊の漫才がオモロない言うてんやない。ワシが笑われへんのは、世の中の全てに対してや……」
一旦、言葉を区切ったあと、幻一郎は背中を向けてから言葉を続ける。
「ワシは鷲太兄さんに付いて若いころから笑いの研究をずーとやっとった。どーすれば笑えるのか、どーすればオモロなるのか。
ところが、数々の方程式、法則を証明すればするほど、自分が笑うことが出来ひんようになってしもうた。 ――そらそうやろ。次どうなるか展開が分かっとるなら笑えるワケあらへん」
連籐幻一郎は中学を卒業すると西を代表する落語一門、ぬらり亭に入門し、そこで兄弟子の亞院鷲太と知り合う。
ただ、亞院鷲太の笑気を基にした理論は、あまりにも革新的であり、ほどなくして鷲太は落語界から飛び出してしまうことになる。
その時、幻一郎は鷲太を慕って追いかけ漫才コンビ〈のーべるず〉を立ち上げた。
とはいえ、横にも結束が強いこの業界で破門同然の若者を使ってくれる者はおらず、その時代、彼らは辻漫才に明け暮れる日々であった。
鉄太が生まれたのも丁度その頃である。
ただ、その不遇な時代においても幻一郎は鷲太と共に笑気の研究と実践を重ね、いつしか押しも押されもせぬ大漫才師となった。
また、笑いとは絶対的な価値観から生じるものではなく、様々な事象の影響を受けて刻々と変化することを説いた〈笑対性理論〉の共同研究者として、さらには、その〈笑対性理論〉を基にした笑理学の確立や、笑理学を教えるための〈笑林寺漫才専門学校〉の設立にも尽力。
そして鷲太の死後、ぬらり亭に戻り、七代目ぬらり亭憑乃介を襲名。さらに、笑林興業の社長に就任し今に至る。
幻一郎は去り際にこう言い残した。
「最後にもう一度忠告しとく。漫才続けたいんなら決勝戦は辞退せい」
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つづきは明日の7時に投稿します。