6-3話 大咲花と、笑戸のテレビと、大漫と
「笑林辞めたお前に言う義理あんのかい?」
開斗の問いかけに、にべもなく言い放つ幻一郎。しかし、それは肯定とも受け取れる返事であった。
鉄太はショックを受ける。
笑林寺を潰すという話は初耳だった。
「ウソやろ? 幻一郎兄さん……ウソやったらちゃんとウソやって言うて」
漫才が彼の存在証明であるとするならば、その屋台骨を支えているのは笑林寺での経験だ。
笑林寺は、彼の尊敬する父の理念を形にした物でもある。そして、幻一郎は父と苦楽を共にし、遺志を受け継ぎ、笑林寺の校長にもなった人物なのだ。
その幻一郎が、笑林寺を潰すという話を鉄太は信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
鉄太の問いに、彼は直接答えなかった。
「……お前ら、今のテレビ中心のお笑い、どない思うとる?」
「どないも、こないもないやろ。お笑いはお笑いや」
「フン! 青二才には難しすぎる質問やったな」
幻一郎は開斗に侮蔑の言葉を吐いて踵を返す。
「ごめん、幻一郎兄さん。ワテも何聞きたいのかよう分からんかったわ」
「スマンスマン、鉄坊。ワシの言い方がちょーっと雑やったわ」
クルリと振り返った幻一郎は、改めて神妙な面持ちで語りだす。
「今、大咲花のお笑いは、笑戸の連中のええようにされとると思わんか?」
言うまでもないことであるが、笑戸とは戸道府県の戸であり、日本の首都である。
笑林興業は、笑林寺で育成した漫才師を笑戸のテレビ局に大量供給して事業拡大したのだが、その結果、巨大資本を持つ笑戸のテレビ局の意見に経営を左右されるようになっていた。
現在の笑林寺における講義も、劇場用の漫才より、テレビ用にインパクトのある短いネタや一発ギャグに比重がおかれている。
「連中は視聴率しか見とらん。その象徴が〈大漫〉や」
「ジジイの懐古主義に付き合ってられんわ。〈大漫〉の何が悪いねん」
〈大漫〉とは〈大漫才ロワイヤル〉の略だ。
毎年年末に催される漫才の賞レースであり、数百組近い若手漫才師の中からナンバーワンを決める一大イベントである。
高額な優勝賞金もさることながら、一夜にして大スターにのし上がることができるという、若手漫才師にとって夢の舞台であった。
ただし、優勝してもテレビ局にいいように使い潰され、一発屋として消えていった者も少なくない。
「〈大漫〉優勝とか誉めそやされても、所詮使い捨てのオモチャと同じや。あの連中は育てるという概念が欠けとる。手塩にかけて育てた生徒らがボロクズのようにされるこの気持ち。お前に分かるか?」
幻一郎はさらに言葉を続ける。
「ただ、笑気を短期間で習得させようとする笑林寺の仕組みにも無理がありすぎんのや。急いで育てても竹みたいに中身は空っぽ。使い方を勘違いしとる」
「なんやと! この手刀ツッコミは――」
「アカン。カイちゃん!」
手刀を構えた開斗に、鉄太は彼の肩をつかもうとしたが、それより早く黒い塊が開斗を飲み込んだ。
幻一郎が陰の笑気を放ったのだ。
彼クラスの達人ともなると、笑気で結界を作り、取り込んだ者の感情を操ることすら出来るのである。
「ぬおおおおおおおお」
中から開斗の絶叫が聞こえる。
「カイちゃん!」
しかし、次の瞬間、黒い塊が吹き飛び、開斗の姿が現れる。笑気結界を手刀ツッコミの笑気で切り裂いたのだ。
「大丈夫か、カイちゃん!」
「大丈夫や!」
そう開斗は強がっているが、笑いを無理やり堪えるかのように脇腹を押さえ、顔を歪めている。
「相変わらず切れ味だけは一人前やな」
「やかましいわ……。これが笑気の正しい使い方とでもいうんかい!」
「笑気はもっと自然に、ゆっくりと身に着けさせるべきなんや。そしたら、鉄坊も腕を無くさずに済んだはずなんや。このままやったらワシが死んだとしても、あの世での鷲太兄さんに合わせる顔ないわ……」
幻一郎は開斗の問いかけに答えることなく天を仰ぐ。
「とにかくワシは笑林寺を畳ませる。これはワシのケジメや」
そう強く言い放ち、幻一郎は去っていった。
しばらくすると、車のエンジン音が聞こえ、やがて遠ざかった。鉄太は、開斗が落とした花束を拾いあげた時、あることに気づいた。
「幻一郎兄さん、……墓参り忘れてはるで」
つづきは来週の月曜日の7時に投稿します。