5-6話 事件を起こすトラブルメーカー
「社長。井手駒です。お見舞いに来た者を連れてきました」
中から厳めしい声で「入れ」との返事が聞こえると、井手駒が「失礼します」とドアを開けた。
鉄太の目に、ベットで上体を起こしている幻一郎と、その隣のイスに座った小太りで、おちょぼ口の熟年の女性の姿が飛び込んできた。
数年ぶりだが見紛うはずもない。その女性とは亞院鷲太の妻、つまり鉄太の母親、亞院哲子であった。
ドアをスライドさせて井手駒は部屋の中に入っていったが鉄太は止まったままだ。
幻一郎が鉄太に声を掛ける。
「何突っ立っとんのや? 早よこっちゃ来い」
しかし、鉄太の足は動かない。
別に母のことを嫌っているワケではない。ただ、漫才師となるため高校生から養子となり、亞院の姓を捨てた鉄太にとって、親しみよりも気恥ずかしさのが多いに勝っている。
付け加えて多額の借金もあれば、どえらい変態として笑い者にされている現状では、正に〝どのツラ下げて〟というものだ。
傍らに立つ開斗は、そんな鉄太の心情を理解してか何も言わなかった。
しかし、井手駒は、ここぞとばかりに言いたい放題に口を動かし始めた。
「すんまへん。社長、姐さん。こいつら、身の程わきまえずに来ただけのカスなんです。しかも、お見舞いに手ぶらで来た礼儀知らずのアホでして、まったくどう育てたらこんなボケナスが出来るのか、一度親の顔が見てみたいですわ。わははははは、ははは…はは……」
調子よくしゃべっていた井手駒だったが、病室内がおかしな空気に包まれていることに気付き、原因をさぐるように辺りを見渡した。
そんなねじり鉢巻の男に対して亞院哲子は立ち上がり、彼の前に進むと笑いかけた。
「ほほほほほほ。そんなに見たいんやったら、好きなだけ見てええで」
「……あ、いや、姐さん? 自分が見たい言うたのは、後ろのボケナスの親の顔でして……そら、姐さん顔を拝ませていただけるのはありがたいですけど……」
「せやからウチが、そこのボケナスの母親や」
「────わははははは、姐さん冗談がキツすぎまっせ。いくらなんでも、そんなねぇ……」
そう言いながら井手駒は振り返ると、鉄太の顔を食い入るように見てきた。鉄太のおちょぼ口は母親譲りなので、見比べれば2人が親子であることが察せられるだろう。
見る見る間に井手駒の額から、濡れたスポンジでもギュっと絞ったのかと思うように汗が湧き出す。
「もしかして、このボ…鉄太さんが姐さんのお子様ということは、つまり、亞院師匠のお子様でもあらせられるということでしょうか?」
「当然や」
彼は背筋を正すとクルリと回り、哲子に向かって大仰な身振り手振りでおべんちゃらを並べ立て始めた、
「いやはや、そうですか~~。鉄太さんは亞院師匠の御子息であらせられましたか~~。いや、道理で道理で、利発そうなご尊顔をされていると私常々思っておりました。
それに、御子息の漫才は奥深く品がございます。〈大漫〉優勝もしごく当然。社長の御慧眼に感服しきりでございます。
また、最近ではテレビで大活躍のご様子。
皆様におかれましては積もるお話もございましょう。
折角の水入らずを邪魔するワケにはまいりませんので私これにて、失礼させていただきます」
そう言うが早いか、井手駒は返事も聞かずに、鉄太を押しのけ病室から遁走した。
廊下を駆けていくその後ろ姿を呆然と見送っていた鉄太だったが、「さっさと中に入り」と母に義腕を引っ張られて、開斗と共に病室に入ってしまった。
哲子は先ほど座っていた椅子に腰をかけた。しかし、他に椅子がないので、鉄太と開斗はそのまま立ち続けている。
鉄太は、今まで秘密にしてきた自分の出生について、母があっさりとバラしてしまったことに文句を言おうと思っていたのだが、しかし、よくよく考えてみると笑林興業を辞めた現状において、特に秘密にしておく理由がないのではと思えて来た。
では、代わりに何か母に話すことがあるかといえば特に思い浮かばない。2人きりであればまた別であろうが、開斗や幻一郎の前ともなれば慎重にならざるえない。
しかしその時、間を埋めるように開斗が幻一郎に苦情を述べた。
「幻一郎兄さん。何であんなクソみたいな人間そばに置いとるんです? 正直、神経疑いまっせ」
「じゃかましいわ。アレくらい普通やろ。大体、お前は自分がどんだけ上等な人間やと思っとんのや?」
「幻一郎兄さんはワイがあんなクズと一緒とでも言いたいんでっか?」
「哲子さんから聞いとるで。お前、未だに鉄坊の腕、切り飛ばしたこと哲子さんに謝っとらんらしいのぉ?」
その指摘に、開斗も先ほどの井手駒みたいに額から汗が吹きだした。そして始動直後の洗濯機のようにガタガタと体を震わせる。
しかし、鉄太の母はコロコロ笑いながら彼を擁護した。
「ええんよ別に。開斗ちゃんはウチの家族みたなもんや。兄弟ゲンカみたいなもんやと思えば何てことあらへん。なんなら、もう1本の腕も切り飛ばしてくれてもええんやで?」
「何言うてんのやオカン!」
「ほほほ。冗談よ冗談」
「当たり前や!」
幻一郎は咳ばらいを一つすると開斗に説く。
「お行儀のええ人格者が漫才師なんかになるワケないやろ。ワシかてエゴの塊のような人間やし、そもそもお前が手本にしとる鷲太兄さんなんぞ、どんだけ世間に迷惑かけたことか」
言われてみれば確かに。
鉄太は亞院鷲太を父親として大好きだし漫才師として尊敬もしていたが、1人の人間として考えた時、器物損壊や障害事件を起こすトラブルメーカーだった。
断っておくが、亞院鷲太が暴力に訴える人物という話ではない。ただ、彼は手刀ツッコミが日常生活において凶器になることをあまり自覚しておらず、また事件を起こしても謝らないどころか悪びれる様子も見せないサイコパスであった。
そんな鉄太の父がしでかした事件で一番迷惑を被ったのは鉄太の母なのだが、当の本人は他人事のように笑っていた。
(オカンも大概やな)と鉄太が思っていると、鉄太の母は急に思い出したかのように小言を言って来た。
「そー言えば、アンタらかて手ぶらで見舞いに来るような人間やで。お陰でえらい恥掻かされたわ。ウチの子はアホやからしゃーないけど、開斗ちゃんまで忘れるとか、ありえへんわ」
「おばさん、ちゃいます、ちゃいますて。こっちに来てから買おう思ってたんやけど、ちょっとウッカリしとったと言うか……」
「あら、開斗ちゃん、何その白い杖!? 目ぇどないしたん?」
「いや、これは────その……」
母に翻弄される開斗の姿を見て、鉄太は小中学生の頃の懐かしい感覚を思い出した。
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次回、5-7話 「彼の手首は高性能」
つづきは9月29日の日曜日にアップします。