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笑いの方程式 大漫才ロワイヤル  作者: くろすけ
第六章 社長
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6-2話 社長と呼ぶ義理あらへんで

 二人は黒い(もや)の流れてくる方へ振り向いた。


 彼らの前に現れたのは、黒無地の着物を着た老人と思しき男性だった。右手に杓の入った桶を、左手にはお供え物が入っていそうな紙袋を提げている。


 ただ、闇のような笑気を(まと)っており、それが着物の輪郭をぼやかせ、この世ならざる者の雰囲気を醸し出している。


 しかし、その妖しげな老人は、驚いたように目を見開くと、矢継ぎ早に問いかけて来た。


「鉄坊やないか。今までドコ行っとったんや。急に事務所辞めてどっか消えてまうし、随分心配しとったんやで。哲子さんから暫くそっとしてやってくれ言われとったけど、もう三年も音沙汰なしやったし」


 鉄坊というのは鉄太の愛称であり、哲子というのは鉄太の母親の名前だ。


 二人のことをそう呼ぶのは、極めて限られた者だけだが、それに該当するであろう人物と、目の前の人物の容貌がかなり食い違っているため、鉄太は答える寸前の口で留まっている。


 代わりに開斗が問いかけた。


幻一郎(げんいちろう)兄さんか?」

「幻一郎兄さんはないやろ。今は憑之介(ひょうのすけ)社長や」


 断っておくが、この場合の兄さんというのは、近しい年長者への尊称であって、彼らが血縁関係にあることを示していない。


 そしてこの人物は、笑林興業の現社長、七代目〈ぬらり亭憑之介〉である。


 本名は連籐(れんとう)幻一郎(げんいちろう)と言い、鉄太の父、亞院鷲太(あいんしゅうた)とは、漫才コンビ〈のーべるず〉として活動していた間柄であった。


 鉄太とは家族同然の仲であったし、開斗ともそれなりに見知った仲だ。


 本来なら師匠と呼ぶべき格の違いがあるのにも関わらず、彼のことを兄さんと呼ぶのは、幼い頃、いっぱしの漫才師気取りであった二人は、幻一郎が亞院鷲太あいんしゅうたを兄さんと呼ぶのを真似て、幻一郎のことを兄さんと呼び始めたからである。


「ワイら笑林(しょうりん)辞めたから、アンタのこと社長って呼ぶ義理あらへんで。

――それにしても、しばらく見いひん内にえろう老けこんどるし、笑気も真っ黒になっとるやんけ。さっさと引退して療養でもした方がええんちゃうんか?」


 笑理学において、笑気の色は精神状態にリンクしているものとされている。笑気が黒くなればなるほど精神状態は悪くなり、笑いの質は陰に傾く。


 陰の笑いとは、人のことをイジったり蔑む笑いで、『(わら)い』とも表される。


 一方、陽の笑いとは、うれしい時や喜びの笑いで、『(わら)い』とも表される。


 ここで勘違いしてほしくないのだが、必ずしも陰の笑いがダメだということではない。


 例えるなら料理に塩分がないと味気ないが、入れすぎると味にパンチは出るものの健康を害するみたいなものである。要はバランスだ。


 ただ、幻一郎の笑気はあきらかに陰に染まっており、普通ならば鬱病(うつびょう)になって寝込んでもおかしくないレベルに思える。しかし面妖なことに、()せたとはいえ幻一郎の足腰はしっかりとした様子であり、顔色も病人のそれではない。


 幻一郎は開斗をねめつけ、

「いらんお世話やボケェ。誰のせいでこないなった思ってんねん。己の事件の尻ぬぐいのせいやで」


 そう言うと、彼は手提げの紙袋を持った右手で、器用に手刀ツッコミのマネをした。


 幻一郎の主張はもっともである。


 三年前の第七回〈大漫才ロワイヤル〉で、鉄太の腕が切断された一件を、テレビ局がそのまま流してしまったため、笑林興業もかなりのバッシングに(さら)されたのだ。


 その時の社長は責任を取ると言って辞任。また誰も火中の栗を拾おうとしなかったため、序列の低い幻一郎までお(はち)が回ってきたというわけである。


 逃げたくせに影響力の強い重鎮たちを相手にするのは、並大抵の心労ではなかったのだろう。


 まだ五十才にもなっていないにも関わらず、彼は老人のような風貌(ふうぼう)になってしまっていた。


「えろうすいませんでした」


 鉄太は素直に謝る。


「鉄坊は相変わらずええ子やな。でも、別に謝る必要ないで。ワシが社長になったんは、社長になってやりたいことがあったからや。むしろ社長になる時期が早まって感謝しとるくらいや」


 幻一郎は、生まれる前より知る鉄太のことを、特別かわいがっていた。


「だったら、さっきの言葉取り消して、ワイに礼の一つでも言うのが筋とちゃいますの?」


じゃかぁしゃ(やかましい)。調子に乗るなカスゥ。簀巻(すま)きにして道頓堀、叩きこんだろうか」


 しかしその反面、開斗に対してはキツかった。


 敬愛した相方の息子の腕をぶった切られたとあっては致し方ないのだろうが、昔から反りが合わなかった。


 幻一郎は亞院鷲太の相方であり、立岩鉄太の後見人を自任しているのに対し、

  開斗は立岩鉄太の相方であり、亞院鷲太の後継者を自称している。


 両者の核心とも呼べる領域が密接しているため、大きな摩擦が生じているのだ。どちらかが相手を認めない限り、争うより他はない。


 開斗は幻一郎に対峙する。


「ちと小耳に挟んだんやけど、兄さんが笑林寺潰したがってるって話、ホンマか? まさか社長になってやりたかったことって、それやないやろな?」


つづきは明日の7時に投稿します。

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